●Alex Tabarrok, “The You Have Two Cows Challenge”(Marginal Revolution, October 5, 2011)
異なる経済制度の特徴の違いを描いた「2頭の雌牛」のジョーク(日本語版のwikipediaはこちら)については広く知れ渡っていることだろう。例えばこういう感じだ。
- 社会主義(Socialism): あなたは手元に2頭の雌牛を所有しています。すると政府の役人があなたの許へやってきて2頭のうち1頭だけを持ち去り、その1頭をあなたの隣人に譲り渡してしまいました。
- 共産主義(Communism): あなたは手元に2頭の雌牛を所有しています。その2頭をともに政府に譲り渡すために役所を訪れると、引き換えにミルクを配給してもらえました。
- 資本主義(Capitalism): あなたは手元に2頭の雌牛を所有しています。2頭のうち1頭を売りに出し、その売却代金で雄牛を1頭買いました。
仮にあなたが手元に2頭の雌牛を所有しており、政府が「その牛のミルクを飲んではならない」と命じたとしよう。さて、これは何主義(何イズム)にあたるだろうか? 何主義と呼んだらよいかを考えるにあたっては、このエピソードは架空の話ではなく我々が今まさに過ごしているこの現実の社会での出来事だということを知っておくといいヒントになるかもしれない。つい最近のことだが、ウィスコンシン州で次のような裁判が行われた。裁判所側による裁判内容の要約(pdf)があるので、そこからその内容を以下に少しだけ引用することにしよう。
原告側は次のように主張した。我々アメリカ国民は財産を所有し、使用し、自らの財産を自らの好きなように味わう基本的な権利を有しています。それゆえ、我々アメリカ国民は雌牛を所有する基本的な権利を有しているだけではなく、他人に害を及ぼさない範囲で自らが所有する雌牛を自らの好きなように使用する基本的な権利を有しているものと考えます、と。原告側はさらに次のように付け加えた。我々アメリカ国民は自分や自分の家族のために自分自身で選んだ食物を他人から干渉されることなく自らの好きなように消費する基本的な権利を有しています。それゆえ、自らが所有する雌牛の搾りたてのミルクを自らの好きなように消費する基本的な権利もまた有しているものと考えます、と。
原告側のこのような訴えに対してパトリック・フィードラー(Patrick J. Fiedler)判事は次のように応じている。
それは間違いです。原告には乳牛を所有したり使用したりする基本的な権利は認められていません。
それは間違いです。原告には自らが所有する雌牛の搾りたてのミルクを消費する基本的な権利は認められていません。
それは間違いです。原告には自分で選んだ食物を生産したり消費したりする基本的な権利は認められていません。
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さて、ここで再び質問である。
あなたは手元に2頭の雌牛を所有しています。すると政府が「その牛のミルクを飲んではならない」と命じました。さて、これは何主義(何イズム)と呼んだらよいでしょうか?
「お前の答えは何だ?」という声があがることだろう。パターナリズム(Paternalism)が妥当な答えだろうが、動物農場主義(Animal Farmism)1というのも捨て難いところだ。
- 訳注;おそらくはジョージ・オーウェルの小説『動物農場』からとってきているものと思われる。「牛」という動物が関わっているという点に加えて、搾りたてのミルクを自分の好きなように飲んでいいのかどうかという細かいところにまで政府が口出ししてくる様が『動物農場』で描かれている全体主義っぽい雰囲気に似ていると考えて「動物農場主義」と呼んだのだろう。 [↩]
基本的権利(fundamental right)というのはUS憲法上特別な意味を持った概念なので、ミルクを飲むのを禁止するようなパターナリスティックな法律が実際に妥当かどうかは別として、基本的権利ではないだろうというのが裁判所の立場なんでしょうね。