- 1
ままならぬ様々な事情によって、都市の光景はいつも風光明媚とは限らない。
『工場萌え』などの作者として知られる大山顕さんは、そこにこそ惹かれるという。
そんな大山さんが、スリバチ学会をしてまだ扱ってない「人工スリバチ」に挑む。
「人工スリバチ」の因縁
[特別寄稿:大山顕]
ぼくは団地や工場、ジャンクションといった土木構造物を愛で写真に撮っている。いわゆる風光明媚と称されるような、自然豊かな風景にはあまり興味がなく、もっぱら都市の光景、それも様々なままならない事情によりきれいに整えることができなかったものに心惹かれる人間だ。
そんなぼくが地形好きでもあるというと、意外に思われるかもしれない。地形はいわば大自然の代表のようなものだから。しかし、地面の凹凸こそ「ままならなさ」の最たるもので、これほど都市の人工的な事物に影響を与えているものもないのだ。とくに土木構造物はその規模が大きいので、地形の影響を受けやすい。このままならなさとどう折り合ったか、という結果が都市の風景でありぼくはそれを愛おしく思う、というわけだ。
だから、スリバチ学会の地形を楽しむスタンスはとても趣味に合う。地形趣味ってともすると安易な都市化批判(かつてのせせらぎが暗渠化されたのを嘆く、というような)になりがちなのだが、皆川会長をはじめ学会員のみなさんたら「暗渠になってくれたおかげで流れの上を歩ける!」って喜んじゃったりする手合いばかりなのだ。すてきだ。
しかし皆川会長でも「人工のスリバチ」にはまだ触れていらっしゃらない。エピソード6「整形されたスリバチ」で自然の谷地形に手が加えられた事例について書いておられるが、完全なる人工の地形についてはまだ論じていない。ぼくはひとつそれにチャレンジしてみよう。
舞台は千葉県船橋市。ぼくの育ったこの町にあるショッピングモール「ららぽーとTOKYO-BAY(旧:ららぽーと船橋ショッピングセンター)」にある「地形」についてお話ししよう。
船橋出身の現在40歳前後の人間は「ららぽーと」に思い出のひとつやふたつを必ず持っていると思う。ららぽーと船橋は1981年にオープンし、自動車でのアクセスを前提にしたショッピングモールとしては最初期のもの。ぼくは中学生の頃よく行った。親に連れられてのほか、甘酸っぱい思い出もある。巨大迷路があって(いまはもうない)そこでね……。いやまあいいや。この話はまた別の機会に。
すでに30年以上の歴史を持つららぽーとには、今大人になってあらためてじっくり見ると面白いことがたくさんある。その中のひとつが駐車場脇の道路だ。
上の航空写真でオレンジ色の線で囲った部分がそれだ。駐車場の一部はテニスコートになっている。東関道を挟んで北にららぽーとがあり、すぐ東にあるのはIKEA。その先に南船橋駅。船橋競馬場に加えオートレース場もあるという埋め立て地だ。
この道はなぜ曲がっているのだろう。地形好きの方々なら街にある魅力的な曲線道路の多くが河川由来だということはご存じだろう。しかしここは埋め立て地なのでそれはありえない。同時に、酔狂で道を曲げたというわけでもないのだ。よく見るとこの曲線のおかげで周辺に利用しづらい「ヘタ地」が発生していることが分かると思う。なにか「ままならない」理由がなければこういうことはおきないはずだ。
とはいえ驚いたことに地形図を見ると、ここにはあたかもかつて流れがあったかのような微地形の「スリバチ」があるではないか。
こうして見るとオートレース場のサーキットもすごいが、ここでの問題は上の航空写真にあった曲線道路の部分だ。いったいこれはなんなのか。国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で同じ場所の過去の航空写真を見てみた。そうしたらびっくり!
ららぽーと開業前の1966年である。まさか水面があらわれるとは!
これはなんなのかというとビーチなのだ。
その名も「ゴールデンビーチ」!
実はららぽーとができる前、ここには「船橋ヘルスセンター」という一大テーマパークがあった。ガスの採掘をしていたところ、温泉が湧き出たのを契機に、1955年に温浴施設としてオープン。ピーク時にはなんと年間450万人が全国から訪れ、「東洋一のレジャースポット」という名をほしいままにした。温泉だけでなく、遊園地、大宴会場、ゴルフ場、水上スキー、サーキット、そしてゴールデンビーチ、さらに遊覧飛行まであったという、ありとあらゆる娯楽を取りそろえていた施設なのだ。1977年に閉じたこの施設に関するぼくの記憶はないが、地元の年配の方々に聞くとみな「それはそれはすごいところだった」と口を揃えていう。
つまり、現在も残るこの微地形の凹凸に縁取られた曲線道路を走ることは、かつての「ゴールドコースト」を行くことなのだ。人が作った、さして歴史があるでもない「地形」でも、それが「ままならなさ」となって後々の土地の利用に影響する。ぼくなどはとても興味をそそられる事例だ。
さて、「人工のスリバチ」の謎は解けたが、この話には続きがある。まさに「土地の因縁」としかいいようのないエピソードが眠っているのだ。
船橋ヘルスセンターの娯楽施設の中のひとつには人工スキー場もあったという。
これも人工の地形と言えなくもないが、ぼくがいいたいのはそれではない。ららぽーとの脇に人工スキー場といえば、あっ! と思い浮かぶものがあるだろう。
そう、「ザウス」だ。現在IKEAがある場所に鎮座していた。1993年にオープンし2002年に閉じた巨大屋内スキー場。地元なのに結局一度も行かなかったが、かなり遠くからも見えるあの巨大な姿に、いま思えば畏怖のようなものすら感じていた。雪国でもなくしかも埋め立て地の場所に、全くの偶然で2度もスキー場が登場するとは、因縁としかいいようがない。ちなみにこのザウス、施工は皆川会長の所属する鹿島建設によるものである。
さらに重ねて付け加えるのならば、船橋ヘルスセンターの開発運営者であった朝日土地興業は、後に京成電鉄、三井不動産、と3社でディズニーランドをつくるのだった。埋め立て地におけるテーマパークのノウハウが、船橋の埋め立て地から浦安の埋め立て地に移されたのだろう。いずれディズニーランドにおける「人工の地形」についても考察してみたい。
―エピソード31―
- 1
[作者より]
まち歩きの醍醐味は、町で見かけた何気ないものから、自分で「何か」を発見することだと思います。この連載記事をきっかけに、自分なりのまち歩きの楽しみ方を見つけていただければと思います。「書を捨てよ、谷に出よう!」です。