公開日:平成20年4月1日
最終更新日:平成25年4月16日
「文化財」とは、文化財保護法(昭和25年)によると「わが国の歴史、文化の正しい理解のため欠くことのできない」「将来の文化の向上発展の基礎をなす」国民的財産と規定されています。
板橋区では昭和58年に文化財保護条例を定め、区内の文化財の保護・活用に努めています。
板橋区では「文化財」を[1]有形文化財[2]無形文化財[3]有形民俗文化財[4]無形民俗文化財[5]記念物の5つに区分しています。
「文化財」のうち区が公共的見地から保存に努めるべきものとして登録したもの。
登録文化財のうち、特に重要なものを広く保護すべきものとして指定したもの。
板橋区教育委員会では、3月27日に新たに5件の文化財の登録を決定し、告示しました。これにより、区の登録文化財は165件(うち指定文化財35件)になりました。
【新たな文化財の登録】
昭和8年(1933)の中山道(現国道17号線)拡幅工事に伴い新築された建物です。建物は原木商を営む店舗部分と住居部分が一体となっており、入母屋造りの平屋に2階をのせた複雑な構成を取ります。外観は、破風を各所に見せる複雑な屋根構成や、2階の窓の手摺に寺社の高欄風の反りを持たせるなどの意匠が見られ、外壁には真壁漆喰塗りを施しています。
近接する志村一里塚と一体化した町のランドマークとしても親しまれており、区を代表する近代和風建築です。
昭和11年(1936)に分譲を開始した常盤台住宅地の中に、同年音楽家山本正夫が帝都学園女学校を設立し、同17年には財団法人帝都学園高等女学校の認可を受けました。その後、同21年に漏電により校舎の三分の二を焼失しましたが、現在の帝都幼稚園の建物は焼失を免れた建物を移築して使用しています。また、幼稚園正面の門柱は同39年に卒園生が寄贈していますが、その設計は当時南常盤台に居住していた童画家の武井武雄によるものです。
この園舎は、常盤台住宅地の草創期の数少ない建造物で、建築史上、また区の近代の歴史を明らかにする上で重要な資料です。
安井芳一家は徳丸地域の旧家で、江戸時代に徳丸本村の組頭や年寄を、明治期には戸長や赤塚村役場収入役などを務めていました。当史料は江戸時代に徳丸ヶ原で行われた砲術訓練や、近代の戸長役場文書が存在し、江戸時代から近現代にかけての赤塚・徳丸地域の歴史を明らかにする上で、基礎的な史料です。
阪昌周は、幕府連歌師である里村昌迪の子として享保元年(1716)に誕生し、瀬川昌郁について連歌を学び、別家阪家を起こして、宝暦9年(1759)から天明2年(1782)まで連歌宗匠として幕府の連歌始めなどに出仕している。当碑は、天明4年(1784)11月5日に亡くなった昌周のために、長男昌文が日曜寺へ歯と髪を埋めて建てたもので、江戸時代以来の日曜寺への信仰を示すものの一つとして貴重であり、区の歴史上重要と認められる。
この富士塚は弘化4年(1847)の奉納石碑や、安政2年(1855)の石祠などが、板橋宿の人々によって塚上に建てられていることから、19世紀の中頃には築造されていたと考えられ、区内最古の富士塚です。当富士塚は、下板橋宿の鎮守である氷川神社境内地にあり、当該地域と周辺地域における富士山登拝講の活動状況や地域の歴史、信仰、民俗・風習などの実態について考えるうえで貴重な史跡です。
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