社説:集団的自衛権と憲法 問題だらけの解釈変更

毎日新聞 2014年03月14日 02時30分

 集団的自衛権をめぐる政府の憲法解釈は、1981年に現在のものに定着し、以後30年以上維持されてきた。解釈が定まっていない時期に変遷をとげた経緯はあっても、定着し国民にも浸透した解釈が、がらりと変わったことはない。

 その中で、内閣の一部局として政府の憲法解釈を担う内閣法制局が、過去に自らの憲法解釈を変更したと認める例が一つだけある。

 ◇論理性や整合性乏しい

 憲法66条2項は、首相と閣僚は文民でなければならないと定めている。自衛官が文民かどうかについて、自衛隊発足当初は「文民」としていたが、65年に佐藤内閣で「文民に当たらない」と解釈を変えた。

 自衛隊制度が育ち、武力組織であることがはっきりしたため、武力で治める政治を防ぐ憲法の精神に照らし、自衛官は首相や閣僚になれないよう解釈を厳しくした。これは論理性があり、国民の理解が得られる憲法解釈の変更といえるだろう。

 しかし、安倍首相が目指す憲法解釈変更に、こうした論理性や過去の憲法解釈との整合性は乏しい。

 安倍政権内で解釈変更の根拠になると考えられているのが、59年の砂川事件最高裁判決だ。

 基地拡張に反対して米軍基地内に侵入したデモ隊への刑事罰をめぐり、日米安保条約と米軍駐留の合憲性が争われた裁判で、最高裁は日本が「固有の自衛権」を持つことを認め、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」とした。

 安倍政権は、ここから集団的自衛権の行使は認められていると導き出す考えのようだ。しかし、集団的自衛権の解釈が確立しておらず、最高裁がそれを想定していたかどうかはっきりしない半世紀以上前の判決が根拠になるだろうか。

 政権内では、集団的自衛権を「持っているのに使えないのはおかしい」という議論もよく出る。国際法上認められている権利でも、国家の理念や政策上の判断から行使を留保するのはおかしいことではない。

 安倍政権は、4月にも首相の私的懇談会の報告書が出るのを受けて、与党協議を行い、今国会中にも行使容認を閣議決定するとみられる。議論も国民の理解も不十分で、乱暴すぎる。拙速に進めてはならない。

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