先ず、呉竹会アジアフォーラム「十周年記念大会」が500人を越える入場者の中で盛大に執り行われたとのこと。呉竹会がウヨもサヨも飲み込む大きな世直しの器になることを祈ると共に、大会の成功をお祝いいたします。
以下、思いつくままに記す。
*つい先日、「安部総理が河野談話・村山談話を検証する必要性を述べたとたんに、アメリカと韓国、さらに国内から批判の声が上がっている不思議さ」、と書いた。
西村修平さんは、今更国会議員が国民に署名運動などせず早く国会で議論してはどうか、やることが遅すぎる、との意見だった。
いずれにしても、政府が調査するのはいいことだ、とヌカ喜びしたとたん「調査はするが、見直すつもりはない」との発表。アメリカの圧力に屈したらしい。日本でも「歴史は政治」の下にあり、「学の独立」は未だに実現していないらしい。
「見直すつもりがない」のなら時間と予算の無駄だから調査など最初からしないほうがいい。また調査結果はとっくに出ている。話にならない。が、政治の世界はカケヒキだから、調査して事実を発表し、見直さざるを得ない状況を作り上げる作戦かもしれないと、一縷の望みを残している。
*前回、終戦直後の中井コッフの短歌は、当時の世相から見れば「抵抗文学」だと書いた。原爆、極東裁判、米兵による強姦事件などを糾弾する歌を多数残している。以下その証拠を、wikipediaの「プレスコード」から引用する。
プレスコード(英:Press Code for Japan[1])とは、太平洋戦争(大東亜戦争)後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則(新聞紙法)である。これにより検閲が実行された。
正式名称はSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」で、昭和20年(1945年)9月19日発令、9月21日に発布された。「日本新聞遵則[2]」また「日本出版法[3]」ともいう。
(略)
江藤淳の調査によって、アメリカ国立公文書館分室の資料番号RG331,Box No.8568にA Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946が保管されていたことがわかった[12]。この「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」において次のような具体的な検閲の対象カテゴリーが30項目も規定されていた[13]。検閲では以下に該当しているか否かが調べられた。
- SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
- 極東国際軍事裁判批判
- GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
- 検閲制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連邦)への批判
- 英国への批判
- 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他の連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
- 満州における日本人取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の煽動
- 虚偽の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
民間検閲支隊(CCD)はさらに10月1日には「進駐米軍の暴行・世界の平和建設を妨げん」という論説を掲載した東洋経済新報9月29日号を押収した[14]。この記事は石橋湛山によって執筆されたものだった[15]。村上義人は、これ以降、プレスコードの規定のため、占領軍将兵の犯罪自体が報道されず、各メディアは「大きな男」と暗に仄めかさざるを得なかったと発言している[16]。
また、一般市民の手紙・私信のうち月400万通が開封され、検閲をうけていた[17]。さらに電信や電話も盗聴された[17]。
江藤淳はGHQによる言論統制についての著書『閉ざされた言語空間』のなかで次のように指摘している[18]。検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被検閲者は次第にこの網の目にからみとられ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させて来た伝統的な価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられていく。この自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間のなかで、おそらく依然として現在もなおつづけられているのである。
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もしコッフの短歌が同人誌などに公表されたら即座に検閲削除になっていただろう。その辺りの詳細は『中井コッフの書画と短歌』を編集出版した薬師神義武氏がご存知と思う。(「中井コッフについて」という一文を私が書いたのは2003年、昔作っていたHPの書評欄だった。後日、薬師神義武氏本人だったかそのご子息の方だったか失念したが、丁寧な感謝の手紙を頂いたことがある。このブログの書評は当時書いたものをバックアップして2011年にこのブログに移動させたものである)。
コッフは生涯に6万首ほどの歌を詠んだ。だから決して思想歌人だったわけではなく、古典主義的な歌も恋の歌も多岐にわたっている。一番知られているのが次の歌。
夕山に鳴きのこりたる鳥の声
一つひゞきて静かなるかも
こういうオーソドックスな歌を詠む一方、上記のような言論と思想統制の時代に、抵抗文学としての短歌を残している業績はもっと顕彰されていいと思う。前回のブログでは紹介しなかったが、
豚にさえ試さぬ前に 日本の無辜の民の上に原爆落とす
一瞬に骨となりたる三十万 魂あらば呪え鬼畜原子国
東条氏ら七名は皆一角の人物なりき 南無阿弥陀仏
東條氏ら 天皇陛下万歳を唱へて 安く果てしとあはれ
などの歌もある。だからこそ東条英機の孫として生まれ苛め抜かれたお孫さん(東條由布子さん「祖父東條英機 一切語るなかれ」の著者)に、愛媛の宇和島にこういう歌を歌った人がいますよ、という気持ちを込めて歌集を贈呈したわけだ。コッフ(本業は医師)の勇気と率直さは、時代状況を知れば知るほど異様なほどである。GHQに知られたら投獄されていた可能性も否定できない。
一方、映画に関しては所謂「忠臣蔵」を含め仇討ちものは上映禁止となった。封建制度は身分差別で忠君愛国思想などもってのほか、とされた。
ところが、「庶民階級に生まれるなら江戸時代に生まれたい。貴族階級に生まれるならイギリス」と言った歴史家がいる。以前どこかに引用したことがあるが、次のブログに丁寧な解説がしてあるので参考にされたい。
http://webtoy.iza.ne.jp/blog/entry/851131 この中には「もちろん、だからといって平等な社会だったと言うつもりはありませんが、欧米の階級社会に較べれば驚くほど階級差の少ない社会でした。これを杉浦日向子は、武士と町人は上下ではなく、二つの社会が平行して存在していたと言っています」という記述がある。
また武士の農民にする態度はhttp://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai1.htm の冒頭に、西郷隆盛の上司に当たる迫田太次右衛門利済(さこたたじうえもんとしなり)の行動について、
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迫田は重税に苦しむ農民の窮状を憤り、役所の門に、
「虫よ 虫よ いつふし草の根を断つな 断たばおのれも 共に枯れなん」
と書いて、郡奉行を辞職しました
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と解説してある。
このような上司あってこそあの大西郷が生まれた。農本主義は国防と外交の基本中の基本であり、食の自給率が40%を切る日本は先進国の中では最下位、世界でも類を見ないレベルだろう。海外からの食料輸出をストップされた瞬間、日本が敗戦状態になる危険性になぜ気付かないのか、不思議でならない。
時代劇などで安易に使われる「切捨御免」にしても実態は全く違っており、これもwikipediaを引用すると以下のように厳しい規則があった。
- 斬った後は速やかに役所に届出を行うこと
- どのような事情があったにせよ、人一人斬った責任の重みゆえ、20日以上に及ぶ自宅謹慎を申し付けられること
- 斬った刀は、詮議に使う証拠品として検分のため一時押収されること
- 無礼な行為とそれに対する正当性を立証する証人も必要とされる
など、適用の条件は厳格であった。
証人がいないなど、切捨御免として認定されない場合、その武士は処分を受け、最悪、武士としたまま名誉の死を遂げる切腹も申し付けられず斬首刑を受け、お家断絶の可能性もあった。そのため本人謹慎中は家人及び郎党など家来・仲間が証人を血眼になって探すが、見つかりそうにない場合、体面を保つために評定の沙汰(裁判)を待たずして自ら切腹する者が絶えなかった。無礼討のために刀を抜いたが、相手に逃亡された場合なども武士の不名誉とされ処罰の対象であった。
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だからこそ「神崎与五郎股くぐり(侘び証文)」などの浪曲や講談が、フィクションにせよ、説得力を持って受容されたのである。斬捨ててしまったら上記の手続きで身動きが取れなくなり、仲間との約束を破ってしまう。「なる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍」という名台詞、私もことあるごとにこの言葉を心で呟いている。
封建時代は「男尊女卑」だったというのも歴史を知らない証拠である。この種の話題は尽きないので終わりにするが、ある価値づけは歴史的背景や世相次第で相対的に決まる流動的なものだ。「世界平和」「戦争反対」は私も大賛成だが、元寇の戦場で誰がそんなことを言えるだろう?
私は脱構築という言葉が嫌いなので「自分からの脱藩」と呼んでいるが、脱皮出来ない蛇は滅びる、というニーチェの言葉に賛同する。自分の思想を絶対化せず、過ちに気付けば直ぐに改め、論敵の立場も尊重できる人間になりたいし、そういう人と議論したい。今こそ頭山満翁のような大人物が輩出してほしいと感じる。
現代はウヨクという言葉が時流に乗って軽くなりすぎたように想う。私は「革新愛国」という言葉を使っているが、「国想う人」とでもすれば維新の会から共産党まで全てが共通部分を持つ集合になり、新たな思想と行動のモデルが見つかるのではないだろうか?アジアの対立と日本人の愚民化を喜ぶのは誰か分かり切っている以上、そろそろ一緒に脱皮しませんか、というのがこのとりとめもない偶感の結論である。
最後に。現代は後世どう評価されるだろう?
非政府組織・「国境なき記者団」が発表した「世界報道の自由度ランキング 2014」で日本は59位。幸福度については地球幸福度指数、地球幸福度ランキング、地球幸福地図など調査機関によって幅があるが40位台から90位台に位置づけられている。