March 14, 2014
クレジットと盗用
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研究者倫理において、捏造や改竄と並んで代表的な悪事とされるのが盗用(plagiarism)である。アメリカ政府の公正研究局(Office of Research Integrity)では三つの頭文字をならべてFFPとよび、研究上の不正行為とはこの三つであるという狭い定義を用いている(山崎2002、ステネック2005)。本項目においては、この盗用という概念を、クレジット(credit)という概念との関係で解説する。
盗作と盗用の違い
研究倫理上の盗用を理解する上でまず気をつけておくべきことは、研究者倫理において問題となる盗用は著作権法で問題となる盗作とは本質的に違うものだということである。
著作権法で保護されるのは表現であり、同じアイデアでも別の言い方をすれば法律的には盗用にはならない。また、著作権法上は、なんら目新しさのない文章でも文章にした時点で著者に著作権が発生する。これに対し、研究倫理で保護されるのは独創性(originality)のあるアイデアや方法である。同じアイデアを別の言い方で表現しても盗用は成立する。ただし、その際に引用(citation)を行うならば盗用にはならない。引用の仕方の流儀は分野によってさまざまであるが、そこで書かれているアイデアや方法の原典がどこにあるかを明示し、読者が原典までたどれるような情報を与えることが求められる。他人の文章をそのまま使う場合には、カギ括弧を使って直接引用(quotation)をする必要がある。ただ、引用であれ直接引用であれ、学術引用においては引用する際に原著者の了承を得る必要はない(著作権法上は複製権の例外規定として追認されている)。
このような違いはあるものの、たいていの場合には表現の仕方自体にもなんらかの独創性があるので、著作権法上の盗作を研究者が行った場合には自動的に研究倫理上の盗用にもなるのが普通である。
盗用とクレジット
研究倫理において盗用が重大な罪と見なされるのはクレジットと深い関係がある(Hull 1988)。科学者共同体ももちろん人間の共同体であり、多くの点でほかの人間の共同体と同じような原理で動いている。しかしそこには科学者共同体ならではの仕組みもあり、その中心となるのがクレジットの概念である。クレジットとは、独創性のあるアイデアや方法を提案した(知的貢献を行った)という是認であり、一流学術誌への掲載や論文の引用といった形で与えられる。逆に独創性のない論文は学術誌に掲載することすら拒否される(概説などの目的がある場合を除く)。科学者共同体内における個々の科学者の地位は、その科学者がどれだけの「クレジット」を得ているかということに大きく依存し、いわば科学者共同体の通貨のようなものである。
すでにふれた引用や直接引用は、ある科学者が別の科学者にクレジットを与える際のもっとも一般的な手法である。現代の科学においてはどんな革新的な研究であれ、先行する研究の蓄積の上に自らの研究を積み上げる形で研究を行う。土台にした研究を引用しなければ盗用となるから、科学者は引用を行う。つまり、クレジットを多く集める研究者とは、それだけ多くの研究の土台となるような研究をした研究者であるということになる。そうした研究をするように科学者が動機づけられているということは、彼らは放っておいても科学の発展を促すような重要な研究に労力を投入するということである。つまり、効率的に研究が進展していくようなしくみが科学者共同体に組みこまれているということである。盗用を放置すればこのしくみの根幹がゆらぐことになる。これが盗用が研究倫理上問題とされる共同体レベルでの理由である。
また、関連する研究倫理の一つの項目として、同じ内容で別の雑誌に投稿すること(二重投稿)は許されない。二重投稿は「自己盗用」(self plagiarism)といった言い方がされることもあるが、これもクレジットの二重取りという不当取得の一種だと考えれば理解しやすい。
先取権
重要な発見を誰よりも先に行ったというクレジット(これを先取権(priority)と呼ぶ)は特に重視される。まったく同じ研究を独立に行っている二つのグループがあったとして、一方の研究の発表が他方よりも一年遅れれば、研究のクオリティにかかわらず、後から発表された方は二番煎じの研究という扱いになり、下手をすれば独創性がないという理由で学術誌への掲載を拒否される可能性すらある。つまり、ほんの一年程度の差で得られるクレジットに天と地ほどの差が生じてしまいうるのである。ただし、事実上同時と見なせるほど発表時期が近ければ、「同時発見」という扱いになって先取権を「折半」するというパターンもある。
先取権にまつわる争いがニュートンとライプニッツの間ですら存在したことから分かるように、こうした考え方は近代科学の歴史と同じくらい古いし、このシステムが機能してきたことが科学の発達を支えてきたという科学社会学的な分析もある(Hull 1988)。同じ発見を独立に行った人が順番にかかわらず同じだけのクレジットを得るような制度であれば、後から研究をする者は先の研究を知らなかったふりをして同じ内容を発表するだけで盗用の非難を逃れるばかりかクレジットまで得られることになってしまう。逆に先取権の制度があることで、研究の時間効率を高める動機づけが生じることになり、科学の発展が加速されることになる。
現代においては科学者の就職、任期延長、昇進(アメリカでは就職したあとも終身在職権を得るまでが大変である)、研究資金獲得などあらゆる面で業績評価が使われるため、どれだけのクレジットを得ているかは科学者にとって死活問題となってきている。こうした状況下において盗用への誘惑は大きいが、それと同時に違反者への指弾も厳しくなるのである。
共著論文と著者表示の問題
クレジットと盗用をめぐる科学者共同体のしくみはこれにとどまらない複雑な構造を持つ。たとえば現在の科学論文は共著の形をとるのが通例だが、そこにおいて著者表示(authorship)、すなわち誰を論文の著者として列記するかは、クレジットを誰が得るかに関わるため重要な問題となる。
ふつう、誰の助けも借りずに単独で文章を書いた場合、その文章の著者が誰かは明らかであり、問題にはならない。しかし科学研究においては(理論系の分野などいくつかの分野を除いて)研究自体を共同で行うのが普通であり、そういう場合、最終的な文章を書いているのが誰であっても、その論文に対する知的貢献を行ったものは複数になる。こういう場合、「知的貢献を行ったすべての者が著者として名前を挙げられ、それ以外の誰も著者として名前を挙げられない」というのが学術論文の著者名表示に関する一般的な慣習であり、著者表示の基本的な考え方である。ここでも著作権法における著者名表示とは発想が異なっており、学術論文については、極端な場合には、実際に文章を書いている本人は知的貢献を行っておらず著者にならないということもありうる。
この慣習を背景として、当然著者として名前を表示されるべき人の名前が表示されていない(たとえば主な作業を担当した院生を著者として挙げないなど)というような場合や、著者として表示されるべきでない人物が自分の名前を無理矢理入れさせた場合(研究室の主任教授というような立場の人物には十分それが可能である)、それは狭義の盗用ではないにせよ、クレジットを盗む行為であることには違いがない。研究倫理上はどちらのタイプの著者名不当表示もさけるべきである。
しかし、これだけでは著者表示の議論としては十分ではない。知的貢献を行った者すべてを単純に列記しただけであればクレジットも均等に配分されることになり、実際はほとんど一人で研究をしたのに、少し手助けをしただけの人と同じ量のクレジットしかもらえないことになってしまう。そうした不公平感を軽減すべく、多くの分野で、その論文にもっとも貢献した人物が著者名リストの筆頭になるという慣習が存在し、そうやって筆頭に表示される著者を「第一著者」(first author)と呼ぶ。若手の研究者で『ネイチャー』や『サイエンス』に第一著者の論文が一つあれば(分野にもよるけれども)その研究者の就職や昇進にとって大きな助けとなるが、同じ論文でも第一著者以外の著者として名前が挙がっているだけであればクレジットの量はかなり少なくなる。そのため、当然第一著者になるべき人が第一著者にならなかった場合も著者名不当表示が成立することになる。
著者名表示全般に関する慣習も第一著者に関する慣習も分野によって大幅に違う(分野によっては第一著者という習慣自体が存在しない)。研究のための資金を獲得した研究者が自動的に著者に加えられる分野もあるし、資金獲得は知的貢献と認めない分野もある。
アメリカ公正研究局では著者表示を不正行為の定義から除外しているが、それでも研究倫理に関わる申し立ての件数では著者表示を巡る案件がかなりの比率を占めているとのことである。(ステネック 2005)
参考文献
ステネック(2005)『ORI 研究倫理入門―責任ある研究者になるために』山崎茂明訳、丸善
山崎茂明(2002)『科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用』丸善
Hull, David L. (1988) Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. University of Chicago Press.