2014年3月11日22時48分
伊吹文明衆院議長が、11日の「東日本大震災3周年追悼式」で述べた「追悼の辞」は次のとおり。
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災3周年の追悼式が行われるに当たり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
3年前の今日、東日本を襲った大地震と津波により、東日本の国土は破壊され、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々とご遺族の皆さまに改めてお悔やみを申し上げます。そして、被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすらはばかられるのが率直な心境です。
多くの関係者のご努力により、復興に向けた歩みは着実に進んでいます。震災後、被災地の惨状に心を痛めた方々が被災地を支援するボランティア活動に参加してくださり、多くの、今日お見えの諸外国からの温かいご支援をいただいたことは、物心両面で復興の大きな助けとなりました。ご支援をいただいた皆さまに対し、深く感謝申しあげたいと存じます。
一方で震災から3年が経過し、被災地以外では大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれています。しかし、被災地では仮設住宅等での不自由な生活を余儀なくされている方々もなお多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では、住み慣れたふるさとに戻ることができず、今なお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現状を私たちは忘れるべきではないでしょう。そういった方々のことを思うと、電力を湯水のごとく使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人ひとりの責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなければなりません。思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、生命をつないできました。それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬(いけい)と感謝という謙虚さが受け継がれてきたのが、日本人の心根・文化の根底にあったはずです。科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという「驕(おご)り」が生じたのではないでしょうか。そのことが核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。3年目の「3・11」を迎えるに際し、私たち一人ひとりが電力は無尽蔵に使えるものとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、日本人として言行一致の姿勢で省エネルギーと省電力の暮らしに舵(かじ)を切らねばなりません。
主権者たる国民より選挙を通じて主権を委ねられている我々国会議員は、被災地の復興に全力で取り組むとともに、震災で得た教訓をもとに、エネルギー政策のあり方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます。
結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉といたします。
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