「デルマ警察署」と書かれた紙をはったテントの前に立つダニエル・アントワン署長(右から2人目)=ポルトープランス、平山写す
【ポルトープランス=平山亜理】大地震に見舞われたハイチの首都ポルトープランスで、警察は徐々に動きを取り戻しつつある。だが、多くの警官が地震の犠牲になり、施設も損壊した。ハイチ当局による治安維持能力の低下は否めない。最大の懸念材料として挙げられるのは、崩れた刑務所から逃走した多くの受刑者たちの存在だ。
ポルトープランスのデルマ署。かつてあった4階建ての建物は崩壊して姿を消し、跡地にテントがいくつか並ぶ。出入り口に紙で書いた署の「看板」がはられていた。
この警察署では400人の警官が勤務していたが、地震で下敷きになり12人が死んだ。ダニエル・アントワン署長(36)は、署外にいて難を逃れ、地震の5日後から働き始めた。280人で業務を再開したが、残りの100人余りは行方不明のまま。自宅や出先で命を落としたらしい。
「仲間が大勢死に、拳銃や設備も多くを失った。海外からの支援は助かる」
町では、大規模な暴力ざたは起きていない。だが、届かない支援物資配布を待つ一方の被災者たちの間には、殺気だった空気が流れている。
地震後、首都で警察が把握できた殺人事件は2件。機関銃7丁が押収された。徐々に小さな商店が営業を始めているが、強盗の恐れもあり、頻繁なパトロールが必要だ。
港湾地区や、貧民街のシテ・ソレイユ地区では、生き延びるため食べ物を盗む人もいる。国家警察で首都地区責任者を務めるミケランジ・ジェデアン警視(37)は「略奪が課題だ。空腹でやむを得ず倒壊した建物から食糧を持ち出すような人と、組織的、常習的な犯罪をどう見分けるかも重要な問題だ」と語る。
首都で地震直後から唯一機能していた別の警察署では、前庭の一部が金網で囲い込まれ、中の男たちがフェンスを握りしめながら叫んでいた。
「出してくれ」「4日もここに閉じこめられている。水も食べ物もくれない」。これが臨時の留置場だという。
ジェデアン警視は「早く司法制度が機能しないと、身柄を拘束しても裁判にかけられない」と話した。
ポルトープランス刑務所からは、3500人の受刑者が3人を除いて脱走したと伝えられる。訪れてみると、入り口の部分が真っ黒に焼けこげていた。
近くに住むエアコン整備業サンティル・ジャクミシェルさん(38)は地震の日、受刑者たちが騒ぎ出し、刑務官の詰め所に火をつけ、逃げ出す様子を目撃した。彼らは被災者の流れと反対に走って逃げ、後ろから、警察の銃声が何発も聞こえたという。まだ大半は逃走中だ。
そうした人物が支援物資を盗んだり、銃を突きつけ金を脅し取ったりする事件が起きている。「友達が何人もやられた。受刑者はそこら中にいる。夜はとても歩けない」
ハイチは長年の政情不安の中、民兵組織がギャング化し、誘拐や殺人も多かった。民兵の武装蜂起は、2004年の国連平和維持活動(PKO)派遣にもつながった。
朝日新聞と会見した国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の長、エドモンド・ムレット国連事務総長特別代表は29日、PKOの成果で「ここ数年はハイチの治安は安定していた」と話した。
ところが今回の脱走囚の中に、国連PKOが身柄を拘束した元民兵も含まれているという。ムレット氏は「彼らは町中に散らばった上で、再び組織化して罪を犯しつつある」と懸念を表明した。