第十話:忘れ去られた世界
かたん、かたん、と規則的な振動を奏でていたモノレールが、徐々にその動きを緩めていく。ぷしゅー、と噴き出した熱気が『地下街』へと続く停車場へと到着したマリーたちは、疲れた顔で『地下街』へと歩を進めることとなった。
……正体不明の獣を道中の『廃棄所』に捨て去ってから、しばらくの時間が経った。地上の時間に照らし合わされば、もうとっくに日が落ちている時間帯だ。
いくら車内で休憩出来ていたとはいえ、また化け物に襲われるか分かったものでは無い以上、全員が休むわけにはいかない。安全が確定していない場所で暢気に気を緩められるわけも無く、結局マリーたちは張り詰めた気持ちをそのままにここまで来た。
様々なハプニングに見舞われたマリーたちであったが、ようやく……ようやく、『地下街』へとたどり着いた頃、マリーたちはすっかりクタクタになってしまっていた。
……そして、ようやく到着したマリーたちは……初めて触れた亜人の世界に言葉を無くしていた。
あまり広くは無い通路を通り抜けた先に広がっている、広大な空間。地下とは思えないその場所。アリの巣のように点在する家々……というのが、『地下街』を見たマリーたちの初見の印象であった。
中央を走る一本の大通りから、枝分かれするように伸びた通路の先に広がる、住居と思わしき家々の姿。どうやって調達したのかは分からないが、家々の半数は木造で、もう半分は塗り固められた土と石を組み合わせたものだ。
家々には窓や扉といったものは共通して何も無く、屋根の部分は大きな板を乗せただけの代物だ。丁寧ではありながらも雑な作りのそれらは、みすぼらしい、の一言であった。
天井を埋め尽くすように広がっているオキシゲン・ピアニーが、生存する為に必要な空気を生み出し、クリア・フラワーが消費されて汚染された空気を浄化し、至る所に繁茂するウィッチ・ローザが屋外灯の代わりを果たしている。
これまで散々見てきた光景と、そう変わりはない。亜人たちが住まう『地下街』は、地上と同じ……いや、ある意味では地上以上に環境が整えられた状態であった……ある点を除いては。
すんすん、マリーはと漂ってくる臭いに鼻を鳴らした。チラリと視線を向けたマリーは、己と同じように僅かに眉をしかめているサララたちを見て、安堵のため息を吐いた。
(……気のせいじゃなかったようだな)
『地下街』に足を踏み入れた瞬間から、嫌がおうにも意識せざるを得なかった臭い。むせ返るような……と言う程ではないが、わずかに眉をしかめる程度のそれに……マリーは、ぴくりと目じりを痙攣させた。
臭い……そう、どことなく、ここは臭う。どのような臭いと問われれば、決して良い匂いではないとだけ即答できる臭いだ。慣れるまでに、少しばかりの我慢を強いられそうだ。
ぽんぽんとマリーは肩を叩かれる。振り返れば、マリーと似たような表情を浮かべているイシュタリアとナタリアが、唇に指を立てていた。
……無言のままに、マリーは軽く頷く。先頭を歩くバルドクとかぐちは気づいていないのか、それとも慣れてしまっているのか、特に何かを言うでも無く黙々と先を急いでいる。二人にとって、この臭いは気に留めるべき代物ではないようだ。
(我慢できない程じゃねえけどさあ……)
決して内心を気づかれないように気遣いながら、マリーたちは案内されるがまま先へと進む。『挨拶しておかなければならない人がいる』ということなので、マリーたちも二人に付き従うだけだが……。
くるりと振り返ったマリーの視線が、ある家を捉える。その家の窓の片隅から覗いていた亜人の瞳が、スッと家の中に隠れてしまった。まだマリーとそう変わりのない、歳若い緑髪の少女であった。
「……見られているな」
怖がられている……という程では無いし、好奇の眼差しとも違う。何とも判断に困る、奇妙な眼差しだ。もう一度顔を見ようかと目を凝らせば、ゆっくりと顔を出した緑髪の少女と目が合った。見える範囲では、人間の少女と相違の無い顔立ちをしていた。
(……どこかで会ったような気が……まあ、よくある顔しているし、どっかで似たようなやつを見たんだろ)
軽く首を傾げながらもマリーが少女を見返すと、少女は無言のままに目を瞬かせていた。今度は隠れるつもりは無いのか、奇妙な色を含んだ眼差しをマリーへと向けていた。
「そうじゃな……随分と物珍しい眼差しを向けられておるのう」
ポツリと零した独り言。イシュタリアも同様のことを感じていたようだ。覗きこむようにして覗かせていた亜人の顔が、マリーよりも幾分か堂々と動き回るイシュタリアの視線によって隠れていくのが見えた。
キョロキョロと周囲を注意深く見回していたサララは、人通りが全くない通り道を何度も振り返る。最後尾を歩くナタリアとドラコに何度か手を振りながら、通り過ぎた後にも人影が現れないのを見たサララは……首を傾げた。
「……歩いている亜人がいない。今の時間帯は、ここでも夜なの?」
「……時計を見なければ何とも言えませんが、おそらくそうだと思います」
サララの疑問に、かぐちは振り返ることなく答えた。
「夜間の出入りは原則禁止となっておりますし、ここは私たちの間では『一番地』と呼ばれる居住区みたいな場所。昼間であればもう少し賑やかでしょうし、こう静かなことを考えると……夜かと思われます」
かぐちの説明に、「それを含めても、失礼な部分はあるがな」とバルドクが説明を継ぎ足した。
「俺やかぐちと違って、生まれてから一度も地上の光を見たことが無い亜人もいる。初めて見る人間と、他所から来た亜人が物珍しくて仕方がないんだろう……すまないが、少しの間我慢してほしい」
「……まあ、ちょっかいさえ掛けて来なければいいさ」
振り返ったバルドクの申し訳なさそうな説明に、マリーは納得に頷いた。そういえば、バルドクたちはあまり地上に出なくなったと言っていたことを、マリーは思い出した。
……あっ。
思い出して、マリーはドラコへと振り返る。ナタリアのように興味深げというわけでもなく、テトラのようにどうでもいいというわけでもない……何とも複雑な色合いが滲み出ている眼差しを、辺りへと向けていた。
尻尾が緩やかに、ふるんふるんと左右に振られている。亜人の証たる鱗で覆われた両足が踏みしめる『地下街』に、何か思うところがあるのか……無言のままにさまよっていたドラコの瞳が、マリーの瞳を捉えた。
「……ここも、故郷とそう変わりがないのかもしれない」
ポツリと零したその一言は、思いのほか大きな声であった。
「えっ?」
目を瞬かせるマリーに、ドラコは軽い笑みを浮かべると、フワッと翼をはためかせた。
「そんな目で私を見なくても、私は大丈夫だ……ところでマリー、私はそろそろ空腹で辛いのだが……食べる物が欲しい」
そうドラコが言った直後。ドラコの腹が、可愛らしく音を立てた。
「ん、ああ、まあ確かに腹減って来たなあ……って、んん?」
ドラコのその一言に湧き上がった疑問に、マリーは首を傾げる。「どうした?」と振り返ったバルドクに、マリーは思い浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「そういえば、俺らってどこで寝泊まりしたらいいんだ? 宿屋なんて大そうなものが無さそうな感じがするし、まさか野宿しろとか言わねえよな?」
「ああ、それなら――」
バルドクは、進行方向の先。どこまでも続く大通りの彼方に見える、ひと際大きな三つの建物の一つを指差した。
「これから向かおうとしている人の家に泊めてもらう予定だ」
そこに見えるのは、ここら一帯に立ち並ぶみすぼらしい家々とは一線を凌駕していた。遠目からでは藍色に見える屋根の下、建物の前に立ち並んでいるいくつもの『樹木』が、歪な奇妙な存在感を放っていた。
何だあれ?
初めて目にする造形の建物に、思わずマリーは目を瞬かせる。サララはもちろん、今まで静観を続けていた源も、不思議そうな顔をしている。傍を歩くイシュタリアに至っては「……もう、何から驚けば良いのやら」と溜息すら零していた。
「まあ、ゆっくり眠られるのなら、それだけでも十分だ。それと、先に言っておくが、仕事は明日から始めさせてもらうからな」
「分かっている。いくら何でも、そんな無茶をさせるつもりはない」
「よし、言質は取ったからな」
より良い返事に笑みを浮かべたマリーは、ぐるりと肩を回す。少しばかり疲れが出てきているかもしれない……体の中心からこみ上げてくる熱気を感じながら、マリーはため息を吐いた
……ん?
ふと、足を止めたマリーは、立ち止まっているドラコへと振り返る。遅れて振り返るサララやバルドクたちを他所に、「どうした?」とマリーが声を掛けると、ドラコは訝しげに辺りを見回していた。
何を探しているのだろうか。さっきまで空腹を堪える為に腹を押さえていたというのに……そんな思いでマリーが首を傾げると、ドラコの隣で欠伸を零していたナタリアも、スッと目を細めた。
「あら、囲まれちゃったみたいだわ」
「――なに?」
ナタリアの言葉に驚いたバルドクとかぐちの足が、ギクリと動きを止める。いや、それは止めるというより、止められたと言う方が正しかった。
いつの間に集まって来たのだろうか。一目で荒くれ者だと分かる風貌の亜人が一人、また一人、建物の路地や隙間を縫うようにして姿を見せ始めた。
ある者は三つの瞳を持つ男であり、ある者は四本の腕を持つ男。鋭い犬歯から涎を垂れ流しながら、血走った瞳をマリーたちへと向けている者。どう贔屓目に見ても、有効的とは言い難い視線を向ける怪しい男たちであった。
身構えるマリーたちを他所に、その数は瞬く間に二桁に達し、さらにその数を増やしていく。ニヤニヤと警戒心を刺激する笑みを浮かべた彼らは、あっという間にマリーたちを取り囲んだ。
どこの世界にも、チンピラというやつは居るもんなんだな。
下品な男たちの姿に、そんなことを考えながらナックル・サックを握りしめたマリーは、額に汗を滲ませるバルドクとかぐちを見上げた。
「ここの歓迎はこういうやり方なのか?」
「そんなわけあるか」
「じゃあ、なんで囲まれているんだよ」
「ここは閉鎖された世界だからな。都合よく目の前に現れた人間と女を前に、溜まった鬱憤を発散しようとするやつがいるだけだ」
思わず、マリーは目を瞬かせた。
「つまり、あいつらの狙いは『女』?」
「……悲しいことに、俺たちが住む『地下街』にも、どうしようもないやつらは一定数いるんだ」
幾分か苛立ちが籠った返答。皮肉にも、それはマリーが思ったこととほとんど同じであった。険しい顔で短剣を構えたバルドクを見て、男たちは悠々と獲物をきらめかせた。
二人としてもこの状況は予定外なのだろう。仲間に向けるには些か鋭すぎる眼差しが、彼らがどういう存在なのかを雄弁に物語っていた。
はてさて、どうするべきか。
魔力コントロールを行ったマリーは、じっくりと取り囲む男たちを見回す。見慣れない服装の彼らは、武装という程の物は装備していない。数人ぐらいはナイフのように頼りない短剣を所持しているが、構え方がド素人のそれだ。
油断さえしなければ俺一人でも余裕で対処は可能だな、とマリーは判断した。
「……あの人、可愛い顔しているわね」
「止めろ。さすがにこんな場所で地獄を見たくはないし、作りたくもない」
ポツリと聞こえてきたナタリアのため息に、反射的にマリーは待ったを掛けた。振り返れば、うっとりと頬を赤らめたナタリアが、粘つくような熱い視線を男たちの一人へと向けている。ドレスの下腹部が内側から盛り上がっているのを見て、それが可愛らしも甘酸っぱい感情で無いことを察したマリーは、少しばかりナタリアから距離を取った。
「へへへ、おい見ろよ。あの人間、俺に見惚れているぞ」
しかし、どこの世界にも勘違いというものはあるものだ。ナタリアの熱視線を受けた男はまさしくそうだったようで、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。ちなみに、男の外見は二足歩行する豚であった。
「おいおい、まだガキもガキだぞ。てめえの小さいブツでも入らねえだろ」
「うるせえ。小さかったらこじ開ければいいんだよ」
「おめえも大した趣味だな……そんな小便臭いガキよりも、あっちの女の方が、よっぽど美味そうな身体してるってのによ」
ジロリと、男たちの視線がマリーたちの後ろ……悠然とした様子で佇むドラコへと向けられる。「見ろよ、あの胸と尻……楽しませてくれそうだぞ」という一人の言葉に、視線の色が一気に濃くなった。直接向けられたわけでもないサララとかぐちが、身を震わせるぐらいに気色悪い視線であった。
「マリー、腹が減った」
「お前はお前でもう少し……いや、お前はそれでいいか」
しかし、そのドラコはと言えば、彼らのことなど物の数としてすら捉えていないのだろう。気にした様子も無くしきりに腹を押さえ、くーくーと腹を鳴らしている。腹の音が聞こえない彼らには分からないことだが、聞こえる位置に居るマリーたちは、思わず肩の力が抜けてしまいそうであった。
しかしまあ、どうしようか。ふむ、とマリーは気持ちを切り替えた。
「それで、俺たちはこいつらをどうすればいいんだ? てきとうに皆殺ししちゃってもいいのかい?」
「あ、あそこのお豚ちゃんは殺さないでほしいわね。死んで緩んじゃうと気持ちよくないから」
「心から頼む、お前は少し黙っていてくれ……それで、どうする?」
俺としては、そっちの方が気楽なんだけどな。ナタリアの腹に拳を叩き込みながら、そう言外に臭わせるマリーの問いかけに、バルドクとかぐちはゴクリと唾を呑み込み――。
「貴様ら、ここで何をしている! 私闘は禁じられているはずだぞ!」
開かれた唇が、突如響いた怒声によって閉ざされた。ギョッと目を見開いたマリーたちと男たちは、声が下方向へと顔を向ける。その視線の先に居たのは……一人の大男であった。
その瞬間、マリーは呼吸をすることを忘れた。その姿が、マリーの胸中に奥深く根付いているやつの姿を連想させたからであった。
「無憎!?」
バルドクとかぐちの声が、一致した。獣耳を生やした毛むくじゃらの大男は、厳つい顔に似合う鋭い眼差しをぎょろりと動かすと、男たちを力強く睨みつけた。
途端、男たちの顔色が一斉に悪くなった。一人、また一人退いた男たちに……無増の顔が真っ赤になった!
「また貴様らか! 今度こそその脳天を砕いてやる!」
怒声が『地下街』に響くと同時に、無憎と呼ばれた亜人は男たちへと走り出した。巨大な片刃剣を掲げたその身体を守るのは、巻きつけただけの質素な布。ナイフで刺すだけで致命傷を与えることも出来るだろう……けれども、男たちは誰一人歯向かおうとはしなかった。
皆が皆、一斉に背中を向けて一目散に逃げ出していく。普通に考えればそのまま追いかけるところだが、そこまでする気が無増には無かったのだろう。あっという間に姿を消していく彼らを見て、すぐに武器を下ろすと……マリーたちの前で立ち止まった。
ムッとした熱気が、無増の身体から放たれている。「腹にガツンと来る良い匂いだわ」と頬を赤らめるナタリアの声は、幸いにも聞こえていなかったのだろう。無増はマリーたちの前で大きく息を整えると、バルドクとかぐちを見やった。
「大丈夫か?」
「ああ、幸いなことに、怪我一つ追うことも無かった」
「ええ、ありがとうございます、無憎。最悪の事態一歩手前でした」
大きく息を吐くバルドクとかぐちに、無増は毛むくじゃらの顔で笑みを浮かべる。しかし、すぐにその笑みを引っ込めると、胡乱げな眼差しをマリーたちに向けた。
「……こいつらが、お前たちが話していた『亜人と共に戦った戦士』なのか? 俺の目には女子供の集団にしか見えんのだが……それで、あそこのやつがマリーなのか?」
ジロリと、無増の視線が源へと向けられる。ぷふっ、と頬を膨らませるイシュタリアの姿が有ったが、気付いたのはマリーとサララだけであった。
「間違っているうえに、失礼なことを言うな。誤解する気持ちは分かるが、実力は俺が保証する……そこにいる銀髪の人が、マリーさんだ」
……それはそれで失礼な紹介をされたマリーは、ジッと無増を見上げて軽く手を上げる。魔力コントロールを緩めることなく、常に反撃出来るよう無意識に身構えている自分がいる。そんな自分を、マリーは不思議に思っていた。
(見れば見る程あいつの姿と被ってしまう……変だよな。顔だってそうだし、あいつは獣耳なんて生えてなかった……どう見ても別人のはずなのに、どうして俺はここまでこいつを警戒しているんだ?)
分からない……マリーは内心首を傾げる。けれども、どうしてもマリーは胸中のアラームを止めることが出来なかった。「……マリー?」何時もと違う様子に気づいたサララの声が耳に届くが、グッと顔を近づけた無憎のせいで、それどころでは無い。ジワッと掌に浮かんだ汗を握りしめ、マリーは愛想笑いを浮かべた。
「俺の名は無憎だ。覚えていても覚えなくてもどっちでもいい。どうせ俺はお前らのことを覚えるつもりは無いからな……ふん、それにしても、見れば見る程か弱い女子ではないか。もっとマシなやつは居なかったのか?」
(汗臭いんだよ、この毛むくじゃら!)
隠しすらしない侮蔑感情を滲ませた無増の横顔に、渾身のフックを叩き込みたくなる衝動を堪えながら、マリーは少しばかりその場からたじろぐ。それは無増に対して怖気づいたわけではなかった。
「……まあいい。俺たちの邪魔さえしなければ、好きにすればいい。どうせ今回のこれが失敗しても、責を負うのはお前らだ。俺に迷惑が掛からなければ、どうでもいい」
それをどう捉えたのか、マリーには分からない。しかし、無増の目に浮かぶ蔑みの感情から推測する限り、決して良い意味では無いだろう。苛立ちを見せ始めているサララたちに気づく様子も無く、マリーたちに背を向けた。
「俺は行くが、頼むから人間を俺たちのところへ連れて来るなよ……人間臭くてかなわんからな」
そう言うと、無増はのっしのっしと大股でその場を離れて行った。
徐々に小さくなっていく無増の背中が、クルリと家々の隙間、路地の向こうへと姿を消す。そして、訪れた静寂の中で……バルドクとかぐちのため息が零れた。ガリガリと頭を掻きむしったバルドクが、マリーたちへと振り返った。
「済まない、気を悪くさせてしまったな。あいつは見ての通り腕に自信のあるやつでな……今回の件にはかなり難色を示しているやつの一人なんだ」
「まるで他にもいるかのような言い方が気になるのじゃが、まあ、気に病む必要は無いのじゃ。なぜならば、私が気にしておらぬからのう」
「あなたの答えなんて、初めから聞いていないから」
スパン、と頭を叩かれたイシュタリアが、その場につんのめる。相変わらずの二人の様子に、にわかに場の空気が緩む。そんな中、無憎が去って行った向こうへと視線を向け続けていたマリーが、バルドクへとポツリと尋ねた。
「なあ、あいつはいったい何者なんだ? ただ者ではなさそうなんだが……」
何者、か。バルドクは顎に手を当てて首を傾げた。
「今は現役を退いているが、腕利きの戦士であることは確かだ。昔は地上に出て大型の獣を何頭も仕留めてくる、地下街一の猛者だった。その実力は今も衰えていないと聞くが、本当かどうかは知らん」
地上に……マリーの喉が、ゴクリと鳴った。
「そうかい……ところで、つかぬ事を聞くが、今もあの男は地上に出たりしているのか?」
何とも様々な憶測を与える、直接的な質問だ。「なんでそんなことを?」と首を傾げるバルドクにマリーがさらに尋ねると、バルドクはいくつもの疑問符を頭上に浮かべながらも、しっかりと答えてくれた。
「それは無いと思うぞ。知っての通り、ここと地上を繋ぐ通路はあの道だけで、アレを動かすだけで相応の血が必要となるからな。あいつに付き従うやつは大勢いるが、血を提供するようなやつがいるかどうか……」
「だったら、しばらく姿を消したりする時はあるか? あるいは、付き合いが極端に悪くなったとかは?」
「いや、それも無い……ん、そういえば……」
キッパリと、バルドクは否定した。しかし、思い至る部分が有ったようだ。少しばかり記憶の奥を探ったバルドクは、ああ、と思い出して顔をあげた。
「姿を消す……と言う程のモノかは分からんが、九丈という男があいつの周りに姿を見せ始めた辺りから、付き合いが悪くなったな。色々と悪い噂の堪えない男だ」
――マリーの何かが、ピクリ、と身じろぎした。
「……その九丈とかいうやつが、あいつの周りに現れたのは何時ぐらい前のことだ? だいたいでいいんだ……教えてくれ」
そう尋ねられたバルドクは、しばし唸りながら頭を悩ませた。しかし、そのおかげで思い出せたようで、「正確とは言えんぞ」と前置きをした後……日数を教えてくれた。
偶然か、はたまた必然か。バルドクが語った日にちは、マリーがあの大男と死闘を繰り広げた、その少し前であった。
(はてさて、どう判断したものやら……)
背筋を走る寒気は武者震いか、あるいは……何とも言えない気だるさに舌打ちしそうになりながらも、マリーはしばし考え込むこととなった。
その姿を見つめるサララたち女性陣の視線に、気付くことも無く……。
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