昨日 私は大失敗をしてしまいました・・・
それは 何かというと 夕方に畑にやさいを取りに行ったのですが
不覚にも キュウリを30本も 収穫してしまいました
それを見た 妻が逆上して 今日のカレーにキュウリを入れる~って
言いだしたのです
その瞬間に おおきな皿に入ったカレーの真ん中に デ~ンとキュウリが
つき立っているのが イメージで浮かんだのです
覚醒する為には 命は惜しみませんが カレーごときに命はかけられません
必死に妻に懇願して やっと茄子の入った 野菜カレーに変更して貰いました
いや~ 危ない 危ない・・・
すみません m(__)m
こんな 話は どうでも良い事なので 忘れてください
それでは 気を取り直して さらっと軽快に 次いきましょう・・・
瞑想の話に入る前に また少しお釈迦様の話をしてみましょうね
実は 釈迦は 修行の道筋をはずれた 落ちこぼれだったのです
こ存じでした?
もし この話を 既に知っている方は 仏教に詳しい人なのかも知れません
釈迦は 名前をゴータマ・シッタルダといって 釈迦族の王子でした
29歳の時に 城を出て 出家する訳ですが 最初は各地の有名な仙人を
訪ねて行って 教えを請うわけです
そして どの仙人の指導を受けても 何故か納得出来ないシッタルダは
荒行に入る事を決心します
人一倍 求道心の強い人なので その苦行は 想像を絶するものだっただろう
と推測する訳ですが ・・・
6年間の荒行をしていた シッタルダは骨と皮だけの状態で 恐らく
死ぬ一歩手前くらいまで 衰弱していたようです・・・
その時に「苦行では 何も解決しない」・・・ こう思ったようです
その場で きっぱりと荒行を辞めた 彼の事を 周りの修行中の仲間は
「あいつは 根性無しの脱落者だ!!」
当然 馬鹿にして そう言いますよね
その後 からだの回復をはかりながら 独自の瞑想を続けて
悟りを開いて いくのですが
釈迦の凄いところは
自分が気づいて 決めた事には どんなに非難や中傷があっても
屈しなかったという その生き方にあったのかも知れません
それから もうひとつ 修業の話をしましょう
今でも よくテレビ等で 見る事があると思いますが
滝に打たれたり とても辛い体制でヨガをしたりしている場面を見かけると
思いますが 単なる健康法でやるぶんには 全然良いのですが
これを 修行としてやっているのは 間違っているという事なのです
ちょっとでも 仏教をかじっている人なら 知っている事なのですが
このように 自分のからだを 外からの規制によって その痛みや辛さを
辛抱して 悟りを開こうとする 修行の仕方は「小乗教」と言って
仏教の修行法の中では とっくの昔に効力を失っている方法なのです
こんな言葉 聞いた事ありませんか?
「もう お釈迦になってしまった!」
年配の方なら ご存知ですよね・・・
(@ ̄Д ̄@;) わたしは~ 若いので~ わかんない~~
はい はい 分かりました 読者のあなたは お若いようなので ご説明
しますね
パーンチ
お釈迦になった ということは もう使えなくなったという意味なのです
釈迦の教えは 釈迦滅後 2000年経てば その効力を失う事が
仏教界では 常識なのです
それが 一般民衆に広まって 何故かこの言葉だけが残ったようです
そんな訳で それ以後 日本の歴史を見れば分かるのですが
民衆から 聖人と敬われる人が出現して その当時の人心を救って
きて 今各地にお寺があるわけです
私が 何故こんなに くどくどと話しているかと言うと どんな修行でも
あなたを 規制しようとする「教え」は いまの時代には古いと言う事なのです
私たち夫婦の瞑想法は そんな規制は全くありません
勿論 基本になる やり方はありますよ
私には お寺で座禅を組んで 何も考え無い「無」の世界に入るなんて
そんな 難しい事 出来る訳ありません!
私は気が短い性格なので 後ろから 僧侶に棒で殴られたら 無意識に
殴り返して いるでしょうね
小さい頃から 鉄拳制裁の得意な母から 有難い指導を受けていましたから
・・・ お返し と 仕返しは 忘れずに 直ぐ実行すべし!!
ね~~ どうですか?
とても まっとうな血筋の家族だという事が 分かって頂けました?
そんな 適当な私がやっている 瞑想法なので 聞く程の価値は無いかも
知れませんが
まあ 暇つぶし程度に 聞いて見てくださいね
また 前置きが長くなってしまいました・・・
明日までに 気が変わらなければ 見てくださいね
m(__)m