先代との思い出

 

私(づけとご)とおじさん(先代中本正氏)の最初の出会いはおじさんが店をやっていた頃の1989年に遡ります。近所の高校生では無かった私は独特の中本のルールもわからず、あちこちのラーメンを食べ回る中の一つの店に中本があるだけでした。その理由の一つがあまりに短い営業時間。夕方にはもう閉まっています。確か土日とかも休みで、社会人になってからは有給でも取らないと行けないお店になっていました。もっと営業時間を長くしてもらいたかったですが当時はおじさんと世間話など滅相もない。おじさんは何か独特の怖い雰囲気を持っていて迂闊な事を言ったら出入り禁止にされそう(実際はそんな事はないのですが)でしたから。

そんなおじさんと話すようになったのは二代目店主白根さんの中本がオープンしてから。新しいお店の開店や周年祭等では必ず白根さんと一緒におじさんもいました。それ以外でもおじさんがお店に顔を出している時に会う事が重なり、いつしか覚えてもらって色々な話をさせてもらうようになりました。二代目店主を白根さんに任せてからのおじさんは今までと異なり、いつも一方的にご自分の好きな山の話、自転車の話、美味しい物の話、スイスの話、等を延々と話してくれます。私はどの話にも興味がないので中本に数多く存在する謎について話します。おじさんはその質問をノラリクラリとかわして自分の好きな話をします。そんな感じ(笑)。

当時を知る方は食べたくてもおじさんが作ってくれないので食べられなかったメニューがたくさんありましたよね。

 

 

私はその謎を解くべくおじさんに話をするとおじさんも「当時は申し訳ない事をしたね。じゃあ今度作ってあげるよ。」と開店前の時間を使って作ってくれました。↓は、おじさんが作ってくれた貴重なチャーハンの写真です。他にも色々と作ってくれましたが写真が整理できていません。

 

 

また、おじさんはいつも開店前にご自分の賄いとして特製の冷し(つけ麺)を作り、少量を分けてくれます。一見味噌タンメン風のこのスープ、若干の酸味と味噌タンメンよりやや強めの味噌の味、辛さはほとんど無く雑味の無いシンプルな美味しさです。何やらご自宅から特別な調味料も持参されて作っているとの事。それがこちら↓。この写真は3月2日に作っていただいたもので、恐らくおじさんの中本初代店主として最後の調理だと思われます。

 

 

以前これを一人前食べたいのでメニューとして出してもらえないか?と言ったところ「これはおじさんが内緒にしているメニューだからダメ」というお茶目で納得できない返事でした。そうだ、この方は中本の中本さんだ。

先に書いた通り、お亡くなりになる4日前の3月2日に私たちはおじさんと一緒に目黒店にいました。おじさんから目黒店に行くと連絡は受けていましたが、既に体調が悪いのを知っていましたので前日にメールで「無理はしないでください」と送ったところ「大丈夫。行きますよ。」との返事。当日の朝にも体調の確認のメールをしたら↓の返信がありました。

 

 

食後におじさんとお茶をご一緒しましたがやはり体調は優れない様子。しかし会話はおじさんらしく軽快に楽しく進みました。私が最後におじさんと交わした会話です。

「おじさん、なぜ中華丼に麻婆を入れて中国丼って名前にしたんですか?」

「そんなのおじさん(自分)に言われてもわかんないよ(笑)」

「おじさんが解らないんだったらこれはもう永遠の謎って事ですね(笑)」

「そうだね(笑)」

本当に永遠の謎となってしまいました。
他にもたくさんの謎が残ってます。
でもこれがおじさんの中本なんですよね。

最後に1年ほど前のおじさんの写真と今年いただいた年賀状です。
山が大好きなおじさんの年賀状はいつも山の写真でした。

 

 

 

「加齢のため年頭のごあいさつは本年限りで失礼します」

何でも準備が良すぎです・・・ラーメンの準備はあんなに遅かったのに・・・。

おじさん、ごちそうさまでした。

 

中本の道 づけとご

 

 

 


いろんな情報

 

このHPに関するお問い合わせは
こちら(づけとご)まで

 

今日のメニューはこれだ!
このメニューは?

 中本初心者の方はこちら

中本の道

  • 管理人づけとごより
  • 「蒙古タンメン中本の道」について
    nakamotonomichiをフォローしましょう