早稲田大学のコピペ文化が話題になっているので、早稲田の理工ではコピペに対してどのような教育がなされているのかの現状を書きたい。ちなみに、私は早稲田大学の理工を5年ほど前に卒業し、某国立大学の大学院に進学し、いまはふつうの社畜である。
今になってはとても反省しているが、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではないと思う。
早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まり、レポートの量も増え、求められるものも増える。レポートはダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である。規則は厳しい。
そこで、そのとてつもない量のレポートを量産するため、学生たちは必死にコピペを行う。先輩たちから大量に受け継がれてきた「過去レポ」をもらい、それを切り貼りして組み合わせるのである。切り貼りする手間がないときは、一字一句同じレポートが作られる。写経である。
教授陣はコピペを容認している。学生がコピペを多用するのを知っていているため、私のいたときはレポートはすべて手書きでないと認められなかった。つまり、こういうことだ。どうせ殆どの学生はコピペをするのだから、それをパソコン上でやっては何も身につかないので、せめてコピペをして書いて覚えさせよう、と。実際に何人かの先生たちはそれを公に口にしていた。写経ならまだ意味があると。
国立大学にいってびっくりしたのだが、国立大学の理系と早稲田のような私立大学の理系では学ぶ環境が全く違う。私の進学した大学院では、教授ひとりにつき1学年あたり学生は3人までしか認められていなかった。しかも、研究室には実験を手伝ってくれる技術の人がだいたい雇われている。
一方早稲田の理系は、お金がないからなのか学生と先生の比率がおかしい。研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は30人強いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。先ほどの1年生や2年生のレポートも、教授が見るには多すぎるので、ほとんどは修士課程の学生が採点を行う。そのため、かつて自分たちが行ってきたコピペを批判するケースはない。コピペでも必ずレポートは通過する。
1年生,2年生,3年生と学年が上がるにつれてひたすらコピペを繰り返してきた学生は、卒業論文でもひたすらコピペを行って卒業する。もちろん自分から書く人もいるが(私は研究室ではじめての研究分野だったため、卒論をコピペするにもその対象がなかった)、ほとんどの人は先輩の修論や卒論をコピペする。研究をやったといっても、学部の研究レベルといえば、次のようなものだ。「すでに過去の研究によって、日本ではトンコツラーメンが作られている。ただし、そこにほうれん草を入れた人はいない。そこで私はほうれん草をいれた」というようなレベルだ。
そうやってコピペされてできあがった卒論や修論は、教授には見てもらえない。できあがった卒論や修論を一番読むのは、それをコピペする次の学生である。
早稲田の理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。私が在籍していた研究室には、三角関数のsinを理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。
このように、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではない。そのため、今回話題になっていることも、早稲田出身から言わせれば、なんら違和感はないのではないだろうか。私もコピペで突破してきたので、何も批判できない。
早稲田の奴の修論とか探せばコピペだらけなわけ? ある意味小保方擁護になるし全体の改善にもつながるしでいいことづくめじゃね
マジかよ、修論もコピペ有りなのか もう何でも自由過ぎてスーパーフリー状態だな
ありかなしかで言えば無しだし、そんな修士号に何も意味ないけど、 はっきりいって東大ですら、修士論文はその手のレベルの物もいくらでもある。 就職するってんで真面目に研究やら...