第20話
「ドゥンガを検索……うーん、やっぱり何も出てこないわね」
マールは自室でひとり呟くと、やわらかい合成繊維製のベッドへと横になる。ベッドの内部にある数万の突起がゆっくりと動き、表面がマールの体型に合わせた適切な形へと調整される。
「ニューラルネットでも出てこないって事は、間違いなく適当な造語ね。馬鹿みたい…………でも、ふふ。なんだかおかしかったな」
マールはごろりと寝返りを打つと、太郎に勧められた掛け布団とやらを抱きこむ。完全空調の中で育ったマールに掛け布団の存在意義は全くわからなかったが、こうして抱いていると落ち着く気がしなくもないと思った。
「テイローに、小梅に、アラン。久しぶりに人と会って話をしたと思ったら、次から次へとだわ」
ネットワークと効率化が発達した昨今、職業にもよる所が大きいが、実際に人と人が会うというのはまれな事だ。物理的な接触が無くとも、生活を送る上で何の不自由も無く過ごす事が出来る。実際マールは太郎に会うまでの2年間を、全て通信のみで済ませてきた。それゆえに、マールは太郎と初めて会った時の事を思い出すと、恥ずかしくて堪らなくなる。
「あたしも良く頑張ったわよね…………難破船から帰って来る男を桟橋まで迎えに行くとか、どんな安っぽいドラマよ」
赤い顔のまま掛け布団を頭からかぶると、じたばたと暴れるマール。彼女はそういえばステーションの放送で似たような設定の恋愛映画があったはずだと思い出し、BISHOPでそれのダウンロードを実行する。
「ん、これ年齢指定あるけど大丈夫かしら……あんまり生々しいのは嫌ね」
ドラマの情報欄に"D指定"とあるのを見つけ、眉を顰めるマール。彼女の生後時間、約15万時間からすると本来C判定であるはずの精神成長判定。彼女はそれにFの判定を持っていたが、だからといって過激な番組が見たいというわけでは無い。
「でもまぁ、ね。そう、勉強よ勉強」
マールはひとりぶつぶつと呟くと、約2時間のシンプルな映像ドラマの再生を始める。前まではもっぱらアクションやファンタジーといった気疲れのしない作品を好んでいた彼女だが、最近ではこういった人間ドラマのような作品にも興味が出てきていた。マールはそれを成長の証だろうと自己分析すると、ドラマの内容へと集中していく。
「うわ、思ったより凄いわねこれ……本当にD? Eはあるんじゃないのこれ。放送会社どこよ」
文句を言ってやるわと意気込みながらも、いわゆるラブシーンと呼ばれるカットを、赤い顔で横目に見るマール。堂々と見たところで誰に咎められるというわけでも無いが、彼女の場合、気恥ずかしさがそれに勝っていた。
「あぁあぁ、もう。やっぱ止め。止めだわ。ちょっと段階を飛び越し過ぎてるわね」
耳まで赤くなったマールが、再生停止のボタンを押下する。彼女はやたら大きく聞こえる気がする駆逐艦の駆動音に八つ当たり気味な文句を呟くと、再び掛け布団を抱きこむ。
「掛け布団って言ったっけ。意外といいかもしれないわこれ…………にしても、実際の所どうなのかしら。わたしはあいつの事を、どう思ってるのかしら?」
近頃やたらと気になる同僚の事を頭に思い描くと、布団に顔をうずめるようにして自己分析を始めるマール。彼女は努めて冷静にそれを考えると、好意こそ抱いているが、恋愛感情ともまた違うのではないだろうかと結論付ける。環境が急に変わり過ぎた為、疑似的にそれを勘違いしているのではないかと。
「……とりあえず、要経過観察ね」
頭の中の考えをメモとしてBISHOP上に書き連ねると、"継続審議"とラベルされた領域へと保存する。
その瞬間、部屋へと響き渡るコール音。
「ひやあっっ!!?」
マールは飛び上がらんばかりに驚き――実際に飛び上がったはずだと彼女は思う――その必要も無いのにドアの前まで移動する。
「誰……って、アラン? 待ってて、今出るわ」
呼び出しが太郎で無い事に、残念な気持ちと安堵とを覚えるマール。
「やあ、副社長。ちょっと相談したい事があってね……というか、訪ねておいて言うのもあれだがよ。ちょいと不用心じゃないか?」
部屋着となっているマールへ向けてアラン。マールは「そう?」と事も無く発する。
「貴方が高圧電流に耐えられるというのなら、触ってみるといいわ」
「スタンガンってやつか? 意外と扱いが難しいんだぜ。ちゃんと相手に当てられるのかい?」
「服に流せるのよ。試してみる?」
アランは冗談半分に伸ばしていたのだろう手を素早く引っ込めると「恐ろしい嬢ちゃんだぜ」と苦笑いを浮かべる。
「で、相談って何なの? 下らない用事だったら怒るわよ」
「あぁ、それなんだが……」
きょろきょろとあたりを見回すアラン。一瞬目が中空を泳いだ事から、BISHOPを使ってまでひと気を確認したという事がわかる。
「なぁ、嬢ちゃん。単刀直入に聞くぜ。あの小梅ってAI。ありゃ何だ?」
アランからもたらされた、予想外の質問。「何って……」と言葉に詰まったマールに、アランが続ける。
「あのAIは、優秀って一言で片づけていいレベルじゃあない。はっきり言って異常だ。嬢ちゃんも気付いてるんだろう?」
「そうね……でも"あのAI"って呼び方はやめて。小梅っていうちゃんとした名前があるのよ」
「……あぁ、そうだな。失礼した。んでその小梅だが、あれはどこで造られたもんだ。軍のAIにもあそこまでのは無いぞ?」
アランの声に「そう?」とマール。アランはいくらか苛立たしげな表情を見せると、「そうさ」と続ける。
「AIっつうのは、"検索"、"対処"、そして"連想"で出来てるもんだ。銀河中のどのAIもそうやって出来てる。ニューラルネットでさえな。だがあのAI……すまん。小梅はその一歩先を行ってる。つまり"発想"ってやつを持ってる」
「……そう。でも、それがどうしたって言うのよ。どこかの天才が発明でもしたんじゃないの」
「おいおい、んなもん無理に決まってるだろ。俺達はな、俺たち人間自身がどうやって"発想"をしているか自体が良くわかってねえんだ。それが解明されたってんなら、とっくにニュースにでもなんでもなってるだろうよ」
やや興奮気味なアラン。それに「落ち着きなさいよ」とマール。
「単刀直入に聞いて来たあんたに、同じように聞くわ。あんたは小梅をどうしたいの?」
"どうしたいの"を強調するマール。睨みつけた眼光に、一瞬怯んだ様子を見せるアラン。
「どうって、多分あんたが想像してるような事じゃないさ。だからそんな怖い顔をしないでくれよ……俺が確かめたいのはひとつだけだ」
「なに?」
「危険が無いかどうかさ」
きっぱりとしたアランの答えに、ぽかんとした表情のマール。やがて彼女は破顔すると、大声で笑いだす。
「あっはっはっはっ!! 小梅が? 危険かですって? 冗談も程々にしなさいよ、あんた。私達はもう、数えきれない程小梅に救われてるわ。他でも無いあんた自身だって、小梅がいなけりゃ今頃アステロイドベルトの岩と見分けのつかない姿よ?」
笑いの収まらないマールは、壁にもたれかかるように姿勢を崩す。アランはばつの悪そうな顔で頭を掻くと、明後日の方向を見る。
「いやぁ、まぁ。危険が無いならそれでいいんだ。ここの社長は世間知らずそうな所があったんでな。確認しときたかっただけさ」
「そう。わたしこそ笑ったりしてごめんなさいね。きっとあなたの反応が普通だし、やってる事は正しいわ」
「そう言ってくれると助かるよ。大丈夫そうってんならそれでいい……夜分邪魔したな」
頭の上で手をひらひらとさせると、廊下を歩み去るアラン。それに「ねぇ、アラン」と呼び止めるマール。
「もう一度言うわ。あなたが正しいし、できればこれからもそういった忠告をしてくれると助かるわ。ありがと。おやすみなさい」
曲がり角を消えて行くアランの「おう、任せとけ」という声を確認すると、自室への扉へ向き直るマ-ル。その時ふと耳へ届いた妙な金属音に、彼女はアランが去った方向とは逆へと顔を向ける。
「小梅?」
廊下の向こうから、何やら慌しい様子で駆け寄ってくる小梅の姿。進行方向がこちらへ向いているのに気付き、「どうしたの?」とマール。
「これは良い所に、ミス・マール。少し匿ってはいただけませんでしょうか」
マールは何事かと怪訝な表情を見せるが、返事をする前に部屋へと入ってしまった小梅を呆れた顔で見送る。
「おーい、マール!! 小梅を見なかったか!!」
今度はいったい何だと、太朗の声に振り返る。先ほど小梅が現れた方向から息を切らせた太朗が走り現われ、鼻息荒く「あんにゃろめ、どこ行きやがった」と発する。
「いえ、見てないけど……小梅がどうしたの?」
先ほどのアランとの会話もあり、少し緊張したまま訊ねるマール。太朗は「どうしたもこうしたもねぇよ」と手を大きく広げる。
「さっき自室の便座に座って……その、なんだ。用を足そうとしたわけだ。したらさ、手元に見たことの無いボタンがついてるときたもんだ。押すじゃん? そんなん絶対押すじゃん? 明らかに押すじゃん?」
じりじりとマールへ詰め寄って熱弁する太朗。マールはいくらか引きながら「えぇ、そうね」と返す。
「したらよ!! ウォシュレットみたいに何か出てきたなぁと思ったら、尻の下から歯医者で聞こえて来るような甲高い回転音がするわけよ。キィィィンって。んで良くみたら尻の下から高速回転するドリルがせり上がって来てんの。意味わかんない、おじちゃん意味わかんないよ。御丁寧にゴム製のドリルにローションまでついて」
太朗の話す内容に、ぽかんと口を開けるマール。
「えぇと、イタズラって事? 小梅が?」
「イタズラっておめぇ、んなかわいらしいもんじゃねぇぞちくしょう。童貞捨てる前に処女捨ててどうすんだよ!!」
「あ、童貞って認めたわね」
「童貞ちゃうわあああああ!!!!」
現れた時と同じ様な勢いで走り去っていく太朗。いくらか同情心がわかなくもないが、なぜそこまで童貞である事を隠そうとするのかマールには良くわからなかった。
「……はぁ。こういうのを嵐みたいな夜って言うのかしら。小梅、あいつは行ったわよ」
部屋の中へ声をかけると、やがて恐る恐るといった様子で現れる小梅。
「ありがとうございます、ミス・マール。せっかく御要望のドリルを艦に設置したというのに、ミスター・テイローは随分とお怒りの様子で。どうしたものでしょうかね?」
「えぇ……まぁ、本気で怒ってたらBISHOPで探すだろうし、気にしないでいいんじゃない? 元気そうで何よりだわ」
マールはウィンクと共にそう言うと、部屋の中へと親指を向ける。
「それより小梅。あんたが欲しがってた子供サイズの服、一式届いてるからちょっと着て見なさいよ。あんたに似合いそうなのが結構あったわよ……あ、そうだ。どうせならそれ着てテイローのとこに行くってのはどう? あいつ怒るのも忘れて褒めちぎるに決まってるわ」
小梅の手を引きながら部屋の中へと入るマール。お洒落に気をつかうという驚くべきも素敵なこのAIが、とても危険な存在なんかであるはずがない。マールは改めてそう思い、満面の笑みを作った。
マール、意外(?)にも元ひきこもり

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