0 :名無しカオスちゃん 2014年3月14日 00:00 ID:chaosch
教えて
■王、皇帝
アレクサンドロス3世
チンギス・カン
光武帝
■軍人
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
・朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して夜飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか戦車519両以上、トラック800台以上火砲150門以上その他もろもろを撃破(成敗)していた。
・出撃厨で、休暇を減らして出撃回数を増やすために書類を偽造した。
・何度も対空砲で撃墜されて敵地に放り出されたが、その度にスネークばりのスニーキング技術で戻ってきた。
・ちなみに被撃墜数は(おそらく)世界一位の30回である。
・対空砲に撃墜されたことはあっても、一度も戦闘機に撃墜されたことは無い
・対空砲で右足が吹っ飛んだ時、病院で「足はまだ1本残ってるからいいとして、祖国の危機にしばらく戦車を攻撃できない事が一番悔しい」と涙する。
・そんな有様にもかかわらず、6週間後に義足を着けてこっそり復帰。言うまでも無く、現在入院中と偽装していた。
・あまりにもチートすぎて、あのスターリンが名指しで批判し、さらに賞金までかけた。
・その額およそ10万ルーブル、なお当時のソ連の労働者の平均年収は600ルーブルである。
・あまりにもチートすぎて、あのヒトラーが気を使って安全な勤務に移らせようとしたのに断った。
・もう与える勲章が無くなったので、ルーデルのために勲章を作った。
・勲章を受け取る条件は「もう二度と後方勤務しろとか言うな」だった。
・勲章は12個作っといたけど、やっぱり人外のルーデル以外誰も貰えないまま終戦。
・1度目は幼馴染と結婚し、2度目は20歳以上年下の女性と結婚。なにこのギャルゲー設定。
シモ・ヘイヘ
・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された
全盛期のシモ・ヘイヘ
・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した
・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた
・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた
・スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる
・いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した
・野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死
・戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済みだった
・赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者、
しかも白い死神という伝説から「積雪期や夜間ほど危ない」
・「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が
1日で全員死体になって発見された
・「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が
穴だらけの原型を止めない状態で発見された
・5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」
・コラー河付近はシモヘイヘに殺される確率が150%。
一度狙撃されて負傷すると確実に凍死する確率が50%の意味
・シモヘイヘが狙撃で殺害した数は505人、
他にサブマシンガンで倒した数は正式なものだけで200名以上
舩坂弘
・「不死身の分隊長」と呼ばれる
・米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。
・軍医が助からないと判断して自決用の手榴弾を手渡される程の瀕死の重傷。
・ちなみに軍医が来るまでの間、米軍の銃火の中に数時間放置される。
・しかし、日章旗で縛ることで止血し「夜通し這う」ことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復。
・その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、不思議と翌日には回復している。
・「生まれつき傷が治りやすい体質」と、本人談。
・鬼神の如き奮戦の記録。
・アンガウルの戦いにて擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷。
・絶望的な戦況でも、拳銃の3連射で3人の米兵を倒す。
・米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に倒す。
・左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺。
・その銃剣を「短機関銃」を手にしていた敵兵に投げ、顎部に突き刺して殺す。
・腹部に重傷を負ってついに「這うこと」しか出来なくなり、「もはやこれまで」と自決用手榴弾の信管を抜くも
不発。
・戦友も次々と倒れ部隊壊滅するが、死ぬ前にせめて敵将に一矢報いんと
重傷なのに米軍司令部への単身斬り込み(10000人vs1人)、肉弾自爆を決意する。
・その前に自分の傷口に群がる蛆虫を拳銃の火薬で殺すが、あまりの激痛に失神。
半日間死線を彷徨うが後に復活。
・手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って重傷なのに数夜這い続ける
・重傷なのに前哨陣地を突破。4日目には米軍指揮所テント群に20メートルの地点にまで潜入していた。
・ちなみにこの時までの負傷は大小24箇所。
・左大腿部裂傷・左上膊部貫通銃創2箇所
・頭部打撲傷・左腹部盲貫銃創
さらに
・右肩捻挫・右足首脱臼・火傷
・全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片
・でも敵を目の前にして「立ち上がり」、発見した米軍は激しく動揺。
・手榴弾片手に米軍に向かって全力疾走。
・残念ながら首を銃撃されて昏倒する。もちろん米軍は戦死と判断。
・一応は野戦病院に担ぎ込まれ、「これが日本のサムライだけが出来る勇敢な死に様」と評価される。
・そんな船坂は3日後に米軍の野戦病院で生き返る。
・素早く周囲の医療器具を叩き壊し、駆けつけた鬼より怖いMPに「俺を早く撃ち殺せ!」と無理を言う。
・その後も顔面蒼白の米兵を尻目に暴れまわる。
・戦地アウンガルにいる米兵の間で「伝説」と化した。
・敵ながら勇気を称えられ「勇敢なる兵士」の名を贈られる。
・数日後、ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移される。
・船坂の最強伝説はペリリュー島まで伝わっており、要注意人物の筆頭に挙げられる。
・瀕死の重傷なのに収容所から抜け出すことに成功。
・この時、極度の栄養失調に加え出血多量により、両目はほとんど見えていない。
・なのに1000メートルも潜んで行って日本兵の遺体から抜き取った火薬によって、米軍弾薬庫を爆破。
・爆破後に収容所に戻り、何食わぬ顔で翌朝の点呼に参加。
・もちろん米軍は徹底的な捜査をしたが、弾薬庫が吹き飛んだ原因は判明しなかった。
・仕方がないので米軍の公式記録には「原因不明の爆発」と記される。
・耐えかねた米側に捕虜収容所を追い出され、各地の捕虜収容所を転々として1946年に無事帰国。
・実家に帰ってきたが、すでに死亡したとされ位牌まであった。
・村の人々は幽霊ではないかと噂し、しばらくの間疑いの目で見られる。
・個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられている。
■学者
アルベルト・アインシュタイン
ジョン・フォン・ノイマン
至上最強の天才 ジョン・フォン・ノイマン
あまりの頭の良さに火星人、悪魔の頭脳を持つ男と言われた
数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学
とあらゆる分野で天才的な才能を発揮
・子供の頃に遊びで分厚い電話帳を完全に暗記してみせる
・今のPCはノイマン型コンピューターと言われノイマンが作ったのが元
・6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた
・8歳の時には『微積分法』をマスター、12歳の頃には『関数論』を読破した。
ちなみに『関数論』は、大学の理工系の学生が1、2年次に学ぶ数学で、
高校時代に数学が得意で鳴らした学生でも、完全に理解できる者は少ない。
・数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ついに解いた問題をノイマンは脳内だけで一瞬で解いた
・一度見聞きしたら、決して忘れない写真のような超記憶力
・コンピュータ並みの計算速度 実際、
ノイマンは、自らが発明したコンピュータと競争し、勝利している
・ノーベル賞受賞者ですらついていけない頭の回転
・「なかよしイケメン」が口癖
・脳内には装着された面積1ヘクタールほどもあるバーチャル ホワイトボードがあり
ノイマンは、紙と鉛筆を使わず、この脳キャンパスだけで、
人間が及びもつかない複雑で込みいった思考をすることができた
・あまりの人間離れした思考に人間ではないと疑われた
・水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、
ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。
・一日4時間の睡眠時間以外は常に思考
セクハラ魔で有名で秘書のスカートの中を覗くが趣味で
その振る舞い方は下品そのものだった
推定IQは300、仮に東大の医学部を目指せば1週間で入れるレベル
天才といわれる学者の中でもかなり異質である
一度見たものは決して忘れない、計算はコンピューターより速い
彼には何の努力も必要ないのである
カール・フリードリヒ・ガウス
全盛期のガウス伝説
・「整数論」の最初の方はフェルマー、オイラー、ルジャンドルらの数論史まとめ。
ただしガウスに言わせると「ほとんどの定理は少年時代に自力で見つけた(キリッ 」
・リアル中二時代のガウスは素数で一山当てようと頑張るも成果が上がらない。
面倒になったので「素数の分布を確率的に統計処理して大体の傾向をつかめばいんじゃね?」
と考えて素数定理を発見。計算は一日十五分。俺そんな暇じゃないし(キリッ
・高校生ぐらいの歳に初めてオイラーを読んで、自分の発見を
ほとんど先取りされていたことに大ショック。
しかしオイラーがやっていない定理もあったことに自信を持つ。
・楕円関数では三十年後に後輩のアーベル、ヤコビに追い抜かれた。
何故なら楕円関数を見つけた一月後にモジュラー関数まで進んで放ったらかしにしたから。
モジュラー関数が世に出てくるのはアーベル達からさらに二十年後。
・ある時、数値計算で約4.81048という極限値を得る。
これを見たガウス:「自然対数を取ると1.5708...=π/2?」と即座に予想。
・非ユークリッド幾何学を提唱したヤノーシュ・ボヤイは、
父がガウスの親友だった事からガウスに論文の批評を依頼。
帰ってきた返事は「良くできてるけど褒めると自画自賛になっちゃうんだよね。
二十年以上前に同じ結果出てたから。周りがうるさいから発表しなかったけど(キリッ 」。
ヤノーシュはヤケになって以後人生を投げてしまう。
・コンピュータ時代に発展する高速フーリエ変換アルゴリズムを何故か知ってた。
ちなみに、ガウスはごく普通の煉瓦職人の息子であり、両親の家系を追っても
学術的才能を示した人物など全くいない。
天才数学者は数おれど、ここまで極端な突然変異はガウスぐらいのものである。
レオンハルト・オイラー
全盛期のオイラー伝説
超人レベルの記憶力と計算力。2秒もあれば8桁×8桁とか楽勝
ある問題に数秒で解答。便利な定理を使ったかと思いきや「全パターン算出して足し合わせたんだが」
論文完成のスピードに印刷機が追いつかない
数式ひとつで無神論者を追っ払った
普通の数学者が数ヶ月かかるような問題を3日ぶっ通しで取り組んで解決
30分で論文1本とかザラ
片目を失い、その後両目の視力を失っても数学が止まらない、むしろ才能が加速
(上記のアルゴリズム的計算方法や月の運行の計算など、彼が盲目になってから考え出されたもの)
子供好きで生涯に13人の子をもうけ、膝に小さい子を乗せて論文を書いた
死を迎える当日まで研究に没頭し、なおかつ孫の面倒を見ていた
関孝和
レオナルド・ダ・ヴィンチ
偉人たちの意外な「泣き言」
世界を変えた人が、子どもだったころのお話
歴史を翻弄した 黒偉人
アレクサンドロス3世
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドロス3世
アレクサンドロス3世はアルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。
ハンニバル、カエサル、ナポレオン、といった古今東西、後世に名を残し、影響を与えた英雄たちから英雄視されている、英雄の中の英雄である。
現在でも知名度は抜群で、アレクサンドロスの名に関する名をつける人は多い。
チンギス・カン
http://ja.wikipedia.org/wiki/チンギス・カン
チンギス・カンは、モンゴル帝国の初代皇帝。
大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、
中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、
最終的には当時の世界人口の半数以上を支配するに致る
人類史上最大規模の世界帝国、『モンゴル帝国』の基盤を築き上げた。
死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、
遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。
特に故国モンゴルにおいては神となり、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。
光武帝
http://ja.wikipedia.org/wiki/光武帝
光武帝は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽の人。
王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。
諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。
「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」などの言葉を残している。
■軍人
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
ハンス=ウルリッヒ・ルーデルは、第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人(航空機操縦員、幕僚将校)。
ヨーロッパ東部戦線において、ソ連戦車500両以上と800台以上の車両を撃破する戦果を挙げた。また、9機を撃墜し、地上砲火で30回撃墜された。
これらの戦功から、騎士鉄十字章の最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられた。
・朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して夜飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか戦車519両以上、トラック800台以上火砲150門以上その他もろもろを撃破(成敗)していた。
・出撃厨で、休暇を減らして出撃回数を増やすために書類を偽造した。
・何度も対空砲で撃墜されて敵地に放り出されたが、その度にスネークばりのスニーキング技術で戻ってきた。
・ちなみに被撃墜数は(おそらく)世界一位の30回である。
・対空砲に撃墜されたことはあっても、一度も戦闘機に撃墜されたことは無い
・対空砲で右足が吹っ飛んだ時、病院で「足はまだ1本残ってるからいいとして、祖国の危機にしばらく戦車を攻撃できない事が一番悔しい」と涙する。
・そんな有様にもかかわらず、6週間後に義足を着けてこっそり復帰。言うまでも無く、現在入院中と偽装していた。
・あまりにもチートすぎて、あのスターリンが名指しで批判し、さらに賞金までかけた。
・その額およそ10万ルーブル、なお当時のソ連の労働者の平均年収は600ルーブルである。
・あまりにもチートすぎて、あのヒトラーが気を使って安全な勤務に移らせようとしたのに断った。
・もう与える勲章が無くなったので、ルーデルのために勲章を作った。
・勲章を受け取る条件は「もう二度と後方勤務しろとか言うな」だった。
・勲章は12個作っといたけど、やっぱり人外のルーデル以外誰も貰えないまま終戦。
・1度目は幼馴染と結婚し、2度目は20歳以上年下の女性と結婚。なにこのギャルゲー設定。
シモ・ヘイヘ
http://ja.wikipedia.org/wiki/シモ・ヘイヘ
シモ・ヘイヘは、フィンランドの軍人。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ恐れられた。スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。
・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された
全盛期のシモ・ヘイヘ
・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した
・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた
・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた
・スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる
・いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した
・野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死
・戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済みだった
・赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者、
しかも白い死神という伝説から「積雪期や夜間ほど危ない」
・「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が
1日で全員死体になって発見された
・「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が
穴だらけの原型を止めない状態で発見された
・5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」
・コラー河付近はシモヘイヘに殺される確率が150%。
一度狙撃されて負傷すると確実に凍死する確率が50%の意味
・シモヘイヘが狙撃で殺害した数は505人、
他にサブマシンガンで倒した数は正式なものだけで200名以上
舩坂弘
http://ja.wikipedia.org/wiki/舩坂弘
舩坂 弘は、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。
その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。
特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。
・「不死身の分隊長」と呼ばれる
・米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。
・軍医が助からないと判断して自決用の手榴弾を手渡される程の瀕死の重傷。
・ちなみに軍医が来るまでの間、米軍の銃火の中に数時間放置される。
・しかし、日章旗で縛ることで止血し「夜通し這う」ことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復。
・その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、不思議と翌日には回復している。
・「生まれつき傷が治りやすい体質」と、本人談。
・鬼神の如き奮戦の記録。
・アンガウルの戦いにて擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷。
・絶望的な戦況でも、拳銃の3連射で3人の米兵を倒す。
・米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に倒す。
・左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺。
・その銃剣を「短機関銃」を手にしていた敵兵に投げ、顎部に突き刺して殺す。
・腹部に重傷を負ってついに「這うこと」しか出来なくなり、「もはやこれまで」と自決用手榴弾の信管を抜くも
不発。
・戦友も次々と倒れ部隊壊滅するが、死ぬ前にせめて敵将に一矢報いんと
重傷なのに米軍司令部への単身斬り込み(10000人vs1人)、肉弾自爆を決意する。
・その前に自分の傷口に群がる蛆虫を拳銃の火薬で殺すが、あまりの激痛に失神。
半日間死線を彷徨うが後に復活。
・手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って重傷なのに数夜這い続ける
・重傷なのに前哨陣地を突破。4日目には米軍指揮所テント群に20メートルの地点にまで潜入していた。
・ちなみにこの時までの負傷は大小24箇所。
・左大腿部裂傷・左上膊部貫通銃創2箇所
・頭部打撲傷・左腹部盲貫銃創
さらに
・右肩捻挫・右足首脱臼・火傷
・全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片
・でも敵を目の前にして「立ち上がり」、発見した米軍は激しく動揺。
・手榴弾片手に米軍に向かって全力疾走。
・残念ながら首を銃撃されて昏倒する。もちろん米軍は戦死と判断。
・一応は野戦病院に担ぎ込まれ、「これが日本のサムライだけが出来る勇敢な死に様」と評価される。
・そんな船坂は3日後に米軍の野戦病院で生き返る。
・素早く周囲の医療器具を叩き壊し、駆けつけた鬼より怖いMPに「俺を早く撃ち殺せ!」と無理を言う。
・その後も顔面蒼白の米兵を尻目に暴れまわる。
・戦地アウンガルにいる米兵の間で「伝説」と化した。
・敵ながら勇気を称えられ「勇敢なる兵士」の名を贈られる。
・数日後、ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移される。
・船坂の最強伝説はペリリュー島まで伝わっており、要注意人物の筆頭に挙げられる。
・瀕死の重傷なのに収容所から抜け出すことに成功。
・この時、極度の栄養失調に加え出血多量により、両目はほとんど見えていない。
・なのに1000メートルも潜んで行って日本兵の遺体から抜き取った火薬によって、米軍弾薬庫を爆破。
・爆破後に収容所に戻り、何食わぬ顔で翌朝の点呼に参加。
・もちろん米軍は徹底的な捜査をしたが、弾薬庫が吹き飛んだ原因は判明しなかった。
・仕方がないので米軍の公式記録には「原因不明の爆発」と記される。
・耐えかねた米側に捕虜収容所を追い出され、各地の捕虜収容所を転々として1946年に無事帰国。
・実家に帰ってきたが、すでに死亡したとされ位牌まであった。
・村の人々は幽霊ではないかと噂し、しばらくの間疑いの目で見られる。
・個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられている。
■学者
アルベルト・アインシュタイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・アインシュタイン
特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、
ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、
光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、
アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、
半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮
などを提唱した業績により、20世紀最大の物理学者とも、
現代物理学の父とも呼ばれる。特に彼の特殊相対性理論と
一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく
光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。
ジョン・フォン・ノイマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・フォン・ノイマン
20世紀科学史における最重要人物の一人。
数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・
心理学・政治学に影響を与えた。
第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、
その後の核政策への関与でも知られる。
至上最強の天才 ジョン・フォン・ノイマン
あまりの頭の良さに火星人、悪魔の頭脳を持つ男と言われた
数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学
とあらゆる分野で天才的な才能を発揮
・子供の頃に遊びで分厚い電話帳を完全に暗記してみせる
・今のPCはノイマン型コンピューターと言われノイマンが作ったのが元
・6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた
・8歳の時には『微積分法』をマスター、12歳の頃には『関数論』を読破した。
ちなみに『関数論』は、大学の理工系の学生が1、2年次に学ぶ数学で、
高校時代に数学が得意で鳴らした学生でも、完全に理解できる者は少ない。
・数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ついに解いた問題をノイマンは脳内だけで一瞬で解いた
・一度見聞きしたら、決して忘れない写真のような超記憶力
・コンピュータ並みの計算速度 実際、
ノイマンは、自らが発明したコンピュータと競争し、勝利している
・ノーベル賞受賞者ですらついていけない頭の回転
・「なかよしイケメン」が口癖
・脳内には装着された面積1ヘクタールほどもあるバーチャル ホワイトボードがあり
ノイマンは、紙と鉛筆を使わず、この脳キャンパスだけで、
人間が及びもつかない複雑で込みいった思考をすることができた
・あまりの人間離れした思考に人間ではないと疑われた
・水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、
ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。
・一日4時間の睡眠時間以外は常に思考
セクハラ魔で有名で秘書のスカートの中を覗くが趣味で
その振る舞い方は下品そのものだった
推定IQは300、仮に東大の医学部を目指せば1週間で入れるレベル
天才といわれる学者の中でもかなり異質である
一度見たものは決して忘れない、計算はコンピューターより速い
彼には何の努力も必要ないのである
カール・フリードリヒ・ガウス
http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・フリードリヒ・ガウス
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは
ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。
彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学の
ほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。
数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた
法則、手法等が数多く存在する。
全盛期のガウス伝説
・「整数論」の最初の方はフェルマー、オイラー、ルジャンドルらの数論史まとめ。
ただしガウスに言わせると「ほとんどの定理は少年時代に自力で見つけた(キリッ 」
・リアル中二時代のガウスは素数で一山当てようと頑張るも成果が上がらない。
面倒になったので「素数の分布を確率的に統計処理して大体の傾向をつかめばいんじゃね?」
と考えて素数定理を発見。計算は一日十五分。俺そんな暇じゃないし(キリッ
・高校生ぐらいの歳に初めてオイラーを読んで、自分の発見を
ほとんど先取りされていたことに大ショック。
しかしオイラーがやっていない定理もあったことに自信を持つ。
・楕円関数では三十年後に後輩のアーベル、ヤコビに追い抜かれた。
何故なら楕円関数を見つけた一月後にモジュラー関数まで進んで放ったらかしにしたから。
モジュラー関数が世に出てくるのはアーベル達からさらに二十年後。
・ある時、数値計算で約4.81048という極限値を得る。
これを見たガウス:「自然対数を取ると1.5708...=π/2?」と即座に予想。
・非ユークリッド幾何学を提唱したヤノーシュ・ボヤイは、
父がガウスの親友だった事からガウスに論文の批評を依頼。
帰ってきた返事は「良くできてるけど褒めると自画自賛になっちゃうんだよね。
二十年以上前に同じ結果出てたから。周りがうるさいから発表しなかったけど(キリッ 」。
ヤノーシュはヤケになって以後人生を投げてしまう。
・コンピュータ時代に発展する高速フーリエ変換アルゴリズムを何故か知ってた。
ちなみに、ガウスはごく普通の煉瓦職人の息子であり、両親の家系を追っても
学術的才能を示した人物など全くいない。
天才数学者は数おれど、ここまで極端な突然変異はガウスぐらいのものである。
レオンハルト・オイラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/レオンハルト・オイラー
解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、
微分積分の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。
級数や連分数、母関数の方法、補間法や近似計算、特殊関数や微分方程式、
多重積分や偏微分法などなど、古典的な解析学のあらゆる部分に、
基本的なものから応用にいたるまでの業績があり、
自身の発見を教科書を通して広く一般に普及させた。
全盛期のオイラー伝説
超人レベルの記憶力と計算力。2秒もあれば8桁×8桁とか楽勝
ある問題に数秒で解答。便利な定理を使ったかと思いきや「全パターン算出して足し合わせたんだが」
論文完成のスピードに印刷機が追いつかない
数式ひとつで無神論者を追っ払った
普通の数学者が数ヶ月かかるような問題を3日ぶっ通しで取り組んで解決
30分で論文1本とかザラ
片目を失い、その後両目の視力を失っても数学が止まらない、むしろ才能が加速
(上記のアルゴリズム的計算方法や月の運行の計算など、彼が盲目になってから考え出されたもの)
子供好きで生涯に13人の子をもうけ、膝に小さい子を乗せて論文を書いた
死を迎える当日まで研究に没頭し、なおかつ孫の面倒を見ていた
関孝和
http://ja.wikipedia.org/wiki/関孝和
関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。
特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。
延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、
点竄術すなわち筆算による代数の計算法を発明して、
和算が高等数学として発展するための基礎を作った。
世界で最も早い時期に行列式・終結式の概念を提案したことはよく知られる。
ヤコブ・ベルヌーイと同時期にベルヌーイ数を発見していたことも知られている。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ
絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、
極めて広い分野に足跡を残している。
『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は
盛期ルネサンスを代表する作品になっている。
膨大な手稿を残しており、その中には当時としては
珍しい航空についての考察も含まれていた。
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