おとつい(おととい)の エントリーで
《人間、うまれてくれば、かならず しにます。死は さけられません。》
と かきました。
「しにます」とかき、「死は」と かいて います。はじめの「し」は訓よみ漢字になりますので かな表記し、あとの「シ」は音よみ漢字ですので 漢字で 表記したのです。
ここ しばらく、訓よみする 漢字を かなで 表記してきたのですが、どうしても 漢字で 表記しなければ わかりにくい ことが あります。そういう ときには いたし'かた なく 漢字を つかっておりました。
テレビの ワイド報道番組などでは、文字を かいた パネルを うつし、そこに かかれた 文字を、さし棒で おいかけながら よんでいる 情景を みることができます。記憶する ためには 目で 確認することが 有効で あると いう 研究結果も ありますが、テレビは 記憶させる ために 文字を 画面に うつして いる わけでは ないでしょう。画面の“てもち'ぶさた”の 解消が 目的でしょう。
耳で きく ばあいには 漢字は 存在しません。しかし、きいた おとを 瞬間的に 漢字に 翻訳して 理解しているのです。反面、かなの ことば、つまりは もともとの 日本語ですと、漢字が ない ゆえに、音声と その ことばの 意味が ダイレクトに つながっています。
ラジオから ながれる 音声には 文字は ありません。ラジオを ながら'ぎき しておりますと 気が つきませんが、集中して きいて おりますと、そのことを 感じられます。
ながい あいだ 音声を 漢字に 翻訳する クセが ついておりますので、もじ'づらを おって おりますと 、かな文字をも 漢字に 翻訳しようと している ように おもえます。そのため、かな文字は よみにくい と 感じる のでは ないでしょうか。
頻繁に 使用する 漢字語ですと、耳で きくだけでも 容易に 文字に 翻訳できますので、そういう 語は 漢字で 表記する ことに しよう かな、と かんがえている 昨今です。
2007年05月03日
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