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彩夏の“みんなに笑顔を”

《54》 ひとつになってほしい五輪とパラリンピック

樋口彩夏 (ひぐち・あやか)

オリンピックとパラリンピック――
どうして、分かれているのでしょうか?
そもそも、分ける必要はあるのでしょうか?

オリンピックの起源は、1896年、ギリシャ・アテネ。
世界的なスポーツの大会という位置づけで、はじまりました。

パラリンピックの起源は、1948年、イギリス。
ストーク・マンデビル病院で行なわれた、ストーク・マンデビル競技大会がはじまりです。
目的は、戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして、スポーツを推賞することでした。

時が経ち、2004年、ギリシャ・アテネ。
はじまりの場所も目的もバラバラだった2つの大会が、おなじ年におなじ場所で開催されるようになりました。
その背景には、次の考え方が世界へ広まってきたことが挙げられます。
健常者も障害者も、楽しく仲良く暮らそうよ、という趣旨の、ノーマライゼーションという考え方です。

しかし、オリンピックという勝負の場に並ぶからには、きれいごとだけでは通用しません。
パラリンピックの性質に変化が生じたことが、一番の決め手と言えるでしょう。
当初の目的であった福祉・リハビリの域を脱し、立派な“スポーツ”へと変貌を遂げたのです。
陸上競技をはじめ、車椅子バスケットボールやチェアスキーなど、競技性の高いものも多くあります。
選手たちの姿は、まさにアスリート。
そこに、“障害”の陰はありません。

“健常者”がスポーツで競うのが、オリンピック。
“障害者”がスポーツで競うのが、パラリンピック。

おなじ趣旨のもとに開催されているにもかかわらず、開会式も閉会式も、それぞれの大会で独立しています。
別々の大会として行なわれている意味が、私にはわかりません。
今までの歴史を考えれば、分けるのが道理だったと思います。
でも、そろそろ1つの大会として、一緒に行なってもよいのではないでしょうか?

「パラリンピックなんて、なくしてしまえばいい」と言うと、語弊があるかもしれません。
しかし、オリンピックとパラリンピックの統合の先には、バリアフリーやユニバーサルデザインを超越した、真のノーマライゼーションという世界が広がっているように思います。

とは言え、健常者と障害者が公平に競い合うことは、いくらなんでも無理ですよね。
“生身の肉体”と“肉体+道具”では、競技をする上で対等とは言えません。
では、各競技に種目があるように、パラリンピック枠をそれぞれに組み込んでみては、どうでしょうか?
たとえば、陸上競技。
現行のオリンピック・パラリンピックそれぞれに、100メートル、200メートル……と、おなじ種目が存在しています。
パラリンピックの場合は、障害に応じたクラス分けが加わるだけ。
元々おなじ種目があるのだから、順番を前後するだけで統合の出来上がりです。

現行

◇オリンピック
 ・100メートル 男子
 
 ・100メートル 女子

◇パラリンピック
 ・100メートル 男子
  ……各クラス

 ・100メートル 女子
  ……各クラス




オリンピック

パラリンピック
の統合

未来

 ・100メートル 男子
  健常者
  障害者…各クラス
         :
         :
        各クラス

 ・100メートル 女子
  健常者
  障害者…各クラス
         :
         :
        各クラス

 

オリンピックとパラリンピックが、ひとつになってほしい——。
そう思う理由は、「分ける理由がなくなったんじゃない?」という、実にシンプルなものです。
だって、はじめは障害者のリハビリ目的だった運動が、“スポーツ”のレベルになったのですから。

もうひとつは、心情的なものです。
オリンピックに出る選手もパラリンピックに出る選手も、皆、ひとしく努力を重ねていることでしょう。
その努力に、違いや差はないはずです。
それなのに、片や大々的にとり上げられて、一躍、時の人にまではやし立てる。
一方は、メディアにも国民にも見向きもされず、関係者の目にしか留まらない。
ようやく、テレビで報道されるようになったかと思えば、一日の放送は、小一時間にまとめられたハイライトのみ。
生中継が当たり前のオリンピックとは、雲泥の差です。
運動音痴でスポーツも全然わからない私だけれど、この状況には違和感を感じずにはいられません。
おなじ人間で、おなじように世界のトップを目指して日々、努力をしている——。
そんな選手たちを思うと、悲しくなってきます。

私が障害者だから、パラリンピックを押しているのではありません。
仮に、オリンピックとパラリンピックの立場が逆でも、おなじ思いを抱くと思います。
世の中は、常に平等とは限りません。
しかし、オリンピックがスポーツにおいて世界の一大イベントとして存在しているのなら、パラリンピックも同様に扱われるべきです。
これが、世界の流れです。
オリンピックとパラリンピックの同時期・同場所開催の先は、2つの大会の統合ではないでしょうか。

私の理想論を述べましたが、そんなに簡単な話でないことは、想像に難くありません。
すこし考えただけでも、いくつもの課題が思い浮かびました。
きっと、私には想像の及ばない、さまざまな問題があるのだと思います。

でも、想像してみてください。
オリンピックとパラリンピックが、ひとつの大会に統合された姿を——。

開会式——オリンピック——閉会式〜〜〜開会式——パラリンピック——閉会式

開会式——————————オリンピック・パラリンピック——————————閉会式

開会式や閉会式を、晴れやかな笑顔で颯爽と歩く選手たちは、おなじ時間を刻んでいます。
そこには、歩いている選手、車椅子の選手、義足・義手の選手、白杖をもった選手。
さまざまな容姿のアスリートたちがいます。

目を閉じて、その光景を思い浮かべるだけで、顔がほころんできませんか?

「パラリンピック」という言葉は、1964年の東京大会のときに、日本のマスコミが生んだものです。
パラリンピックという名称を生んだ日本で、オリンピック・パラリンピックの新しい姿を魅せられたら——。
これほど世界に誇れるものはないように思います。

イラスト:ふくいのりこ

樋口彩夏 (ひぐち・あやか)

1989年、東京生まれ。埼玉・福岡育ち。いつも外を走り回っていたお転婆娘が、14歳・中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症しました。
抗がん剤、重粒子線、移植などの治療を終えたものの副作用や後遺症のために9年間、入退院の繰り返し。その影響で下半身不随となり、車椅子で生活をしています。「普通の生活」に戻りつつある今、「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に模索を続けています。

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