「少し」というところが、いい。東京都品川区が「英語少し通じます商店街」というプロジェクトを始める。2020年の五輪では区内でも競技がある。 大勢の選手や観客を迎えたいと考え、企画した 。
▼なぜ少しか。英語を話せますと胸を張る日本人は限られる。でも「少しなら」と思っている人は結構いる。 そんな人が積極的に話すきっかけになれば、と担当の寺嶋清(てらしまきよし)課長。外国人にお店に出向いてもらい、注文や支払いなどのやりとりを学ぶ
▼半世紀前の世相を作家の丸谷才一さんが活写していた。五輪だからといって〈何も一億総通訳みたいな雰囲気をあおりたてる必要はなかろう〉 (石井正己〈まさみ〉編『1964年の東京オリンピック』)。2回目は少し肩の力を抜いて臨めるだろうか
▼柔らかな笑みが人を迎える作法とすれば、こちらはあまりに剣呑(けんのん)な表情だ。
「JAPANESE(ジャパニーズ) ONLY(オンリー)」という横断幕が先日、埼玉のサッカー競技場の観客席入り口に掲げられた。 日本人だけ、つまり「外国人お断り」である
▼心ない行為というほかない。以前にもあった。北海道内の温泉施設が外国人お断りの張り紙を出し、米国出身で日本国籍をとった男性らの入浴を拒んだ。 裁判所は「人種差別」だとして慰謝料を支払えと命じた
▼ヘイトスピーチといい、強面(こわもて)がはびこって穏やかさが失われている。人を拒み、締め出す。人を迎え、受け入れる。どちらの社会が住みやすいか。 寛容という作法を学びあいたい。まずは少し、でいいから。
朝日新聞デジタル 2014年3月13日(木)付
>寛容という作法を学びあいたい
朝日新聞の言う寛容とはどういう物なのでしょうか?
普通寛容と言うのは、自分の気に入らない人や価値観も全て寛大に受け入れて認める事です。
世の中には色々な人がいます。
日本に外国人を受け入れたいと言う人もいれば、外国人の受け入れは拒否して日本人の為の日本を守りたい人もいます。
朝鮮人が好きで仲良くしたい人もいれば、嫌いで出て行って欲しいと思う人もいます。
寛容であることを重んずるなら、これらの意見を全て寛大に受け入れるべきです。
>人を拒み、締め出す。人を迎え、受け入れる。どちらの社会が住みやすいか。
どちらが住みやすいかは人によって違います。
なるほど不法滞在外国人やその他日本社会の害になる外国人達にすれば、無条件で「人を迎え、受け入れる」社会は大変住みやすいでしょう。
しかしそんな社会になったら日本人にとっては日本が大変住みにくくなってしまいます。
しかも外国人は日本が住みにくくなったら本国へ帰れば良いのですが、日本人は幾ら日本が住みにくくなっても日本に住み続けるしかないのです。
本来寛容と言う事の意味を知るなら、こういう日本人の立場を十分に考慮するべきです。
しかしこの文脈を見る限り、朝日新聞はこのような考慮は一切していません。
朝日新聞の寛容と言うのは実は自分の気に入らない意見を「不寛容」として完全に排除して、自分の意見を強制する事なのです。
そしてこれは究極の不寛容です。
正直言ってワタシは今回の浦和レッズの「japanies only」の横断幕で何でこれほど騒ぐのか理解できません。
なるほどこれが飲食店に掲げられた物なら外国人締め出しですが、しかしサッカーの試合でサポーターが掲げたら意味不明としか言えません。
これが李忠成選手への差別だと言う意見もありましたが、これは益々不可解です。
なぜなら李忠成選手は既に日本に帰化しています。 だから彼はJapaniesなのです。 だから幾つかの国際試合で日本代表チームに入っています。
「Japanies only」は李選手を閉め出す差別だと言う人達は、日本国籍をとって日本代表になった選手でも、生まれが外国人だったらJapaniesと認めないのでしょうか?
これこそ完全な人種差別です。
自分達の人種差別を棚に上げて他人を人種差別と喚くこのような馬鹿騒ぎこそが、まさに不寛容その物ではありませんか?
朝日新聞は戦前、自分達の売り出した忠君愛国妄想に少しでも反対する人達を「非国民!!」「売国奴!!」と罵り、社会を扇動する事で、日本を戦争へと導いた過去があります。
朝日新聞は実はこの「不寛容」を商売道具にしてきたのです。
その新聞が自分の招いた悲劇に反省をする代りに、進化を発展を続けた結果がこの「寛容の作法を学ぼう」と言うブラックジョークでしょうか?
ワタシは自由を愛する人間として、そして寛容な人間として日本を、朝日新聞の望む「寛容な社会」には絶対にしたくありません。
朝日新聞の望む寛容な社会とは、つまり究極の不寛容社会、恐怖社会だからです。