ピピピピピがブログを書きますよ。

運動もせず、ヘタレ顔でキーボードに手を置くピピピピピがブログを書く。野人の如き豪快さが欲しいね。

はてなに属する、『数字』に支配される人々

「これは力作だ!」と絶叫するほどのブログ記事を書けたにも関わらずスターやブックマークがつかずに頭を抱えた経験があるブロガーも多いのではないだろうか。僕もヒットせずに苦しみ喘いだ経験は、雪国を飛び交う雪虫のように多くある。「この反応のなさは、世界が停止したんじゃないだろうか? はてなどころじゃねーぞ」と考え山手線を一周してみたが単なる皮算用であった。東京は目まぐるしいほどにクルクルと動いていた。僕は、『数字』に自分を支配されてしまっているのだ。

『数字』に支配され大事なものを失う人々

今日だけでも、「アクセス数やブックマークをしてもらえない」と書き込んだ記事を上げている人を5人ほど見掛けた。弱さを認めず、「俺は気にしてないよ」と吹いている人も、心の内ではワンワン泣いていると思うんだ。胴長短足の犬のように可愛らしくね。もしくは腰パンパンチラのゆるふわ系ギャルのように下品にね。みんなが、気にしいなのだ。能動的に動いた結果に目を通して貰えない。藁にもすがり、風邪でもないのにパプロンゴールドを飲み、ニキビもないのにフラッシュ光線治療に通うと同じ強迫神経症の一種である。まるでハゲオヤジの育毛剤使用だよね。どうにもならない自然の摂理に願いを託し続けていれば、未来に光り刺すんじゃないかと思うほどの宗教的行動。僕はハゲに毛を生やすような無理難題にねじ伏せられるのが嫌いなんだ。自らの力で増殖させられない、『数字』に支配されたくない。

「一分で済むことなのになぜブックマークしてくれないのだろう」と勝手にプロブレムの悪魔を作り出して全身を引っ掻いてもらうマゾっ子になってしまう。そうなるとなにを失うのか。貴重な時間だろう。「さすがにそろそろ反応あったろ」とクリック連打F5連打。いつまでもカチカチと音を鳴らしているので、隣人にはMMORPGの廃人プレイヤーに思われているかもしれない。隣人の幻滅など歯牙にも掛けず、記事が評価されない事実で頭がいっぱいになる。いっぱいか……。子供の頃サンタさんからのプレゼントがいっぱいに膨らんでたら嬉しかったけれど、大人のいっぱいはエグい。自分の時間と、自分の思考を、『数字』というエネミーに奪われるのってどうなのだろうか。

『数字』を大事にしながら、『数字』に支配されないは難しい。

心の中で数字の釣り合いを保とうとしても、どんどんバランスがおかしくなってきて最終的には、「ブックマークを寄こせ! スターはまだか!」と錯乱状態に陥ってしまう。『数字』によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)にでもなってしまったのではないかと懸念している。どうにもこうにも自分を止められなくなった時は、昔剣道を習っていたときのことを思い出し、法界定印(ほっかいじょういん)をつくる。左の手の平の上に右手を乗せ、親指のお腹同士を合わせるポーズのことだ。そして腹式呼吸を行いながら、目を瞑り精神世界の旅に出る。気付くと魔物の巣窟と化している場合があるから退治に行くのだ。

『数字』に支配されるのは間違いなく精神世界が濁っている証拠なのだ。喉が渇いたときにはコップではなく水に集中して飲むはず。文章を綴ることが精神の奥底から渇望していることなら、『数字』ではなく、『文章』に集中出来るはずだ。どれだけ文章を書くことが好きだと連呼していても、脳の動きが伴っていない。自らの発する言葉と脳が噛み合っていない。僕の口と脳のどちらが詐欺師なのだろうか。高慢ちきのインチキ野郎が僕の中に隠れているのだ。太宰治の言葉を思い出す。「とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ」

僕はいんちきをやりながらこれからも生きていくのだろう。『数字』も大事に出来ず支配され、自らの内に隠された支配者に殺される犠牲者となってしまうのだ。鬼が住むか蛇が住むか。自分の心にはどれほどの化け物が住んでいるのだろうか。何度クリアしても新たな続編が発表されることで、魔物が出続けるドラクエシリーズのように、僕の心の中には幸福を食いつぶす化け物が次々に沸いて出てくる。今回はその化け物がはてな村における、『数字』なのだ。

いつから、『数字』に支配されるようになってしまったのか

今日ではてなブログをスタートして19日目だが、少なくとも最初の5日間ぐらいはなにも気にせず文章を書き殴っていた。それがいつの日にか、PV数・ユニークユーザー数・ブックマーク数・アドセンスの収入と欲深さが生まれてしまった。なんとしてもPV数を増やすために投稿時間を考えたり、思ったよりも反応速度が遅いと、片っ端から読者登録してまわるという土足マーケティングを決行するようになってしまった。『数字』に飼い慣らされてしまっているのだ。

荒い客寄せを連打したことにより、ここ数日は毎日PV数2000を超えている。だが、最近思い始めたんだ。アクセス数が500人でも2000人でも大した変わらないんじゃないかと。その大した変わらないことのために、『数字』の奴隷になるって無様だなと感じるようになってしまった。これからは、「人様に役立つ記事を書く」だのと大層なことをいわず、心からの想いや発信したくて仕方ない言葉を書き込んで行きたい。

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『数字』に殺されないために

“文章力・速筆力・表現力の増強、ストレス発散”のみに注力する我田引水スタイルに切り替えて行くことにした。そもそもが、匿名かつネタ・釣り記事連発で日のPV数が2000を超えるのは今だけというのが濃厚な見立てだろう。

昨日も2000PVを超えたが、これでは実力の伴っていない俳優と同じである。ゴリ押しされた平凡なガキといったところだ。それにしても、はてなには専門家のように、人が頭の中にある問題を解決してくれる記事を書いている人が多い。無論、釣り記事連打のバカなブログよりも、問題解決に手を貸してくれる知的なブログを求める人の方が多い。レギンスよりも、ホットパンツ姿を見たいと思う男が多いのと同じぐらい論を交える必要のないことである。

『数字』に殺されず、『数字』を従順な犬のように扱うには、匿名を辞めるのが、ぴか一の方法だろう。実体の掴めない不明確な人間よりも、本名や顔を打ち出した人間性を想像しやすいブロガーの方がファンはつきやすい。ブックマークもスターもツイッターフォローもされやすい。数字界のシーザー・ミラン(元ホームレスで現世界一のカリスマドッグトレーナー)になるには、全てをOPENさせて行かなきゃならない。『数字』を従順な犬にするってのは、人によったら自らの人生にとっては歴史的なことになるのかもしれないね。収入0のシーザー・ミランが今や数千万稼ぐのに近い劇的な変化だ。

ひとまず僕は、過激な武術を用いて街中の人を引きずり回すような、手前勝手ナンバーワンスタイルで文章を書いて行くことにする。匿名の今のうちから余計な暗中模索は必要なしだ。一年以上経過したのちには、本名と2000枚ぐらい連射して手に入れた奇跡の顔写真を貼り付けて、『数字』を従順な犬にするために奔走するかもしれないが。今は身勝手に動き回り、『数字』を困惑させ、僕の頭の中から首根っこ掴んで引っ張り出し、西成のゴミ捨て場にぶん投げようと思う。

ちなみに、ブログというのは数十円程度しか稼げないのが当たり前だと捉えていたけれど、はてなPRO代だけはなんとかなりそうだ(これが、結局、『数字』に支配されている下僕のコメントである)。

 

不愉快なことには理由がある

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