日本人の「値段」

原田泰氏(内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官)は、「むしろ楽しい社会に」(『毎日新聞』20033月3日4面)という記事のなかで、日本における少子化の主用原因として、子育てにかかるコストを挙げる。原田氏の考える「コスト」とは、「子供の養育費+子供を産み育てるために母親が仕事を離れなければならないコスト」であるとするが、一番大きいのは、母親の離職から生じる賃金の直接ロスと、「就業中断後に日本の年功賃金カーブに戻ることができず、パートで働くしかない」ために失われる所得であると主張する。この二つのロスは、合わせて18000万円であるという研究結果を例示している(内閣府「家族とライフスタイルに関する研究会報告書」2001年)。原田氏自身は、この数値を「大きすぎる」とみなし、1億円とする方が現実的であるとするが、いずれにせよ、大変な額である。しかも、原田氏の掲げる試算には、子供が成人するまでかかる税金負担分(保育所、幼稚園、義務教育、大学教育等にかかる税金からの補助費等)は、まったく含まれていない。こういう税金への直接負担の他、原田氏の論理から行けば、母親の離職によって生じる収入減を家計の問題だけとして扱うのではなく、それを機によって失われる税・保険金・年金収入もさらに加算し、現行のシステムから生じる「子育て」の社会的コストをも算出しないと、子育ての本当の「コスト」は、把握したことにならない。子育てのコストを1億円とする、原田氏が掲げる試算は、子育てする家庭にとっての個別的なコストに過ぎず、「子育て」という営みが社会全体にとってどれだけの「コスト」をこれにさらに上乗せすべきである。

 外国人労働者や移民が日本にとって大変な税負担となるとする主張が日本国政府などによってしばしば展開されるが、ここでいうコストとは、精々、短期集中語学教育や、行政窓口における多言語パンフレットの用意、医療機関や警察・裁判における通訳の用意、あるいは難民のための受入施設の設置など、高が知れたものである。1人の「日本人」を赤ん坊のときから一人前の社会人にまで育て上げる社会全体のコストからすると、それが如何に微々たるものかは、原田氏の上掲の論からでも十分に明らかであろう。

2003318日筆

宮城学院女子大学国際文化学科

J.F.モリス

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