【プレイバック芸能スキャンダル史】
旧芸名「悠木千帆」をオークションで売った樹木希林
2014年3月13日 掲載
新芸名だが、当初は本名の内田啓子を使うことも考えていたが、別居中の夫の内田裕也が「(内田を使うと)オレの個性がキミの芸にからんでくるようでマズイ」とクレーム。TBSの久世光彦プロデューサーは「そんなイージーな役者は死ね」とまで。久世は「母」という芸名はどうか。年をとったら濁点をつけて「ババ」にすればいいと提案したが、これは悠木が拒否。結局、4月2日の深夜に「樹や木が集まって希な林を作る、みんなが集まって何かを生み育てる」ということから樹木希林という芸名を考え、テレビでは5月スタートの「ムー」(TBS系)から使い始めた。
その後はすっかり樹木希林が定着。先月末日刊ゲンダイ本紙で紹介した通り「全身がん」を公表しながらも自然体で活躍を続けている。
◇1977年4月 4日、三菱電機がオーブンレンジを発売。5日、千昌夫「北国の春」リリース。24日、中山千夏らが「革新自由連合」を発足。24日、日本初の高速増殖炉「常陽」が臨界。24日、日劇ダンシングチームが定期公演を終了。29日、全日本柔道選手権大会、史上最年少の19歳で山下泰裕が初優勝。
その後はすっかり樹木希林が定着。先月末日刊ゲンダイ本紙で紹介した通り「全身がん」を公表しながらも自然体で活躍を続けている。
◇1977年4月 4日、三菱電機がオーブンレンジを発売。5日、千昌夫「北国の春」リリース。24日、中山千夏らが「革新自由連合」を発足。24日、日本初の高速増殖炉「常陽」が臨界。24日、日劇ダンシングチームが定期公演を終了。29日、全日本柔道選手権大会、史上最年少の19歳で山下泰裕が初優勝。