どうしても、違和感が募る。

 集団的自衛権の憲法解釈変更について、安倍首相は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告書が提出された後に対応を検討すると強調している。

 このため国会もメディアも「待ち」の態勢を取らざるを得ず、報告書の価値が自然とつり上がっている印象だ。しかしそもそも報告書は、どれほどの正統性を持ち得るのだろうか。

 確認しておきたい。安保法制懇は首相の私的諮問機関である。設置は法令に基づかず、人選も運用も好きに決められ、国会の目は届かず、法的な情報公開の義務もない。政府は従来、私的諮問機関は「意見交換の場にすぎない」と説明してきた。

 安保法制懇には、首相と志を同じくする仲間が並ぶ。これまでの懇談会の議論では「集団的自衛権を行使できるようにすべきではないといった意見は表明されていない」という答弁書が先日、閣議決定された。

 首相は「空疎な議論をされている方は排除している」と国会で述べた。「結論ありき」の疑念はぬぐいようがない。

 安保法制懇だけではない。同じく首相の私的諮問機関「教育再生実行会議」のメンバーも首相に近い人物が目立つ。内閣法制局長官人事でも、内部昇格という慣例を破り、自らに近い人物を据えた。安倍政権の特徴的な政治手法の一つだ。

 かつて中曽根政権も私的諮問機関を多用し批判を浴びたが、最低限の正統性確保への配慮はあった。例えば84年に設置された「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」。適切な方式での公式参拝実現を促す内容の報告書を出し、それを根拠に中曽根首相は公式参拝に踏み切った。ただ、公式参拝違憲論を唱えていた憲法学の権威・芦部信喜氏もメンバーに入り、報告書には違憲の主張が付記された。

 この事実は決して軽くない。

 少数意見に耳を傾け、反対派からも合意を得られるよう力を尽くす。その合意形成のプロセスをおろそかにして、選挙に勝てば何でもできるとばかりに「勝者の正義」を押しつけるようなやり方では民主政治は成り立たないし、政権の正統性をも傷つけてしまうだろう。

 ある時点において多数派だったことを足場にする「勝者の正義」は歴史の風雪に耐えられない。首相が是が非でも「戦後レジームからの脱却」に挑むというなら、「お友達」の意見を錦の御旗にして強引に事を進めるのはやめ、国会など公的な場で堂々と議論に臨むべきだ。