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【坂本龍一×東京新聞】

坂本龍一さんと福島を歩く 福島同行ルポ

 脱原発や環境などの問題に積極的に取り組んできた音楽家の坂本龍一さん(62)が、東日本大震災から三年の十一、十二の両日、被災地の福島県双葉町と、いわき市の志田名(しだみょう)を訪ねました。

 坂本さんと、より幅広い読者に届く報道について考える「坂本プロジェクト」を昨年から展開してきた東京新聞は、この福島訪問に同行しました。

 今なお残る、福島第一原発事故による放射能被害や、復興とはほど遠い状況に置かれた町で人びとが抱えている思いとは−? 坂本さんが見た「福島のいま」をお伝えします。

     ◇

 坂本龍一さんに同行し、福島県双葉町と、いわき市の志田名(しだみょう)・荻(おぎ)地区を歩いた。双葉町は、東京電力福島第一原発事故により、今なお住民が帰れない帰還困難区域。志田名は、住民自ら放射線量を測り、除染に携わってきた。そこには、住民たちが闘い続けなければならない、厳しい現実が横たわっていた。 (大野孝志)

防護服やマスクを身に着ける坂本さん(左)と木村准教授=11日、福島県楢葉町で

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◆11日 双葉町

除染目標300倍超の線量

 崩れた家や店が手付かずのまま、時間が止まったかのような双葉町。十一日の午後二時四十六分。震災が発生した時刻は、黙とうを告げる放送もサイレンもなく、静寂の中で迎えた。

 「イノシシがいます。危ないから車に入って!」。案内役の町職員の声が、人影のない商店街に響く。大きな影が横切ると、再び静寂に包まれた。

 福島第一原発から四キロ。放射線量が特に高い山田地区では、線量計が毎時七五・四マイクロシーベルト(一マイクロシーベルトは一ミリシーベルトの千分の一)を示した。国が除染の長期目標としている、〇・二三マイクロシーベルトの三百倍を超える。人が暮らしていた所では初めて見る、高い値だ。

 朝から冷え込んだこの日、ダウンジャケットの上から防護服を着て双葉町に入った坂本さんは、その線量計をのぞき込み、じっと見つめた。

 ここはくぼ地になっていて、放射性物質が雨水で集まり、泥やコケの線量が特に高い。少し離れたモニタリングポストは、一二・五マイクロシーベルトを表示。場所によって、線量は大きく違う。

 町役場も無人だ。中に入ると、職員の靴や非常食が散乱し、「格納容器圧力、異常上昇」「3/12 AM8:00〜内閣総理大臣来庁」などと書かれた紙が張り出されたまま。混乱と苦闘しながら、あわてて避難したことがうかがえた。

 今回の訪問は、放射能汚染の状況を住民とともに調べ、被ばくを防ぐ対策を進めている独協医科大の木村真三准教授が案内役を務めた。住民らは今も、三十九都道府県で避難生活を続けている。町の復興まちづくり委員でもある木村准教授は「町には当分帰れない。現場の実態を知ってほしい」と話す。

 町には福島第一原発の5、6号機があるだけでなく、国は除染で出た汚れた土の中間貯蔵施設を造ろうとしている。その場所は、役場の目の前。すぐ横に残る「原子力 郷土の発展 豊かな未来」の看板の文字が、つらすぎる。

 「仮の住まいではなく、きちんとした家がほしいだろうし、事故前と同じように働きたいだろう」。坂本さんが住民の気持ちをおもんぱかった。現実を突きつけられれば、「帰還ありき」の賠償や支援は、住民を苦しめるだけではないだろうか。

 防護服とマスク、ゴーグルで一日歩き回った坂本さんは夕方、町を出て普段の服装に戻ると、深くため息をついた。


除染した土を入れた土のうの山を見つめる=12日、いわき市・志田名で

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◆12日 志田名(いわき市)

土ねえとコメ作れねえ

 福島第一原発から南西に二十八キロ。十二日に訪ねたいわき市の志田名・荻地区は雪に包まれていた。市の中心部から車で二時間以上かかる、山間部だ。放射性物質のたまりやすい沢筋にある。除染後の今も、平均で毎時〇・四マイクロシーベルトと、国の目標値(〇・二三マイクロシーベルト)を超えている。

 車がやっとすれ違えるほどの道の両側に、大きな青い土のうが積まれている。その中には、除染で取り除いた汚染された土が入れられ、仮置き場に運ばれる順番を待っている。

 移動する車の中からその光景を見た坂本さんは「本当に、あちこちにあるなあ」と、驚きの声を上げた。

 志田名は事故から一カ月で、屋内退避の指定が解除された。だが、ここの住民は、地元の汚染がひどいことを知っていた。大越キヨ子さん(65)が、避難した孫が帰れるかどうかを調べようと、線量計を買って家の周りを測っていたからだ。さらに、地元市議の依頼で木村准教授が調べると、一〇マイクロシーベルトを超える高い値だった。

 若者や子どもは避難。残った住民の有志が、地元の実態を詳しく知ろうと、地域の線量を自主的に測り、汚染マップを手作りした。そのマップや地形の分かる立体模型は、今も集会所に残る。坂本さんはゆっくりとうなずきながら、こうした住民の説明に耳を傾けた。

 住民は測定結果を根拠に市や国に除染を求めた。土のうの仮置き場は、住民同士で徹底的に話し合い、水害の恐れがなく、人家から遠い山頂近くに設けることにした。仮置き場に着くと、坂本さんは土のうの山を静かに見渡した。

 除染作業は地元の建設業者が受注し、住民も加わっている。だから、業者も行政も、いいかげんなことはできない。ただ、除染が終わるまでに発生する土のうは、この地区だけで三万袋、四・五万トン以上になる。大型トラック四千五百台分だ。仮置き場は三カ所に確保しても、足りない。

 さらに、稲作農家は牛に稲わらを、牛からの堆肥は稲作に−という今までの循環が、牧草地や田の汚染で断たれた。除染で田畑の表土をはぎ取ったため、農業の復活には、土づくりから始めなければならない。

 「土がねぇと、コメも作れねぇ。除染したって、すぐに稲作ができるわけじゃねぇ。長い年月がかかるんだ」。高齢の男性が、直面している現実を訴えた。


被災地を眺め思いをめぐらす坂本龍一さん=11日、福島県双葉町で(大野孝志撮影)

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