「企業は存続することが正義なのだ」という商売哲学の出刃包丁で僕の体を修復不可能に引き裂くつもりのようです。世界全体を見れば毎日6300人もの人間が仕事のせいで死を迎えているんですね。ブラック企業社畜のドミノ倒しがこれからも続くのでしょうか。そしてそのドミノ牌の一つは僕の命かもしれないと思うと昼寝も出来ずおやつも食べられません。
仕事をしなければ生きていけませんが、仕事をすることで生きていられなくなることもありますよね。僕たちは不幸なマッチポンプ売りの少女として生きていくことになるのでしょうか。マッチ売りの少女は原作で凍死します。過剰な奉仕をしながらも未だ生きている人間はこの少女に比べたら幸せなのかもしれません。心は既に凍死していようが、死の間際で踏みとどまっている人間にはさらに痰を吐きかけ追い詰めるのがブラック企業ですよね。
企業は僕を殺そうとしているのかもしれません
身体を潰そうとする襲撃を仕掛けてきていないため五体は無事です。その辺の動物園の猿なんかよりもスマートにうんていで遊べる自信がありますし、スーツを着たまま富士山に登ることも出来ると思います。きっと今なら五体が分裂して、頭・首・胸・手・足が僕にお別れを告げて好き勝手にプチ家出を繰り広げても生き抜くことが出来るでしょう。僕の体は花の子ルンルンのようです。
五体だけはノープロブレム。さりとて心が追いついていない。そうです。全てはブラック企業の虐めのせいなのです。中学生時代に黒板を掃除していたら、2人掛かりのドロップキックをやられてしまい顔面が黒板にめり込みそうになったことがあります。今の僕は毎日それと同じ苦悩と苦痛を背負わされています。目の前に地獄の境界線があるのが見え、目眩がしてきてフラフラします。
体に力が入らず、「噛む~とフニャンフニャンフニャンフニャンニャン♪」とロッテのCM曲を佐々木希と踊ってしまいそうです。佐々木希が曲に合わせて言います。「今日はすっぴんでいい?あまーいスイーツ食べたい!」僕にも言わせてください。「今日はサボリでいい? ながーいスイミン取りたい!」僕は毎日憂鬱です。間違いなくブラック企業の虐めのせいです。痩せ馬に針立てることをしないでください。もう僕の心はハリネズミのようになっています。19800円で売られているのに買い手がつかず、手をちょこんと柵におきながら、「きゅっるきゅるきゅるきゅる」と泣いています。涙とハリをこぼして泣いています。
人を粘土だと捉えるブラック企業
ブラック企業関連の参考になるツイートがあるので引用しておきます。
嫌だと思ったら辞めればいいのでは?辞めるの自由よん
そんな企業やめちゃえば市場から淘汰されるのにね、それをしない働く側も問題
言わずにバックレれば良いのに律儀やね
ブラック企業だと思ってるのに真面目に義理立てしたりするのも問題の一環な気がする。テキトーでいいのに。不真面目になればいいじゃん!死ぬよりマシでしょw
逃げるが勝ちを使用するのも一つの自分を守る技ですね。僕も水産関係の会社で働くことになった初日にたくさんの契約書を渡され読んでいたら、「タラタラ確認してねーで、さっさと書いて印鑑押せ! ぶん殴るぞ!」と怒鳴られ逃げたことがあります。僕は胸についた赤いランプが光ったのに気づき、「ちょっとトイレだけ行ってきます」と走って行きトイレの窓から逃げました。その窓はとても小さく、抜けるのもギリギリだったので着ていたダウンジャケットを捨てて脱出しました。
そういった経験から、ブラック企業で働くと様々なものを失うと知りました。たぶん、数ヶ月も働いていたらダウンジャケットだけではなく、Tシャツやジーパン、ボクサーパンツも失っていたと思います。ブラック企業は人が大事にしてきた何かを奪い取ります。夜道に出現する掻っ払いや、祭りの熟年スリと変わらない無慈悲な尻叩きですよね。真っ赤になって皮が剥がれるほどに叩くのです。さながらビートマニアオタク。見せつけるようにリズミカルな叩き方で日本中の労働者が、子供に弄くりまわされた粘土のように歪んでしまいます。
ブラック企業が流行り言葉になったことで安心するブラック社員
先述したように、「企業は存続することが正義なのだ」という商売哲学があります。企業が大きくなればそれだけ多くの授業員やクライアントを抱えているので、営業利益を生み出せなければ、みんなを不幸せにしてしまうのです。だからこそ存続するために、従業員には成果を出すための働きをしてもらわないといけません。僕のように仕事中にキーボードを分解して遊んだり、ウィキペディアページをコピーしたものを書類の隙間に隠して読むようなサボリをしている人間を企業は許しません。なぜなら、従業員の小さなサボリが塵も積もればヤマンバを起こしてしまい、どす黒く浮き世離れした未来(従業員を路頭に迷わせてしまう・お世話になっているクライアントを蔑ろにする)が訪れてしまうからです。
昔なにかの雑誌に書いてありましたが、『職業家族』・『職業隣人』という考え方があるようです。創業時から手を取り合い、使命を共有して走ってきた人たちを、『職業家族』と呼び、ある程度会社の基盤が出来上がってから入社してきた人間を、『職業隣人』と呼ぶらしいです。前者も後者も働くという意味では全く同じ労働者ではありますが、全く別物だと捉えないと確実に問題になります。『職業家族』は、会社を自分のマイホームのように捉え、会社に問題が訪れると自分の身を削ってでも解決をしようと猛ダッシュします。自分のマイホームだから当たり前です。反対に、『職業隣人』は、会社に問題が起きてもひとまず他人事のように思います。近くの家が燃えていてもバケツに水を汲んで走ることもなく野次馬になる隣人と同じです。マイホームではないからです。
企業も流れる時間を超えるような速度で動き回っているので、森羅万象すべてのことに手を回すのは到底無理がありますよね。会社を興し、今この瞬間も存続出来ているのは並み大抵の努力では成し得ないことだと思います。そう考えると、どう転んでも創業者の心には全てを溶かしうるほどの熱い使命感が飛びかっているのではないかと考えられます。ちょっと会社で腹が立つことがあると、「うぜーな。このクソブラックが!」と叫びたくなりますが、ちょっと創業者の心を想像して見る必要があるかもしれないですね。もしかしたら、「社会を良くしたいし、従業員にも幸せになって貰いたい」との気持ちで心がいっぱいになっているかもしれません。従業員が増えれば増えるほど、会社はどこへ向かっているのかや、使命感を浸透させるのは難しくなります。仕組みの導入もとても大変です。ブラック企業・ブラック社員の問題は永遠に終わりそうもありませんね。
ブラック社員ですらないピピピピピ
僕は無職というスペシャリストです。毎日本を読み、お散歩し、文章を書いて暮らしています。残金100万円を切り崩すジェンガちっくで傍から見れば不安定かもしれませんがお気楽な日々です。2~3年後には親の会社で働くことが決定していますが、それまで堪え忍ぶ必要があります。サファリーパークのど真ん中でガス欠を起こし虎の群れに囲まれているようですね。いずれ助けは来るけれど、「今が大変なんだよ!」とフロントガラスを殴ってしまいたくなります。
僕は東京での一人暮らしですが、慎ましい生活をしているので毎月7万円で暮らせます。1年間は無職でもスピリットを腐敗させることなく百万ドルの笑顔で生活出来ます。そんな極楽とんぼ系男子の僕とは正反対に、「成果が出なければお金は払わない」とブラック企業に虐められている知り合いが数人います。彼らには会う度に、「お前は気楽でいいよなぁ~」と僕を言葉の暴力で虐めます。僕はブラック社員に虐められています。助けてください!