人格なんてロンダリングした方が良いということについて

昨今世を騒がせている佐村河内守氏、小保方晴子氏などを見ると、第一印象とストーリーで大体「その人がやったことがどれだけ注目されるか」が決まることがわかると思う。結果的にゴーストライターだったにせよ、捏造だったにせよ、彼らの成果は人々に届いたのだ。そりゃ本当に作曲した交響曲であれば、本物のSTAP細胞であれば美しい話になっただろう。そうならなかったのは本当にクソだと思う。

しかし、いかなる成果にせよ、出た瞬間に厳しい競争にさらされる。例えば佐村河内守の曲は現代音楽の高度な技巧に比べたら「古い」ものであり、万能細胞に関してもイノベーションが進んだのはここ10年の話で、これからさらなる革新的な成果が出てもおかしくない。要は今出ている成果は飽くまでいま出ている成果にすぎない。アンフェアな手段を使わなかったとしても、厳しい競争にさらされるのは変わりがないのだ。重要なのは、成果が評価される土俵に彼らが上がったということなのだ。その結果としてゴーストライターや捏造が明らかになったということだ。

逆を見てみよう。もし第一印象が悪くて、大したストーリーも持たない人間が、素晴らしい成果を出したら?んなもん誰も見やしない。もしゴーストライターや捏造があったとしても、それは検証されることすらない。だって、誰も関心を持たないのだから。そういう状態で努力して成果を出したり、人に頑張って伝えようとする人々を何度も見てきた。大半は、成果やアイデアを出すより遥かに長い時間、人に注目されるために費やしているように見える。

はっきり言って、これだけのストーリーを大半の成果を出せる人は持っていない。地味な表に出ない作業が成果の条件になることは多い。その中で、人生のストーリーを紡げる人がどれくらいいるか。前お世話になったマーケティングの教官には、自分自身のブランディング(セルフブランディングとは意味合いが違う)なんてやりゃどうにかなると言われた。まあしかし、それをやるには相当の努力とリソースが必要なんだよな。

ということで、この2人の騒動で最終的に勝利したのは、問題を追求した人々でも、エンターテイメントとして消費した人々でも、当事者ですらなく、本人の第一印象とストーリーそのものだったと私は思う。全聾の作曲家なら、リケジョなら外からの評価の対象になれる。そういうことが成果の前提条件としてあるのだ。

実際、誰かがやったことで表に出ているものの大半は、自分自身の成果として出ていないと思う。例えば会社がそうだ。「〜社の〜製品」という形で出せば、世に出すことができる。大学、ネットその他のコミュニティに所属していても、「ああ、〜さんがいるところの方ですか」という形で、自分自身ではなく偉い誰かの一部として受け取られる。

ということで、もう自分自身のストーリーとか印象を良くするのを捨てて、皆ガンガンゴーストすればいいと思う。現代音楽以前のクラシック音楽なら佐村河内さんに売れば全部世に出るし、新しい細胞が出たら小保方さんにあげれば全部世にでる。その方が圧倒的に効率が良い。俺は地味な作業をやる。あとは任せた。そういうのでいいんじゃないか。どうせ人が表に出られる場面なんてたかが知れている。だったら全部裏方で良い。人格ロンダリングで成果を世に出そう。