大震災3年:空から目撃した津波…広がる更地に恐怖の残像

毎日新聞 2014年03月12日 11時25分(最終更新 03月12日 12時11分)

宮城県名取市(手前)から岩沼市にかけての海岸線。右手前は仙台空港=2014年2月24日、本社機「希望」から手塚耕一郎撮影
宮城県名取市(手前)から岩沼市にかけての海岸線。右手前は仙台空港=2014年2月24日、本社機「希望」から手塚耕一郎撮影
沿岸部を襲う大津波=2011年3月11日午後3時56分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
沿岸部を襲う大津波=2011年3月11日午後3時56分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影

 東日本大震災で大津波に襲われた仙台平野の沿岸部。上空からのぞむと、人々の生活の気配は見えず、いまだに更地が広がっている。

 3年前の3月11日、この地域に大津波が襲来したのは地震発生から約1時間10分後だった。仙台空港から本社ヘリコプターで飛び立ち、目の当たりにした大津波は、海岸の堤防や防潮林を越えても勢いを弱めることなく、どんどんと平野を遡上(そじょう)して、街を破壊していった。あのときの背筋が凍るような感覚は忘れない。

 今も、多くの人たちが、大切な家族やふるさとを失った悲しみも癒えないまま、内陸の仮設住宅などで避難生活を強いられている。防波堤の建設や海岸林再生に向けた植栽地造りなど、少しずつ変化の兆しも見えるが、その速度はとても遅い。

 大津波による破壊は、ほとんど一瞬だった。だからこそ、復興への長い道のりに、もどかしさを感じる。【手塚耕一郎】

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