社説:集団的自衛権と憲法 問題だらけの解釈変更

毎日新聞 2014年03月14日 02時30分

 集団的自衛権をめぐる国会の議論は、安倍政権が見直しの全体像をまだ明らかにしていないこともあって、憲法の解釈変更という手法が妥当かどうかに集中している。

 私たちは先に、安倍政権の外交姿勢や歴史認識への懸念から、集団的自衛権の行使容認に今踏み出すべきではないと主張した。

 そのうえで、憲法解釈の変更という手法についても、あまりに問題が多いことを指摘したい。一内閣の判断だけで、安全保障政策の重大な転換を行い、戦後日本の平和主義を支えてきた憲法9条を骨抜きにしてはならない。

 ◇9条の根幹にかかわる

 憲法解釈変更についての国会の議論に火をつけたのは、2月12日の衆院予算委員会での安倍晋三首相の答弁だった。

 首相は「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で国民から審判を受ける」と述べた。

 首相の発言に野党だけでなく自民党の一部からも批判が起きた。選挙で勝ちさえすれば、その時々の政権が憲法解釈を自由に変更できると受け取られたからだ。

 首相がそう考えているのなら、憲法は国家権力を縛る最高法規だという立憲主義の否定につながる。誤解を招いても仕方ない発言だった。

 集団的自衛権は、日本が直接攻撃されていなくても、米国など密接な関係にある国への武力攻撃に反撃できる権利だ。

 歴代政権は、日本は国際法上は集団的自衛権を持っているが、憲法9条のもとで許される必要最小限度の自衛権の範囲を超えるため行使できない、と解釈してきた。つまり、自衛隊は海外で武力行使ができないということだ。

 戦後の日本は、憲法9条のもと専守防衛の基本原則に従って、安全保障政策を積み上げてきた。

 集団的自衛権の行使を認めれば、自国を守るだけでなく他国を守れるようになり、自衛隊が海外で武力行使できるようになる。

 これは憲法9条の理念を転換し、根幹を変えてしまいかねない重大な変更だ。憲法解釈で変更できる許容範囲を超えている。閣議決定だけで、変えていい性質のものではない。

 しかも、憲法解釈の最終的な「権限」は、憲法81条に定められているように最高裁にある。政府は行政運営にあたって憲法を適正に解釈する「責任」を持っているに過ぎない。その政府がここまでの解釈変更をしていいのかも疑問だ。

 政府が自ら積み上げてきた憲法解釈との整合性や論理性を軽視して、憲法解釈を自由に変更することはできないことも指摘したい。政府の憲法解釈や憲法そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないからだ。政府が恣意(しい)的に解釈を変更すれば、国際的信用にもかかわるだろう。

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