第13回 日高正博 氏

(株)スマッシュ 代表取締役
今、企業化された『プロモーター』が増える中、「唯一『呼び屋』の意識でやっているのは日高氏だけ。」と真剣に語るバッドニュース・千葉氏の紹介で、スマッシュの日高正博氏が登場!ご自身のルーツからスマッシュ設立まで、そして4年前にうまれた日本で最初のロックフェス・フジロックフェスティバルの立ち上げに至るまでを深~く掘り下げて語っていただきました!
日高正博メイン
[株式会社スマッシュにて/港区・株式会社スマッシュにて]
日高正博(Masahiro HIDAKA)
(株)スマッシュ 代表取締役
1949年1月24日生まれ。熊本県人吉市出身。1970年東京ビデオセンターにてラジオ、TV等の音楽番組製作に参加。その後同社設立の音楽出版マネージメント会社ベルキャットに参加。その後フリーランスの音楽製作として活動。1980年ジェニカミュージック入社。1983年(株)スマッシュ設立。1994年大阪事務所(のちのスマッシュ・ウエスト)開設。1995年ロンドン事務所設立。1996年(有)トマホーク(音楽出版社)設立。1997年7月富士山麓の天神山スキー場で「フジ・ロック・フェスティバル」開催。以降東京ベイサイドスクエアを経て、1999年より苗場スキー場で開催。

[スマッシュが手がけた主なコンサート・アーティスト]
エルビス・コステロ、オアシス、プロディジー、ビョーク、プライマル・スクリーム、ジャクソン・ブラウン、アンダーワールド、ケミカル・ブラザーズ、フー・ファ イターズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、 ハイ・スタンダード、他多数

1. 幼少時代はガキ大将

日高正博2--日高さんは、前から存じあげてるんですが、今やもう凄い存在で、圧倒されてるんですが(笑)

日高:そんなことないですよー(笑)

--スマッシュと言えば「FUJI ROCK FESTIVAL」(以降フジロック)ですが、フジロックは音楽産業における新しい文化を日本に根付かせてくれたと思います。ほんとうにその功績は大きいと思うのですが、今日はまずご自身のことからお伺いしたいと思います。ご出身は熊本ということですが。

日高:そう。熊本県人吉市っていう、山のなかです。鹿児島と宮崎の県境ですよ。盆地でね、360度が山のなかで、当時はとても保守的な所だったんですよ。

--そこで中学ぐらいまでいたんですか。

日高:15歳まで。卒業まではいました。

--悪さやってた(笑)?

日高:とは思わないんだけど、自分では(笑)

--けっこう田舎なんですか?

日高:すっごい田舎だよ。俺が海見たのは小学校3年か4年だもん。

--そんな田舎なんですか。

日高:今だったら車で3~40分で行くと思うし、熊本から鹿児島まで汽車もつながってるんだけど、昭和30年代っていうのは道路事情も悪いし、そういう環境じゃなかったんだよ。

--僕も福岡だったんだけど、阿蘇山行くんだったら2泊3日ぐらいで行くみたいな感じで(笑)

日高:そういうもんでしょ。子供の時って絶対そうだよ。子供の時に歩いた所って、すごい遠く感じるじゃない、今歩けば近いんだけど。それと同じようなことでしょう。旅行するとかも…なんていうんだろ、貧乏だったのかもしれないけど。質素だったんじゃないのかな。生活自体が。

--一番近い大きな町っていうと、どこだったんですか。

日高:俺のいたのは人吉市で、熊本県では人口的には3つ目ぐらいに多いところなんですよ。2番目に大きい町は、まあだいたい同じくらいの大きさだと思うんだけど、八代っていって、工場の町です。いちばん大きいのは熊本市ですよ。

--山のなかっていうことは、野生児だったんですか。

日高:野生児かどうかはわからないんだけど、まぁあんまり誉められた子供じゃなかったことは間違いないね。

--何やってたんですか?子供の頃って。中学生ぐらいまで。
何やってたんだろ?…とりあえず遊んでた。

--それは悪い遊びでもなんでもないわけで…?

日高:喧嘩は大好きだった。よその学校に行ってたもん、喧嘩しに。強いのがいるとか聞いて、小学校の終わりぐらいの頃からさ、そいつんとこ行ったり…。

 人吉は非常に小さい町なんだけど、球磨焼酎の産地なんだよ、球磨焼酎って知ってるでしょ?球磨郡なんだけど、人吉付近だけで焼酎の作り酒屋が、そうだな…30何カ所かあるんですよ。盆地だから温泉があって、やくざも多い。それと木材とか木炭とか椎茸とかの産地でもあるから、産業は結構動いてて。温泉があって、で隠れる場所もあるから、昔はけっこう、追われて逃げた人っていうのかな。多いんですよ。十代の時に田舎にいてダンスホールでバンドやったことあるんだけど。そんなところはやくざが出入りするでしょ。それで知り合って酒飲むと、どこどこで事件起こして逃げてきたとかね(笑)。そういうのが多いんだけど(笑)

--はははは(爆笑)

日高:ま。だいたい昔ね江戸時代から「仇討ち」の話があって、荒木又右衛門かな、伊賀上野の36人斬りっていうのがあんだけどさ、あのときの相手の敵の人が河合又吾郎って言う人なの。その人を討つためにあそこでやんだけど、その人が要するに逃げて行く先は、墜ち行く先は九州・相良って言って、相良って人吉のことなのよ。だから、河合又吾郎を迎え入れるために屋敷も作ってあったって話だけどね。人吉にね。言ってる意味わかるかな。だから、ま、それはたまたま偶然なんだけど。逃げて行く先・墜ち行く先みたいな。

--落人部落ですか。

日高:ま、部落じゃないんだけど、それぐらい田舎だし山の中っていうのがあって。それぐらい鹿児島と宮崎と熊本の県境だから。20キロもないし。お互いどっちいったって。だからおもしろいよ。鹿児島をぽっと超えると言葉が通じなかった、昔ね。おじいちゃん・おばあちゃんとかと話したり、道聞いても全然わかんなかった。

--全然違うよね。

日高:全然違う。宮崎行くとまた違う感じなんだけど。

--それはわざと言葉が通じないようにしてるんですよね?

日高:鹿児島はそうしてるからでしょ。江戸時代・島津以降そうしてるから。関ヶ原以降かな。

--ああ、なるほど。

日高:ま、そういう土地柄で非常にいいとこだと思うんだけど、で、いまもそうなんだけど、あまり先のこと決めないんだよ。子供の時からそうだったよ。とにかく朝起きたら、昼ごはん何かな…と。

--それぐらいしか考えてない(爆笑)

日高:そう(笑)。それで卵焼きが大好きだから、お弁当に卵焼きが入ってると思うと、そのお昼ごはんまでの4時間は「たまごやきたまごやきたまごやき…」って過ごしてるという…。

--無邪気な少年ですね(笑)。

日高:無邪気っていうのかな?単純なんだろうね(笑)。で、ご飯食べ始めると、次のことは昼休み何しようか?だよ。俺らってやっぱし今でいう団塊の世代だから、すごい多いわけですよ。同級生が。

--そうですね。

日高:だから、運動場なんて早く行かないと、その40分間が遊べないわけですよ。必ず食べるのに5分ぐらいしかかけないから。バーっと食べるの早いから。まず食べはじめた時に、何やろうかと決めるわけですよ。ソフトボールやろう、あれやろうこれやろうって。そしたら陣地取りだから、そうすると仲間の中に食べるのが早いのがいるから、食いながら「おまえ、食ったらあそこ行って陣地とっとけー!」みたいな感じで、もうガキ大将だったんだもん。

--あははは(笑)

日高:で、昼休み終わると、あとの2時間何やって過ごすかっていうと、放課後何やるか。

--基本的に遊ぶことしか考えてなかったわけですね。

日高:とにかく楽しいことしか考えてなかった。だから、家の近くに帰ってみんなで遊ぶか、もしくは、学校が山の上だったから、だから帰りは楽しいわけ、山道をあっちいったりこっちいったり。

--遊び場所が無限にあるわけだね。

日高:ほら穴はあるし、もう探検はできるし…みたいなとこだったから。学校は大嫌いだったけど、遊ぶのは大好きだった。

--授業中はなりを潜めて…次のことを…?

日高:授業中はやかましかったといわれてた。先生から。おまえはしゃべってると。

--「うるさい静かにしろ!」って言われるような

日高:うん。そういう。だいぶ経ってから小学校ん時の先生に会ったら「おまえ、やかましかったな」って言われたけど。