3月7日、横断幕を掲げ、大阪地裁に裁判を起こした人たち。
みな福島から関西へ逃れ、避難生活を続けて来ました。
そのほとんどは、国が定めている「避難指示区域」以外の場所からきた「自主避難」の人たちです。
<森松明希子さん(40)>
「福島第一原発から700キロ離れた大阪だから、上げられる声もあると思うのです」
裁判の原告の1人、森松明希子さん。
<森松明希子さん・子ども2人、明愛ちゃん(3)と明暁くん(6)>
「ご飯全部食べない人は、デザートないよ…」
震災の2か月後、夫を福島県郡山市に残し、2人の子どもと一緒に大阪に避難してきました。
<森松明希子さん・夫からの電話>
「あ、来ました… お父さんから電話です…」
<明暁くん>
「おとうさーん」
<お父さん・電話>
「もしもし、風邪なおった?」
<明暁くん>
「うん、なおったよー」
大阪と福島、離ればなれの生活で家賃や光熱費の負担は、倍になりました。
夫が子どもたちに会いにやってくるのも、月に1回がやっとです。
<森松明希子さん>
「この目の前の子どもたちの健康を守るために避難しているから、目の前に子どもがいるからがまんもできるんですが、夫は避難生活を続けさせるために働いて、その守るべき子どもは目の前にいないのですから、どうやって精神状態保ってるのかと思って…」
震災にともなう原発事故で、福島県のほぼ全域が高濃度の放射能で汚染されました。
除染をしなければ、避難指示の目安とされる、年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを超える場所が至るところにあるような状況です。
しかし、去年夏…
森松さんの地元・郡山市のプールに行ってみると、事故の影響などないかのように賑わっていました。
<市民・女性>
「年間の被ばく量も、体には害がないって言われてるんで…」
<市民・女性>
「気にはしていますけど、でもそういうの気にしてたら、経済的によくないんですよね…」
ちょうどこの時期、森松さんは夫が住む郡山市に、一時帰宅していました。
久しぶりの家族団らんですが、やはり放射線量が気にかかります。
内科の勤務医として働く夫の暁史さんは、妻と子どもたちの避難に理解を示しています。
<夫 森松暁史さん>
「まさか、ここまで郡山が汚染されるとは、思ってもいなかったですしね」
「(子どもを)守ってあげられるのは、ぼくらしかないので、こういう選択もありなのかなと思いました」
森松さんは、放射線の被ばくを少しでも避けようと、震災後に市内に作られた屋内遊戯施設で、子どもを遊ばせました。
そこで、子育て仲間だった友人とも再会。
<子育て仲間の友人>
「離れたい、避難したいというのはあったけど、そう思ってる人みんなが避難できるわけじゃないので、仕事とかもあるし、経済的にもね。なので福島に住んでいます」
これは、「自主避難区域」である福島市がおこなった、市民意識調査の結果です。
「原発事故後の心理状況」について、「できれば避難したい」かどうか聞いたところ、33.7パーセントが「今も思っている」と答えました。
妊婦や、乳幼児・小学生の子を持つ世帯に限ると、「今も思っている」が過半数を超えます。
見かけの平常さとは裏腹に、放射線による被ばくに不安を感じ、国や県などの助けを待っている人が大勢いることがうかがえます。
しかし、公式には避難の必要はないと言われている地域からの「自主避難」。
批判や、誹謗・中傷の対象になることもあるといいます。
<関西への自主避難者>
「『大丈夫なんでしょ?』って言われて、自分は怖くて逃げてきているし、この先どんな被害が出るかもわからないのに、『大丈夫なんでしょう』っていう一言で、受け入れてもらってない孤独感を感じて…」
<関西への自主避難者>
「国が年間20ミリ(シーベルト)というラインを引いたりとか、そういう数値があるので、それに該当しない地域から出てくる、イコール、勝手に神経質に出て行ったとか、そういう扱いで、その人たちが悪いような感じを私は受けることもあるので…」
避難するのも、留まるのも、いばらの道。
「福島の人が追い込まれている、現状をなんとかしたい」と考えた森松さんは裁判をして、そのことを世に問いたいと思い始めていました。
<森松明希子さん>
「原子力発電所が事故を起こして、たくさんの人が翻弄されてると思うんですよね。それをずっと言えなかったというところが、何かおかしいと思いながら…」
いま、国や福島県は「避難指示区域」以外では、除染をしながら人を住み続けさせる政策をとっています。
しかし、計画は思った通り進まず、住宅の除染で出た土は持って行き場のないまま、庭先で山積みにされています。
「復興」、「がんばろう福島」のかけ声の一方で、福島県外に避難している人の数は、約4万8,000人に上っています。
経産省に、原発の安全審査を申請したことを報告する東電。
そんな中、国と東京電力は柏崎刈羽原発の再稼働を前提に、経営再建をすすめています。
このままでは風化が進み、あの事故はなかったことにされてしまう…
この日、森松さんをはじめ、関西への「自主避難者」ら80人、27世帯が、国と東京電力の責任を問う裁判を起こしました。
<森松明希子さん・去年9月>
「この訴訟では、私たちの子どもたちも原告になります。子どもたちは自分で今の状況を世の中に訴えたり、父親と離れて暮らすことが寂しいから、『何とかしてください』と国に訴えたりすることはできません」
去年12月、そして今年3月7日には、2次と3次の提訴が行われました。
原告の中には、福島県以外からの避難者もいます。
<茨城県から避難した 太田歩美さん>
「仕事も辞めて、親兄弟にも、『もう2度と帰って来るな』と言われ、まわりの人は、実際にそこで今、普通に暮らしているのに、神経質だとか、心配しすぎだとか言われますけど、将来もし自分の子どもが、何か健康の被害が出たときに、どうしてあの時に避難してなかったんだろうということになるのだけは避けたい」
これまでは、孤立しがちだった「自主避難者」一人一人が、こうして声を上げることでつながろうとしています。
<箱から出てくるランドセルを見て喜ぶ長男の明暁くん>
「黒、黒や!」
避難してきたとき3歳だった長男の明暁くんは、この春から、大阪で小学校に通います。
<ランドセルを背負って喜んで出ていく明暁くんに手を振る森松さん>
「行ってらっしゃーい」
「自主避難」したのは正しかったのかどうか、揺れ動き続けた3年。
しかし、今の森松さんに、もう迷いはありません。
<森松明希子さん>
「地べたに、ああやって座ることができるというのが、本当に当たり前のことなんですけど、これを福島では、私は心穏やかにはできないことなので。やっぱり言えるようになった人から、言っていかないといけないことかなと思っています」
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