消えた航空機はどうなったか―山中で2カ月生き延びた事例も

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  • DANIEL MICHAELS AND JON OSTROWER
[image] Singapore Press/Reuters

シンガポール空軍輸送機からのマレーシア機捜索活動(11日、南シナ海)

 11年前にアンゴラの首都ルアンダを離陸したボーイング727型機は、消息を絶ったまま発見されていない数少ないジェット旅客機の1つだ。

 大型ジェット機が消えたケースは、フィクションの世界ほど多くはないものの、現実にも起きている。1979年には、6人が乗ったボーイング707型機(貨物機)が東京を離陸した後に太平洋上で消息不明となった。このほか見つかっていない小型機は数十ある。

 239人を乗せ8人未明に消息を絶ったマレーシア航空370便(ボーイング777型機)の捜索は今のところ実を結んでいない。今回は、機材が大きく、消息を絶つ前に地上の複数の地点と無線や衛星で通信していた点がこれまでの例と違う。また、通信が途絶えたときに飛行していた場所も、人里離れたジャングルや外洋ではなく、世界有数の人口密集地域である東南アジアの海の上空だった。

[image] ASSOCIATED PRESS

アンデス山脈に墜落した飛行機

 飛行機が墜落して2度と見つからなかった例は航空史の初期からある。長い捜索の末、あるいは数十年後に偶然発見されたケースもある。そうした状況では、レーダー、衛星その他の技術が強力な助けになっている。

 だがマレーシア航空370便の例は、地球にはそうした技術が届かない場所が残っていることを示している。

 インドネシアの航空会社のボーイング737型機が2007年にスラウェシ島近くの海で墜落した事故では、最初の破片が見つかるまで10日かかった。228人を乗せたエールフランス447便が09年に墜落したときは、36時間を要した。

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  国際航空事故調査委員協会(ISASI)の元プレジデント、リチャード・ストーン氏は「機体が大洋に落ちると、発見は非常に難しい」と述べた。

 航空安全ネットワーク(ASN)は、1948年以降に「消息不明」になった飛行機を80機挙げている。機種は1席だけのプロペラ機からジェット旅客機まで、さまざまだ。09年にカリフォルニア州沖合で墜落した米沿岸警備隊のロッキード・マーチン製小型輸送機「C130」も含まれている。

 アンゴラで消息を絶った飛行機に乗っていたのは2人だけとみられている。当時の報道によると、経過年数18年の同機を保有していたフロリダ州のリース会社の米国人技術者が、03年5月25日夜にルアンダで同機に乗り込んだ。コンゴ人のアシスタントを連れていたが、2人ともこの飛行機を操縦する免許は持っていなかった。この機材は通常、乗務員3人の搭乗が義務づけられている。

 機体は許可も受けず通信もしないまま進み始めた。離陸し、大西洋に向けて飛行し始めたとき、ライトもトランスポンダ(無線中継器)も電源が入っていなかった。

 01年9月11日の同時多発テロから2年足らずの時期の無許可離陸とあって、国際的な捜索が始まった。米国の外交官やアフリカ各国の当局者が大陸中の飛行場を回り、着陸の痕跡を探した。連邦捜査局(FBI)と中央情報局(CIA)など米国の当局は衛星写真を徹底的に調べた。その後も機体は見つかっていない。FBIとCIAはコメント要請に応じていない。

[image] REUTERS

ブラジルによるエールフランス447便の破片回収作業

 いまだにレーダーや通常の観測手段が届かない地域はかなりあるが、減ってきてはいる。1970年代には、フロリダとプエルトリコとバミューダを結んだ太平洋の三角形の海域「バミューダトライアングル」で複数の軍用機が消息を絶ち、米国人の想像をかき立てた。ほかにも飛行機や船がここで消えたとされる。超自然現象を唱(とな)える説は間違っていたことが後に分かった。

 スミソニアン国立航空宇宙博物館の幹部は「バミューダトライアングルでの事故率はほかの場所より良くも悪くもない」と述べた。

 後に発見された機体の分析結果を見ると、消息不明が単に遠隔地での事故の結果であるケースは多い。エールフランス447便の事故では、エアバスA330型機の破片が浮かんでいるのが見つかるまでに1日以上かかった。

You can help search for the missing Malaysia Airlines plane, thanks to a website called Tomnod.com. It allows anyone to comb the area where rescue workers are searching using satellite images. The WSJ's Deborah Kan speaks to DigitalGlobe’s Luke Barrington.

 富豪のスティーブ・フォセット氏が07年9月、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園近くを単発エンジンのプロペラ機で飛行していたときに消息を絶ったケースでは、残骸の発見まで1年以上かかった。

 一方、乗客が問題を解決した例もわずかながらある。1972年10月13日、ウルグアイのラグビー選手など45人が乗ったフェアチャイルドFH227D型機がアルゼンチンからチリに向かっていた途中で墜落した。93年に映画「Alive(生きてこそ)」の題材になった事故だ。12人は即死するか消息不明になった。残りは極寒の高地で救助を待ち、何人かは生き抜くために人肉を食べた。

 救助隊は来ず、12月に生き残っていた16人のうち3人が助けを求めて出発した。うち1人は食料の消費を抑えるために引き返したが、2人は7日間歩き、空のスープ缶と馬ていなど文明のしるしを見つけた。さらに2日間歩いて馬に乗った男性たちと出会い、助けを呼んでもらった。残りの生存者の元にヘリコプターが派遣された。

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