第106話
サクラの発言に、ぽかんと口を開けたままの太郎。
「いや、何って……いや、え、まじで?」
まさかそんなはずはと、必死に相手の表情からからかいのそれを探す太郎。しかしサクラの表情は至って真剣で、それに冗談を言うような人間にも見えなかった。
「自分の無知は承知しているつもりだが、そこまで驚くような事なのか? 一応基本的な戦略についてのレクチャーは受けているが、そのような単語を見かけた記憶は無いな」
いくらか開き直っている風に見えなくもないが、堂々とした居住まいで発するサクラ。太郎は軽い眩暈を覚え、眉間を手で揉み解す。
「そうか……そいやマールやアランが言ってたっけか……」
いつか戦争というものについての話になった時、マールやアランと話が食い違った際の事を思い出す太郎。銀河帝国における戦争とは企業同士の争いごとに過ぎず、一定のルールに基づいた戦いを指すと言っていた。
「こりゃあ、まじいな。場合によっちゃアランやファントムさんも、そのあたりを知らない可能性もあんのか?」
総力戦。すなわち実際に戦う兵だけでなく、その武器や食糧。戦闘に必要な全て。それらを生産し、運び、そしていつかは兵になる人間含め、あらゆるものを戦力として捉える戦い。地球で言えば第一次世界大戦から始まった、現代――この場所で現代というのもおかしいが――の戦争というもの。基礎教育を受けている者は誰でも授業で習うレベルのもの。
しかし銀河帝国における戦争は、考えてみると地球の中世から近代にかけて行われていたそれに近い。ある種の利権や何かを求め、限定された者同士が戦う。日本の戦国時代には、農民達。つまり非戦闘員が大きな戦の見学に行ったというが、そのような感覚に近いのかもしれない。
「リンも含めてそのあたりを一度説明しといた方がいいな……あぁ、すんません。考え事するとつい独り言が出るタチでして」
いぶかしげな目で覗き込むようにしてくるサクラに、頭をかきながら太郎。サクラは「そうか、私と同じだな」と屈託のない笑顔を見せる。
「何か良くわからないが、重要な思い付きがあったという事だな。私に理解できるかはわからないが、そのうち聞かせてくれると助かる。ちなみに今日君を呼んだ理由だが――」
口を止め、言葉を探すように少し上を見上げるサクラ。太郎は、そう言えば何のために来たのか聞いてないなと、今更ながらに思い出す。
「ううむ。仕事なら別だが、駆け引きやまだるっこしいのはどうも苦手だ。単刀直入に聞くが、君は何が望みだ?」
困った様子で首を傾げ、太郎を指さしてくるサクラ。太郎は何の話だかわからず、「はい?」と聞き返す。
「先日の戦いの際でのやり取りの事だ……あぁ、安心するといい。盗聴の類は無いはずだ。君は秘密裏に情報と手柄を寄越してくれたが、当然何か目的があっての事なんだろう? 何が望みだ?」
本当にわからないといった様子のサクラ。彼女の言葉に、例の戦いの際の独り言の事かと思い当たる太郎。
「あぁー、いや。特に考えがあってやったわけじゃないんで、目的って言われても。ああしないと犠牲者が増える可能性がデカかったから、仕方なく?」
サクラと同じように、首をかしげながら太郎。サクラは「私に聞かれてもな」と苦笑いをする。
「しかし、本来であれば君が受け取るべき名誉を、どんな理由にせよ私が横取りしてしまったのは事実だ。これには何がしかで応える必要があるだろうし、あまり常識はずれなものでなければこちらもその準備がある。何かないか?」
人当たりの良さそうな、にんまりとした笑みのサクラ。太郎は急に言われてもなと考え込むと、当たり障りの無さそうな提案をする事にする。
「そんじゃあ、タカサキさんの所とうちとで、何かの形で業務提携とか無理っすかね?」
「いいぞ。他には?」
「えっ?」
とりあえずは大きく出てから徐々に譲歩していこうと考えていた太郎だが、しょっぱなからそれが崩れ去る。まさか即答されるとは思っていなかった。
「…………あー、今うちで新兵器のレールガンを作ってるんですけど、工場をいくつか融通してくれると助かったりしちゃったり」
「いいぞ。工場だな? いくつか捻出しよう。それだけでいいのか?」
「くそっ、すげぇなタカサキ造船。伊達にEAPの屋台骨じゃねぇ……ちなみに小型ステーションの建造ノウハウとかそのあたりがあったりします? あるなら近いうちに発注頼みたいんですけど」
「はっはっはっ、君は何を言ってるんだ。宇宙ステーションの構成要素は、宇宙船のそれと基本的には同じだ。我々は造船屋だぞ? 得意中の得意だ。安く見積もってやるから任せておけ……しかし、ふむ」
胸を張って笑い声を上げていたサクラだが、何か見定めるようにして太郎を見据えてくる。太郎は調子に乗りすぎただろうかと、彼女の視線を受けながら乾いた笑いを漏らす。
「欲の無い男だな、君は。てっきりもっと強請られるものかと思っていたが、考え過ぎだったようだな。正直な所、それくらいであれば今回の件が無くとも承認したような話だぞ。君自身はともかく、君の会社は評判が良いようだし、間違いがあってもわが社に影響が出るような規模でも無い。あぁいや、失礼な言い方だな。すまん」
何か安心したように、肩の力を抜くサクラ。太郎は「俺はともかくっすか」と頬を引きつらせると、いったい自分がどんな評判を受けているのだろうかと考える。しかしどう考えてもまともな噂が立ってるとは思えず、そこは無視する事にした。
「いやまぁ、そちらさんの方が30倍近くデカい会社なんで当然です。気にしないで下さい。それより、そのあたりでもう十分なんで、あん時の事は忘れて下さいな」
太郎は彼女の言う様に、強請りになってしまうような形は避けたかった。彼はグレーゾーンであれば比較的気にもせずに足を踏み入れるが、明らかにブラックな領域はごめんだった。そんな太郎に、少し焦った様子のサクラ。
「い、いや。それだけでは私の気が収まらん。もっとこう、何か無いのか? 星系の管理権を寄越せとか、造船の青写真を寄越せとか、何かあるだろう?」
「いやいやいやいや、規模でか過ぎですって。そんなんもらえないですから。それこそ強請りじゃないですか」
「うっ、いや、違う。私が不快に思わなければ、それは強請りにはならないはずだ。そうだ。そのはずだ」
「いやいや、屁理屈言ってもしょうがないっすよ。まわりがどう思うかが大事ですし」
「ふふん、秘密にすればいいじゃないか」
「いや、そこで胸を張られても…………うーん、んじゃぶっちゃけ聞き返しますけど、何が望みなんすか?」
明らかにおかしい相手の言動に、これは何かあるなと尋ねる太郎。当人は「な、何の話だ?」としらを切ってくるが、図星であるのは間違いなさそうだった。それどころか、あからさま過ぎて怪しいとさえ太郎には思えた。
「こっちはEAP加盟企業じゃないけど、協力体制を敷いてるのは間違いないわけで、もっと言えば一蓮托生みたいな所もあります。さっきのやり取りの逆じゃあないですが、手伝える事があればよっぽどの事で無い限り協力しますよ?」
EAPについては怪しい所だが、太郎としては利益を追い求める段階はとうに過ぎていると判断していた。まずは負けない為に努力をするのが先で、儲けるのはその後で十分だ。
「う、うーむ……本当か?」
腕を組み、ちらりちらりと太郎を伺うように視線を向けてくるサクラ。太郎は自分も大概だとは思うが、良くこれで企業の取締役をやれているものだと妙な感心をする。
「……よし、わかった。ではお願いするが、陰で私の参謀になってくれないだろうか」
太郎へまっすぐに向き直り、堂々とした顔で発するサクラ。
「はぁ……別に構いませんけど」
「相当に卑怯で無理な事を言っているのはわかっている。君はかなり訓練と経験を積んだ指揮官のようだし、出自からしても……え?」
信じられないといった様子で、目を見開くサクラ。
「いや、わかっているのか? 君に、そうだな。いわばゴーストライターのような立場になれと言っているんだぞ?」
「えぇ、いいですよ」
「地位も名誉も、私が持って行ってしまうのだぞ?」
「はい、そうなりますね。でも失敗した時の責任はサクラさん持ちになっちゃいますよ?」
EAPの指揮能力に疑問を持っていた太郎としては、どんな形でも艦隊指揮に携わる事が出来るのであれば、それは願ったり叶ったりだった。少なくとも今より現状を良く出来ると考えていたし、むしろ責任を押し付ける形になりはしないかとそちらが心配だった。
「いや、それは当然の事だろう。それに私が直接指揮をすれば、より大きな責任を負う羽目になるのは間違いないだろうしな……はぁ……」
何か思い出すようにして、ため息を吐くサクラ。彼女はしばらく力ない様子で項垂れていると、独り言のように続ける。
「本当は今回きりで司令官を降りるはずだったんだが、先の戦闘による功績で続投が決まってしまってね……うーん、そう考えると君にも責任があるような気がしてくるな」
いくらか恨めしい表情で、太郎を横目に見るサクラ。それに対し、とんだとばっちりじゃないかとかぶりを振る太郎。
「そこまでは知りませんよ。いずれにせよ仲間に"助言"をするのは当然の事なんで、その件は受けますよ。秘密にしろってんならそうしますし、特に見返りもいりません。むしろこっちがお礼をしたい位っす」
口元に笑みを作り、こういうのはさっさと決めてしまった方が良いと、握手のための手を差し出す太郎。サクラはそれを見て手を差し出しかけるが、何か迷った様子で手を引っ込める。
「んー!! それは困る!! 君は恐らく本気そう言ってるのかもしれないが、申し訳ないが私にはその判断が付かない。何か対価になるような物を受け取ってもらえた方がまだ信用出来るという物だ」
なんとかしてくれとばかりに、困った様子でそう発するサクラ。太郎は太郎で「そう言われても」と苦笑いを作る。
「何か……何か無いか……そうだ!!」
何かを思いついたらしく、勢いよく立ち上がるサクラ。彼女は太郎の手を取ると、部屋の向こうへと引っ張り始める。
「いや、ちょっ、待って、引っ張らなくても行きますから…………って、何やってるんすか」
引かれるがままに隣の部屋へと入った太郎。そこには大きな天蓋付きの木製ベッドがあつらえてあり、掛け布団こそ無いが柔らかそうな起毛のシーツが敷かれている。そしてその上には、大の字になって仰向けになっているサクラの姿。
「抱け!!」
潔い、短い一言。太郎はしばらくぽかんとしていたが、その言葉の意味を理解すると「うぇ!!?」と奇声を上げる。露わになった白いふとももに、むっちりとした胸の谷間。危険回避の為に前のめりになる太郎。
「あまり良くは知らんが、健康体だし、まわりから容姿や体型を褒められる事も多い。あぁいや、世辞かもしれんがな。だがまぁ、恐らく悪い抱き心地では無いはずだ」
どうという事も無い様子で、太郎へ向かってサクラ。太郎は歯茎から血が出る程に食いしばって葛藤するが、なんとか声を絞り出す。
「ふっ、おおおおおお嬢さん。じ、じ自分の安売りは良くねーぜ。まずは軽いお茶茶茶茶」
「ふむ、なるほど。君は童貞だな? ならお互い初めてだ。いくらか安心――」
「…………どどど、どど童貞ちゃうわああああ!!」
太郎はとりあえずそう叫ぶと、素早い身のこなしで出口へと走り出した。心のどこかでは「何をもったいない事を」と思っていたが、頭の中に浮かんだマールの笑顔が何故だか彼をそうさせた。

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