from Amber to Zen

2014-03-16

ちょっと昔(少なくとも1950年代くらい)まで、赤子のことを「赤さん」といっていた?

これは、前から気になってたことなんですが、少し古い小説を読むと赤子のことを会話や地の文で(「赤ちゃん」でなく)「赤さん」と呼んでいるというのに出くわすことが何度かありました。

例↓

そのときには今のあき子さんがまだ五つか六つかで、下の坊ちゃんはほんの赤さんであった。
(鈴木三重吉『桑の実』、1914、岩波文庫、p.11)


「普通の赤さんだと先刻(さっき)の痙攣で大概いけねくなるのですがね。よく抵抗しました」
(志賀直哉『和解』、1917、新潮文庫、p.41)


「(前略)その一つは、私がどこかの浜辺の芝生のような所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤さんと遊んでいる景色なの、それは可愛い赤さんで、私は姉さまぶって、その子のお守りをしていたのかもしれませんわ。(後略)」
(江戸川乱歩『孤島の鬼』、1929-1930、創元推理文庫、pp.24-25)


(強調は全て引用者。以下同じ)ひとつめは地の文(視点人物は女性)、ふたつめは男性の会話、みっつめは女性の会話です。

これっていつごろまで使われてた言い方なん?、と思って青空文庫を「"赤さん"」で検索してみたら結構ヒットしました↓

????? site:www.aozora.gr.jp - Google ???? <- "赤さん" で青空文庫を検索した結果

いくつか抜き出すと、

『……鶴さん、些ちっとも未練残さねえで、えれえ働きをしてね、人に笑われねえで下せえよ。』
 と、眼には涙がほろほろと溢れてお居ででしたが、『お前さんが戦死うちじにさッしゃッても、日本中の人の為だと思って私諦めるだからね、お前さんも其気で……ええかね。』と、赤さんを抱いてお居での方は袖に顔を押当てお了いでした。
広津柳浪 昇降場 (1905)


こう云うしばらくの沈黙の後のち、敏子は伏せた眼も挙げずに、突然かすかな叫び声を出した。
「あら、お隣の赤さんも死んだんですって。」
「お隣?」
芥川龍之介 母(1921)


妹は亡くなりますし。
随分わたくしあの赤さんには困りましたわ。
そのくせあの世話ならもう一度いたしたいと思いますの。
本当に可哀い赤さんでしたもの。
Johann Wolfgang von Goethe 森鴎外訳 ファウスト FAUST. EINE TRAGODIE ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1928)


トヨ 大事になさらんと、いけんぞえ。あんたが病気になつたりすると、赤さん可哀さうだ。
三好十郎 妻恋行 (1935)


いちどは、築地の新喜楽で一しょになり、その頃そろそろ、酒と湯とを半々にして飲んでおられたが、その席へ私の家から電話があって、長女の安産を知らせてきた。すると大観さんが、この場へ吉報があったのは御縁だから、その赤さんの名はわたしが付けるといい出された。しかし酒興の事だしとこちらさえ忘れていると、お七夜の朝、水ひきを掛けた一紙の絵がとどけられた。それに画題を曙美あけみとして、おやくそくおめでとうと、かいてあった。その曙美はすでに女子大高校生で西生田の寮にいる。大観さんの訃を知ったら、きっとあの子は泣くだろうと思う。その後も会うごとに『おいくつ』『ご丈夫』と、この名付け親はお忘れなくよくきいて下すったものだった。
吉川英治 落日の荘厳に似る ――大観画伯の終焉 (1958)


新しい例では、吉川英治「落日の荘厳に似る――大観画伯の終焉」(1958)ですから、結構最近ですね。

でも、今、普通の会話で「赤さん」なんていう人いないですよね。いつごろから使われなくなったんですかね? 

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