川合さんが阪大産研に着任(1983年)した当時から
「阪大ダイヤモンド誤認事件」を経た後まで(1994年)までの話。

川合教授は、「北浜が学会で前任者を中傷するビラを撒いた前歴がある」と筆者を「他人の誹謗中傷することを好む変人」であるように公言し、かつこのことを流布していることが確認できました。川合教授の「誠意を持って真実を述べる態度の欠如」を理解して頂くために、ここで1988年に当研究所の当研究室で起こった「ダイヤモンド誤認事件」とそれに関連する真実をここで初めて皆様の前に明らかにします。

1983年春、産研無機結晶材料部門(職員構成は教授:河合七雄、助手:北浜克熙、他に助手1名、教務職員1名、事務補佐員1名)の研究室に川合知二氏(以下川合さん)が助教授として着任しました。川合さんは光触媒(TiO2)を用いて水を分解して水素を発生する研究で、「エネルギー危機に貢献する」と張り切っていました。その実験の様子は1984年TRIGGER(トリガー:日本工業新聞社、4月号または6月号?)の表紙を飾り、その研究内容の紹介記事も同誌に載りました。当時38歳の若い川合さんが殆ど独力でそれに関する国際会議を産研講堂で主催するなど、人々の目には眩いばかりの「やり手」に映りました。河合先生は良い人材を連れてきた(助教授に推挙した)ことを誇っていました。しかし間もなく、河合先生と川合さんの仲が悪くなりました。原因はTiO2光触媒で発生する水素の収率でした。TiO2(Ptを担持させたりしたもの)に水を加えて攪拌機で混ぜながら2kWの紫外線ランプで24時間照射し続けても、水素の収量はたったの0.5ミリリットルということでした。河合先生は激怒して「『エネルギー危機に貢献する』等は笑止千万、豊田商事か川合商事か」と言って激しく川合さんの誇大宣伝と誇大発表をなじっていました。(豊田商事事件とは当時の有名な詐欺事件のことです。)
川合さんはさらに研究をさらにエスカレートさせて、「TiO2光触媒をアンモニアと反応させてアミノ酸を合成する」とか「光触媒で生成したアミノ酸を重合させて、ペプチドを合成する論文」を出したりしていましたが、その実験データはいつも装置の測定限界ぎりぎり(低いS/N比)のものであったため、河合先生のみならず研究室内の多くの人が川合さんの肯定的発表に疑問を持っていました。また他方で、川合さんは生命の起源について、海岸のTiO2、CO2、NH3がある場所で光が当たってTiO2の光触媒作用で生命が誕生したと言ったりしていました。この説は地学(古生物学者)専門家の批判を浴びたそうです。
同じ頃、私は河合先生をリーダーとして、レーザーCVD法によるダイヤモンド合成の研究に従事していました。不幸な「ダイヤモンド誤認事件」はこのような状況で起こりました。
詳細な文献、資料はクリックしてお読み下さい。

概略は以下の通りです。
この事件は86-89年にわたりは解決までに以下の6段階を経過しました。
(1)「レーザーCVDでダイヤモンドが生成した。」との誤った学会誌での発表。
[Appl. Phys. Lett. 49 634 (1986)]
(2)北浜の学会における発表(内部告発的、ビラ配布)
(3)河合先生は「見解の相違、ダイヤモンドが出来ている」と主張し続けた。
(4)北浜単独名の訂正論文発表[Appl. Phys. Lett. 53 1812 (1988)].
(5)北浜が自己浄化、再発防止のための善処を求めて、阪大総長、評議会議長、産研所長の三者に「嘆願書提出」
(6)河合先生は阪大評議員を辞すことにより謝罪の誠意を示し、訂正論文の共著者に加わることで、一応の決着をみました。[Appl. Phys. Lett. 54 968 (1989)].
「ダイヤモンド誤認事件」では、(3)の段階で河合先生は「ダイヤモンドであるか否かは見解の相違」という論を展開して非を認めず執拗に抵抗されました。私はこの解決を図る過程で、訂正データーを学会で口頭発表準備をするために川合さんの力を借りて、効果的なOHPシートの作成、発表演習を行いましたが、この時点で、川合さんも「真実を発表する誠意」の重要性を痛感したと思いました。そのとき以前の川合さんのやり方(再現性が未確認のままの発表、勇み足、誇大発表)はかなりひどいと感じていましたが、以下の理由から静観しようと決心して黙っていました。(1) 私との共著の部分が無いことや、(2)「ダイヤモンド誤認事件」で私が疲れていたこと、 (3)将来の自主的な更正を期待したためでした。
1992年になり、人の良い河合先生は川合さんを教授に推挙し、川合さんは金属材料部門(旧岡本研)の教授に就任しました。(世に言う予約人事:有能な人材を確保するための緊急措置)
1994年川合さんは河合先生の定年退官と同時に当研究室(旧河合研)に配置換え。同年、当研究所の改組により「高次制御材料研究部門・極微プロセス分野」に改名しました。
その後も川合さんは「再現性が未確認のままの発表」、「勇み足」、「誇大発表」を繰り返し、そのたびに名声(?)が増大したことは、すでに、他のhtmlファイル等で述べました。そこでは、(1)酸化物超伝導体の合成、(2)DNAのSTM観察、(3)p-type ZnO 作成に関して、川合さんの研究発表の不公正さを問題視しました。
この3項目に加えて川合さんに追加として今、尋ねたい。
「ダイヤモンド誤認事件で真実を発表する重要さを痛感したのではなかったのか?」と。

[なぜ今頃になって告発するのか]
私は、大学内、研究所内の良識や自浄作用を期待して我慢してきました。筆者(私)は停年(2005.3.31)まで残り14ヶ月しかありません。川合さんは日々に科学行政における影響力を増大させてゆく。もう誰にも止められそうもありません。さらに悪いことには、川合さんを広告塔として利用しようとする一部の人々(勢力)が、私の言い分の正義を認めても協力しようとしもせん。自浄作用は殆ど期待できないのが現状です。

[安っぽい正義感や私怨]と受け取る人がいるとすれば心外だ。
20年もの長きにわたり、川合さんのすぐ傍で「目撃した事」を語り行動できるのは私だけです。使命感を持って告発します。私の行動の価値は将来の歴史が決めると思います。私怨はありません。アカハラの類は派生したものです。問題の本質は「真実を誠実に発表する」ことに対する潔癖感の違いです。