何をもって「事実」といえるのか~STAP細胞の論文を通して見る科学の作法~

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結論を出すのは時期尚早ではないか。
科学、特に生物学において「事実」を明らかにするには時間がかかるから。
私はそう考えています。

こんにちは。科学コミュニケーターの志水です。

ここ一か月半、このブログや館内でのサイエンスミニトークなどでSTAP細胞についてお伝えしました。しかし、皆様もご存じのように、論文にさまざまな不適切な箇所があり、一部では不正が疑われています。そのため、STAP細胞の存在自体が疑問視される事態になっています。お伝えした者として、拙速な点があったことをまず皆様にお詫びしなければなりません。

この件を通して、私は改めて「科学における『事実』」とは何か、考えさせられました。このブログでは、「事実」を明らかにするために研究者はどのように取り組んでいるのか、そして、なぜ科学、特に生物学では「事実」を明らかにするのに時間がかかるのか、STAP細胞に関するこれまでの経緯を通してご紹介します。

3月14日、理化学研究所の調査委員会が中間報告を行いました。その中で調査委員長の石井俊輔博士は「調査委員会は不正を判定するのであって、科学的な事実は研究者コミュニティに任せる」※1という趣旨の発言を繰り返していました。

中間報告の発表会見をご覧になっていた方の中には「自分たちの仕事じゃない、なんて、何だか納得いかない」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、不正と科学的事実は分けて考えた方がよいと私は思います。

まず、STAP細胞について指摘されている点を二つに分ける必要があります。
一つは、「意図的に実験データを都合のいいように作りかえていないか。他者の文章からの盗用はないか。」という「不正の有無」に関する点、もう一つは「STAP細胞ができたことを示す実験データは十分に揃っているのか。実験データから結論に至るまでの論理は正しいか。STAP細胞の作製を他の研究者は再現できるのか。」という「科学的事実」に関する点です。

現在、疑問がもたれている点を以上の二つに分けると下の表のようになります。
20140316_shimizu_01.jpg 

これらの疑問が、現在までどのような検証を受けているのか、ご紹介します。

●不正の有無
現在、Nature誌、ハーバード大学、理化学研究所がそれぞれ独自に調査すると表明しています。3月14日の会見は、理化学研究所の調査委員会の中間報告です。関係者からヒアリングをしたり、著者たちから提出された実験ノートや実験サンプルやデータなどを精査したりしていて、現段階での調査を報告したものです。繰り返しになりますが、調査委員会は「不正が行われたかのみを対象として検証し、科学的事実については関与しない」という姿勢をとっています。
中間報告の全文は理化学研究所のサイトでご覧になれます。


●科学的事実
実験データから正しい事実を導けているのか。それは研究者コミュニティによって検証されます。データや論理の妥当性、実験の再現性といった点が他の研究者によって時間をかけて調べられます。
論文が発表された当初から、多くの研究者によって検証が行われています。どのような検証が行われたのか、見てみましょう。

①    学術誌に載せてもいいか、チェックする。
STAP細胞の論文は学術誌「Nature」に掲載されました。それまでに査読者(さどくしゃ)とよばれる人のチェックを受けたはずです。査読者は、論文の研究分野に関係する研究者がつとめます。「STAP細胞ができたことを示す実験データは十分にそろっているか」などという点を満たすことができて、初めて論文が公開されることになります。※2

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・・・ですが、「論文が学術誌に載れば、真実と認められた」というわけではありません!他の研究者の検証にさらされ、さらに実験が再現されることではじめて、研究成果の確からしさが増していきます。
STAP細胞の場合、この検証でいくつかの疑問が見つかったわけです。

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②    多くの研究者が論文を吟味する
STAP細胞の論文が公開されると、研究者が論文に関して議論を行いました。例えば、科学者のオンラインコミュニティ「PubPeer」があります。ここでは、論文が公開された1月29日その日に議論が始まっています。「この図は正しいのだろうか?」「この実験は他の研究者でも再現できるのだろうか?」そんな疑問に多くの研究者がコメントをつけています。また、論文のデータを解析して、著者たちがSTAP細胞(刺激を加えることで多能性を得た細胞)としているものが、ほかの細胞という可能性はないかを確かめる動きもあります。

③    実験を再現し、その結果を報告しあう
さらに世界中の研究者がSTAP細胞をつくれるのか、実験を行いました。呼びかけ人である細胞生物学者のPaul Knoepfler・カリフォルニア大デービス校准教授のWebサイトには、各研究者の実験結果が集められました。しかし、そのほとんどが「再現できない」というものでした。※3(「一部再現できた」とする報告も以前はありましたが、元の論文と完全に同じ現象が見られるには至らず、ご本人もSTAP細胞の作成には至らなかったという結論を出しています。)

著者たちは、3月5日にSTAP細胞を作成するときの詳しい手順を公開しましたが、3月16日現在、STAP細胞ができたという報告はありません(初期の途中段階までならば、できたという非公式の報告はあります)。

しかし、科学、こと生物学においては、結論を急ぐべきではないように思われます。というのも、生物学の実験はそもそも再現が難しいことが知られているからです。


同じ学術誌Natureに昨年発表された記事※4によると、例えば、アメリカの製薬企業Amgen社が選んだ53の前臨床研究(薬を人に使う前に行う動物実験)の再現実験を試みたところ、わずか6つ(11%)の事例でしか、再現に成功しなかったそうです。
生物学の実験では、実験手法のほんのささいな違いが原因で、再現がうまくいかないことがよくあります。再現に成功した事例では、使う薬品をきちんと表示していたり、データを完全な形で提示していたりしたそうです。

見てきたように、科学的事実が認められるには、多くの研究者の手間と時間がかかります。科学的事実に限ると、長いスパンで見る必要があるのではないでしょうか。

STAP細胞の論文が発表されたとき、私はその科学的事実を疑いさえしませんでした。多くの報道も、その成果を称賛するものがほとんどでした。「『科学的事実』は多くの科学者の検証、再現実験によってはじめて立証される」ということをすっかり忘れてしまいました。しかし、騒動が大きくなっている今こそ、その点を改めて肝に銘じて、冷静に研究者による検証を見守る視点が必要なのだと、自戒の念を込めて書かせていただきました。

※1 ただし、理化学研究所として「研究者コミュニティに任せる」だけでよいのか、はなはだだ疑問です。論文に不正の疑いがある研究の再現実験を進んで行う外部の研究者はなかなかいないのではないでしょうか。外部の第三者に検証を委託することも検討すべきであると考えます。ちなみに、共著者であり、理研 発生・再生科学総合研究センター(CDB)に所属する丹羽仁史プロジェクトリーダーが再現実験を行う意向を表明していることを、14日の中間報告の記者会見で竹市雅俊・理研CDBセンター長が明らかにしています。
※2 査読者に求められているのは「科学的事実を証明するのに十分なデータがそろっているか、重要な発見か」という部分の判断です。「○○の実験をした結果のデータがこれです」と説明されているデータが、本当にその実験から得られたものであるかの検証までは行わないのが普通です。
※3 ただし、使う細胞や試薬などがSTAP細胞の論文と若干異なっています。
※4 http://www.nature.com/news/nih-mulls-rules-for-validating-key-results-1.13469


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