粘膜免疫系からの視点で現代病の疾患原因を解明する
人類は、微生物学・公衆衛生学・免疫学・薬理学などを集学的に体系化した感染症学を発展させることで、病原微生物やウイルスによる感染症と常に対峙してきたが、近年では生活習慣を原因とする癌や糖尿病といった疾患が我々の生命を脅かすようになってきた。これら現代病においては、病気を発症するに至った体質を獲得した原因を標的とする治療が不可欠である。このような中、炎症性腸疾患、アレルギー疾患、癌、後天的な代謝疾患といった様々な現代病の病態形成において、腸内常在細菌と宿主の相互作用(クロストーク)が重要な因子として考えられている。つまり、経済発展はヒトとそれを取り巻く環境との関係を大きく変えただけでなく、その変化が腸内環境にまで及び現代病発症の基礎となっている。そこで我々の研究グループでは、宿主と腸内細菌の接点である粘膜免疫系からの視点で現代病の疾患原因の解明研究および予防医学研究に貢献していこうと考えている。現在は、日本でも著しい増加を見せている炎症性腸疾患をモデルケースとして研究を進めている。
炎症性腸疾患(Inflammatory bowel disease, IBD)とは?
1970年代以降、潰瘍性大腸炎(Ulcerative colitis、UC)やクローン病(Crohn disease、CD)といった原因不明の慢性炎症を特徴とする炎症性腸疾患(IBD)の発症率が我が国において年々増加している(下図)。IBDは、遺伝素因、環境因子、免疫応答の異常といった多因子疾患であるが、近年、常在細菌に対する異常な免疫応答が腸管の慢性炎症の要因として注目されている。しかしながら、腸内細菌を標的とした抗生物質投薬が必ずしも有効な治療とならないケースも多く報告されている。一方、多くの疾患関連遺伝子についても報告されてきたが、近年見られる急激な罹患率の増加や好発年齢や性差など遺伝要因のみでは説明できないことが多い。欧米での患者数が顕著に多いことや若年層での発症が顕著であることから、食生活の欧米化(動物性蛋白質および脂質摂取の増加)がIBD発症に関係しているとも言われている。環境因子(食生活、運動など)と遺伝素因が相互作用する分子基盤の一つとして、塩基配列の変化を伴わない後天的な遺伝子発現制御(エピジェネティクス)が大きく関与している可能性も考えられている。
【研究テーマ③:抗炎症応答を誘導する細菌の特定とそのメカニズムの解明】
腸粘膜上では、腸内細菌叢が親密な関係を持ちながら共存している。しかし、大多数の腸内細菌に対しては
炎症反応を誘導しないが、腸内病原性細菌を認識すると転写因子NF-κB が核内へ移行し、各種サイトカイン
の発現を誘導し、炎症反応が惹起される。つまり、腸管上皮組織では炎症反応を抑制する機構が発達している
ことが考えられる。そこで本研究では、腸管上皮における常在細菌シグナルを介した抗炎症応答のメカニズム
を解明することを目的として研究を行う。
既存のプロバイオティクス研究は、食品開発につながりやすい乳酸菌に限定的な研究開発に閉塞感があ
ります。そこで本研究室では、これまでに培ってきた環境細菌分離技術のノウハウを生かし、未分離・
難培養も含めた常在細菌に研究の裾野を広げていくことで、未知の“細菌-宿主の相互作用”を解明するこ
とを目指し、研究を行っている。
新規分離培養戦略の開発と実践的応用
-未培養微生物への効率的アクセス-
■ 現状では環境中に存在する0.1%以下の微生物しか培養できませんが,これまで培養でき
る微生物から得られてきた様々な恩恵を考慮すると,直接アクセス可能な微生物の種類
を大幅に広げることができれば,幅広い分野に大きなインパクトを与えられるはずです
(医薬,食品,環境,学術的な発見など)。
■ 近年では,培養操作を伴わないで環境中の微生物を解析する手法(メタゲノム的アプロ
ーチなど)も着目されていますが,環境ゲノミクスから得られた情報を適切に理解し,
有効に活用するという点においても,直接培養株を獲得して解析するという操作は,結局は普遍的に重要な課題であると言えます。
■ そこで本研究では,1)未培養,難培養微生物の獲得および培養化を高効率で可能にする
革新的技術の確立・一般化,および2)新規戦略を用いた「未培養重要微生物」,「有用微
生物」の複数の側面からの未利用有用バイオリソースの発掘と環境微生物の実態解明を目
指して研究を展開しています。
既に開発した,または開発中の新規手法
In situ 培養
微生物が実際に生育している環境を模擬することで未培養微生物を獲得する可能性を広げられ
るのではないかと考え,新規なin situ 培養手法である,中空糸膜を培養器として応用したHollow
Fiber Membrane Chamber (HFMC)を開発しました。さらにその発展バージョンとしてハイスループット
操作が可能な手法およびデバイスを開発しています(Dual Gel HFMC)。本手法は培養性能の点に
おいて従来法に比べて著しい向上が見られるため,学術的,産業的両側面における幅広い分野に
おいて様々な応用が見込まれます。
In situ 培養では,従来の分離培養方法では実現困難な以下の条件を提供可能なため,従来で
は培養できない微生物を多く獲得可能にすることが期待できます。
① 微生物間の相互作用の実現(異種間・同種間)
② 超低濃度基質の連続培養
③ 増殖阻害因子の排出
④ 未知な生育因子や基質の供給
現在進行中の主な研究テーマ
1)ハイスループットin situ 分離培養手法の開発と実践的応用
世界最小スケール(最高密度)の分離培養デバイスです,セルソーターを用いない汎用
性の高い方法の開発やハイスループットスクリーニングアッセイと組み合わせた有用微
生物の獲得も目指しています。
2)in situ 分離培養手法を用いた難培養微生物の増殖特性の解析
in situ 培養だと,なぜ培養可能な微生物が増えるのかという謎に迫ります。
3)生体内での分離培養を可能にするin vivo 分離培養手法の開発
in vivo(生体内)での分離培養を世界で初めて試みます。これを用いて健康に関わる微
生物の未知な性質に迫れるのではと考えています。
4)地球の物質循環に関わる未培養重要微生物の分離培養と実態解明
新規分離培養手法を応用して,亜硝酸酸化やアンモニア酸化を担う微生物など,地球の
物質循環に関わる未培養な重要微生物を対象にしてそれらの培養化および生理学的性質
などの解明を試みています。
研究テーマ①:システム工学的アプローチによる三次元組織培養法の最適化
〜心筋組織培養時における細胞代謝・細胞動態の数理モデリング〜
(東京女子医大 先端生命研 清水達也 教授との共同研究)
生体外で厚みのある心筋組織を構築する戦略として、灌流培養した心筋細胞シートの繰り返し積層化法が開発されています。この技術を再生医療の現場利用につなげるためには、灌流培養中の心筋細胞シート内部に安定して血管新生が起こるような培養法を確立する必要があります。
生物学研究の現場では実験研究者の経験や直観をたよりに、数多くの実験を繰り返すことで最適な培養法・培養条件を発見法的に見出すことが一般的ですが、常田研究室ではシステム工学的な観点からこの課題に取り組んでいます。すなわち、システマティックに条件を変えた時のデータを収集・蓄積し、パラメタ間の相関を調べることで培養中の細胞状態を数値として表現し、細胞の代謝や形状のダイナミクスを予測できるような数理モデルの構築を目指しています。そして、モデルの計算機シミュレーションに基づいて、より良い培養法・培養条件の提案を行うことが、本研究の最終的な目標となっています。
現在は、現行の培養法・培養条件下における細胞の状態を、代謝や細胞形状等、様々な指標を用いて明らかにすることで培養法の良し悪しの評価軸を定めることを行っています。
研究テーマ②:成体幹細胞システムのシミュレーター開発
(横浜市大院 医学研究科 谷口英樹 教授との共同研究)
生体組織が組織として維持される機構の根底に「成体幹細胞システム」があります。このシステムは、組織の癌化や再生と密接に関わっているため、癌の治療や再生医療(組織再生工学)への応用において極めて重要な対象となっています。常田研究室では、この成体幹細胞システムをシステム工学的観点からボトムアップ的に理解することを目標として、成体幹細胞システムの数理モデル(シミュレーター)構築を行っています。
現在は、成体幹細胞システムの中でも多くの知見が報告されている腸管上皮を対象として、腸上皮の構造単位である陰窩を円筒でモデル化し、組織内の細胞を円で表現した多次元陰窩モデルを構築しています。
常田研究室は,産業技術総合研究所の生物機能工学研究部門・バイオメジャー研究グループと共同研究を行っています。現在は山梨大学医学部とも連携を取っており,早稲田・山梨・産総研そ
れぞれの強みを活かしながら血液疾患の病態解明,および診断技術の開発や,RNAヘリカーゼと
呼ばれる酵素に着目した,C型肝炎ウイルスの新薬候補の探索をおこなっています。
【ヤーヌスキナーゼ遺伝子変異量に着目した骨髄増殖性疾患の定量的解析】
骨髄増殖性疾患とは,血液内の様々な血球類(赤血球,白血球,血小板など)が無尽蔵に増殖
してしまう病気です。骨髄増殖性疾患には慢性骨髄性白血病,真性赤血球増加症,本態性血小板
血症,原発性骨髄線維症という4種の疾患が含まれ,このうち,慢性骨髄性白血病はBCR-ABLと
いうマーカーが発見され,精力的に研究されました。その結果,イマチニブ(グリベック)とい
う分子標的薬の開発へと繋がり,従来の治療体系を激変させる華々しい治療効果をもたらしまし
た。一方,慢性骨髄性白血病を除く3疾患は長らくその発症のメカニズムは解っていませんでした
が,2005年にこれら疾患においてヤーヌスキナーゼ(JAK2)遺伝子の変異が立て続けに報告さ
れ,これらの疾患も一躍注目されることになりました。 JAK2遺伝子の変異は発見されて間もな
く, また,慢性骨髄性白血病におけるイマチニブ開発の成功例への期待から, 血液の分野におい
て現在最もホットな研究対象となっています。
私たちは,このJAK2遺伝子を標的として簡便・正確な遺伝子変異の定量手法を開発していま
す。ゆくゆくは開発した手法をもって臨床サンプル中のJAK2変異量を定量し,病態との関わりを
明らかにすべく,日々研究に取り組んでいます。
【RNAヘリカーゼ活性に着目したC型肝炎ウイルスの新薬探索】
昨今の分子生物学の進展により,RNAは様々な高次構造を形成することで多彩な機能を発揮す
ることが明らかとなってきました。これらの高次構造を制御する酵素としてRNAヘリカーゼが大
変注目を集めています。RNAヘリカーゼは2本鎖RNAを1本鎖にほどくことによって,RNAの転
写,翻訳,輸送,分解,選択的スプライシング,あるいはウイルスの増殖,発がん等の様々な生命
現象や疾患を制御すると考えられています。私たちは,C型肝炎ウイルスの持つNS3ヘリカーゼに
着目し,その活性をハイスループットでリアルタイムに測定可能なアッセイ系を開発しました。現
在,C型肝炎ウイルスに対する画期的な抗ウイルス薬の探索対象として,メタゲノムライブラリー
や海洋生物抽出液を用いてアッセイを行っています。さらに,この探索により有望と決定された
新ウイルス薬の候補は,ヒト由来の細胞を用いて薬の効き目や細胞毒性を調査するとともに,新
薬候補の構造の決定を進すべく,研究を進めています。
このように,産総研グループでは山梨大学医学部との連携体制をとりつつ,確立した技術を病
態の解明や新薬の開発へと応用しようとしており,生命医科学科の目指す「医・理工の融合」を
強く意識できる,貴重な体験ができると思います。また,産総研には早稲田大学に限らず,様々な
大学から学生が研修生として学びにきています。彼らと話をすることも,自分の見識を広めるよ
い機会となります。こういった点は外研である産総研,理研グループの利点だと思います。私たち
の研究に少しでも興味を持ってくれたなら,気軽に声をかけてください。お待ちしています。