憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認める――。そこへ向かう安倍首相の強引なやり方に、ほころびが出てきたと言わざるを得ない。

 首相が起用した小松一郎内閣法制局長官の言動が、波紋を広げている。

 国会の廊下で野党議員と言い争いをした。参院予算委員会では次のような答弁をした。

 「安倍首相は、自民党が野党時代に決定した国家安全保障基本法案を国会に提出する考えではないと思います」

 これには、自民党内からも「法制局長官に法案の提出権があるわけではない。余計なことだ」と反発が上がった。

 この答弁は、「法案提出よりも政府解釈の変更が先だ」という首相の考えを説明する文脈で出たものだ。

 官僚の出過ぎた発言というのもその通りだが、より問題なのは、「法の番人」であるはずの人が解釈改憲を進めようとする首相といかに一体化しているかという点にある。

 法制局には、「権威主義的だ」といった批判がつきまとってきた。それでも、個別の事件がからまない限り裁判所が憲法判断をしない日本では、法制局が実質的に「法の番人」の役割を果たしてきた。その信頼は、党派性とは距離を置いたところにある。

 駐仏大使だった小松氏は昨夏、「長官は内部昇格」という慣例を破って起用された。この慣例には時の政権の恣意(しい)的な人事への防波堤という意味あいもあった。それを無視した首相のやり方は、人事を通じて「番人」を手の内に収めようというものだった。

 もちろん、法制局は政府の組織のひとつに過ぎない。しかし、その役割からして忠実であるべきなのは、首相ではなく憲法に対してだ。

 安倍首相は先月の国会答弁で、憲法解釈の責任者は自分であり、そのうえで選挙で国民の審判を受けると語った。

 そんな単純な話ではない。

 公明党の漆原国対委員長は「ある日突然『閣議決定で憲法解釈を変えた。今日から集団的自衛権を行使できる国に変わった』と発表されても国民は納得しない」と批判した。

 谷垣法相も「憲法解釈があまりに不安定だと、国家のあり方そのものも動揺してしまう」との懸念を示した。

 いずれも、法治国家の国会議員として当然の考え方だ。

 憲法の本質にかかわる解釈変更は、個人の意思で進められるものではない。