論文が査読(審査)を通るのはアメリカの方がはるかに通りやすい。
アメリカでは論文が不出来でも、そこに新しいことや価値のあることがあれば通る。
日本の論文審査はどんなに良いデータがあっても欠点があると罵倒される。
日本では時には、「これが何の役に立つのか」という拒絶が来たりする。
不出来だからといって記載されている事実の価値がないわけではない。
あまりに形式に厳密な学者が日本では多い。
特に若い人の論文に過度の正確性、厳密性を求めると進歩につながらない。
学問はもともとわからないことをしているので、本人に悪意がなくても間違いの論文も審査を通る。
「査読付きの論文」というのが金科玉条のように言うのは学問の本質を知らない人で、新しい研究をやったことがない人が言うことだ。
中には間違いの論文、故意のいい加減な論文があるが、それは学会の中で淘汰されていく。
マスコミが騒ぐと奇妙な結果になることが多い(環境ホルモンがその例)。
(平成26年3月11日)
武田邦彦
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