さきの戦争被害の償いを求める問題が、また新たに中国から投げかけられた。

 戦中に日本へ強制連行されて働かされたとして、中国の元労働者や遺族が北京で提訴し、裁判所が初めて受理した。

 同様の訴訟はすでに韓国で広がっていたが、中国では政府が水面下で封印してきた。

 中国では事実上、司法は共産党政権の指揮下にある。今回の受理の背景には政権の意図があったはずだ。訴訟にあえて干渉せず、市民の対日要求を黙認したのだろう。

 習近平(シーチンピン)政権は世界で対日批判を続けている。その一環として賠償問題のカードを切ったとすれば、歴史問題をさらに政治化させ、解決を遠ざける。

 むろん、歴史問題をときほぐす責任は、安倍政権にもある。戦争指導者が合祀(ごうし)されている靖国神社への参拝を強行したことが事態をこじらせた。

 歴史に背を向ける者には歴史を突きつけよ。中国側に言わせれば、そうなるのだろう。

 だが、両国の政権が背を向け合ったまま、問題解決でなく、悪化を招く言動を繰り返すことは、いい加減にやめてもらいたい。

 戦争の償いをめぐっては、52年の日華平和条約締結時に台湾の介石政権が権利を放棄し、72年の日中共同声明で改めて中国政府が放棄を明確にした。

 そこには「戦争の指導者と違い、日本国民も戦争の被害者」だから、賠償を求めないとする中国側の理由づけがあった。

 一方で80年代以降、日本は中国に多額の支援を出した。これが実質的に賠償の代わりである点には暗黙の了解があった。

 その流れを考えれば、戦中の行為の賠償請求権問題は解決済み、とする日本政府の主張には当然、理がある。

 だが、現実的に、その主張一辺倒で問題の解決に向かうだろうか。

 今回のような訴訟が広がれば、日本企業の対中投資を萎縮させかねない。それは日本のみならず中国にとっても不利益となり、両国経済を傷つける。

 そもそも、これは人権問題である。中国では政権の思惑とは無関係に、国民の権利意識は高まっている。個々人が当局や企業など相手を問わず、償いを求める動きは止めようがない。

 過去にふたをしてきたという意味では日中両政府とも立場は同じだ。歴史の禍根を超えて互恵の関係を築くには、どうしたらよいのか。その難題を考える出発点に立つためにも、両政府は対話を始めるしかない。