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金曜日

Dr.片山晴子

高校野球取材や大食い番組等のメディア出演を行う東京大学医学部医学科卒の脳神経外科認定専門医の医学博士。ドイツ在住。
2014/03/07

ZDF版ソチ五輪フィギュアスケート解説者の驚異的博識(4)…ソトニコワの金は「伊藤みどりの代理戦争」だった!

ロシア女子シングル史上初となるオリンピック金メダル獲得の快挙を成し遂げたアデリーナ・ソトニコワですが、その後も一部に判定への不満があるのか、いまだに場外乱闘が続いているようです。当サイトでは先週、ドイツ公共放送の一つであるARDのフィギュアスケート中継について、実況のダニエル・ワイス(Daniel Weiss:元ドイツ男子シングル王者)と解説のカタリナ・ビット(Katarina Witt:1984年サラエボ及び1988年カルガリーの五輪女子シングルで二大会連続の金メダル)の発言内容全文を紹介しました。カタリナ・ビット(正しくはヴィットと表記すべきだが以下ではビットに統一)の発言がその一部を切り取られた形で報じられ大いなる誤解を生みだしていたこと、さらには後日のエキシビション解説の際にも両氏から改めて真意の説明と誤解の訂正を意図した発言があったこと、そしてそれらに関する後追い報道が(少なくとも日本では)一切みられないことなど、ウィルス並の伝搬性を示すマス・メディアの影響力の大きさと、誤解の訂正すら追いつかずに発言が一人歩きして伝言ゲームと化す危険性をまざまざと見せつけられた思いがします(→ソチ五輪閉幕、失言オリンピック開幕?!(3)…「ヨナが金」発言の全文から読み解くカタリナ・ヴィットの真意と誤解)。

それでも、私にとってはドイツにおけるフィギュアスケートのテレビ&ネット観戦は思わぬ勉強になったのも事実です。先週述べた通り、ドイツにおけるオリンピック放送は同国の二つの公営放送であるARD(ドイツ第一チャンネル)とZDF(ドイツ第二テレビ)が日替わりで地上波中継を担当していました。これは日本で例えるなら、NHK第一とNHK第二が全く別の放送局として独立して存在し、今日はNHK第一、明日はNHK第二、そして五輪中継しない方の局はその他のニュース報道などを一手に引き受けるようなものとイメージしていただくとよいでしょう(ドイツの人に聞くと、ARDはどちらかというと右寄り保守路線でやや硬め、ZDFは中道左派的スタンスで柔らかめとのことで、言われてみればニュースやドキュメンタリーの論調も若干異なります)。

そして、地上波放送を各競技とも均等に取り上げる万人向けの幕の内弁当的コンテンツとすると、「マニア向けコンテンツ」として位置付けられていたのがインターネットのストリーム配信でした。特にフィギュアスケートの場合、ZDFもまたARDに負けず劣らずの解説を別に行っています。そして、今回初めて知ったのですが、普段からニュースも読んでいるZDFの司会者が、実は元フィギュアスケーターだったのです。


(背後に聖火のともった聖火台が見える。このスタジオはZDFとARDで共用である)

上の写真はZDF五輪中継番組の専属キャスターの一人で、ZDFの全フィギュアスケート中継の実況兼解説を一人でこなしたルディー・ツェルネ氏(Rudi Cerne)です。ドイツではおそらく、年に数回不定期に放送される(殺人や失踪などの)未解決事件の情報提供をお茶の間の視聴者に呼びかける”Aktenzeichen XY ungelöst”(ZDF)という番組の司会者としての顔の方が、広く全土に知られているのではないかと思います。この番組はかつての日本で放送されていた「TVのミカタ」(テレビ朝日)という高橋英樹さん司会の番組にとてもよく似ており、実際にこの番組が犯人逮捕に結びついたケースも多数存在するようです↓。


(中央がツェルネ氏。生放送中にフリーダイヤル電話やネット投稿で情報提供を募っている。その情報はツェルネ氏周囲に映るオペレーターを介して番組内でも随時紹介されるという、日本でもおなじみのスタイル)

この番組の印象が強すぎて、私はルディー・ツェルネ氏を長らく勝手に「ドイツ版・高橋英樹」と思い込んでおり、今回のオリンピックでツェルネ氏のフィギュアスケート解説があまりに専門的・技術的かつ内容が豊富なことに漠然とした驚きを感じていました。しかし、調べてみたら何とまあビックリ…男子シングルの元・西ドイツチャンピオン(1978年及び1980年)というだけでなく、1984年欧州選手権銀メダリスト、さらにオリンピックにも2回出場(1980年レークプラシッド13位、1984年サラエボ4位)という燦然たる戦績が出てきたのです。どうりでフィギュアスケートに詳しいワケだと遅ればせながら納得です(笑)。つくづく、ドイツのフィギュアスケーターの引退後の進路とは何と幅広いことかと感心してしまいます(→フィギュアスケーターの人生設計を考える(1)…タンヤ・シェフチェンコ(ドイツ)の場合)。私が受けたこの衝撃をあえて例えるなら、高橋英樹さんが俳優であることは日本人であれば誰でも知っているはずが、来日してから「TVのミカタ」しか見たことのないドイツ人が、初めて「桃太郎侍」を見て腰を抜かした…というような話でしょうか?

さて、この桃太郎侍じゃなかったルディー・ツェルネ氏、女子フリーのあった2月20日(地上波はARD担当)にZDFストリーム配信による女子フリーの生中継を担当しました。登場した女子シングル全24選手の解説を、ノーカットで4時間の長きにわたり、たった一人で見事に喋り切りました。ワイス氏とビットさんの掛け合いで進行するARDの実況解説とはまた一味異なるZDFのツェルネ氏の最大の持ち味は、何と言ってもその博識ぶりで、中でも特筆すべきは「歴史に強いこと」でしょうか。選手の横にコーチが映る度に、「この人は誰それのコーチも務めたことがあり、自身の現役時代の成績はこれこれ」といった内容がスラスラと出てきます。

例えば、アメリカのグレイシー・ゴールドのコーチであるフランク・キャロルについてツェルネ氏は「この名伯楽にはかつて日本の五十嵐文男も師事していた」と紹介しました。ツェルネ氏は五十嵐文男氏と同い年なので、スケーターとして同じ時代を過ごした経験から出た発言かもしれません。韓国の選手がフェンスにぶつかって転倒した際には、「これは私もやらかしたことがあります。なお似たようなケースとして有名なのは、勢い余ってカメラ席に飛び込んだ伊藤みどりさんで、あれはミュンヘン開催の世界選手権での出来事でした」とコメント。かくも日本人の話題が立て続くと、何だかうれしくなります。

音楽についてのコメントも秀逸で、日本でも人気のエレーネ・ゲデバニシュビリ(Elene Gedevanishvili、グルジア)のフリー「ジゼル」(Adolphe Adam作曲)で後半からいきなり曲調が変わった瞬間、「ここからはレオン・ミンクス(Leon Minkus)作曲の別の曲です。これは、ジョン・カリー(John Curry:イギリス)が1976年のインスブルック五輪で金メダルを取った時の曲です」ときました。資料にはAdolphe Adamの「ジゼル」としか書かれていないにもかかわらず、途中から曲がレオン・ミンクス作曲の「ドン・キホーテ」に切り替わったことなど、この中継を聞かなければ私は死ぬまで知ることはなかったでしょう(知らなくても生活には何の支障もありませんが)。それでも、日本のテレビ解説ではまず聞いたことのないこの手の話が次々と続くことで、フィギュアスケートを中心とした多方面への興味が深まります。かくして私はこの4時間ですっかりツェルネ節にハマってしまいました。目前の現実とは関係のないVTRをやたら差し込んだり、「いや~、何とかサン、凄かったですね~」といった素人ゲストの感想を盛り込んだフィギュアスケート中継を見る生活には、もう戻れないかもしれません(笑)。

ツェルネ氏の圧巻は解説は終盤にやってきました。結果的に金メダルを獲得することになるアデリーナ・ソトニコワの登場とその演技終了後に喜びを爆発させるソトニコワ本人、沸きに沸く観衆、演技のスローモーションVTRに引き続き、得点が発表されるまでのしばしの間、こちらの画面右に映る女性コーチがこのような形で紹介されたのです。以下にその部分を和訳してご紹介します(発言部分は青字)。


右の女性が彼女のコーチのエレーナ・ボドレゾワ(Elena Vodorezova)、現姓ブヤノワ(Buianova)です。
エレーナ・ボドレゾワといえば、かつてのインスブルック五輪(1976年)の「ジャンプの申し子」として、ボクはよ~く憶えています。
彼女はダブルアクセルとか3回転ジャンプとかを、それはもうノミのように軽々と飛んでいて、他のどんな選手よりも良質のジャンプを、他の誰よりも遠く飛んでいたものです。


この紹介を聞いて、思い浮かぶ人物はいませんか?私の場合、「ジャンプの申し子」「ジャンプを軽々と、誰よりも遠く飛ぶ」と聞いて真っ先に脳裏に浮かんだのは、先ほども出てきた、あの伊藤みどりさんでした。

伊藤みどりさんは1969年8月生まれの44歳。女子としては初となるトリプルアクセルを飛んだことでも知られる伊藤さんは、5歳でスケートを始め、10歳で全日本ジュニア優勝、11歳での全日本選手権3位(←小学生の入賞は45年ぶりだった)で天才少女と騒がれつつも、12歳から15歳頃まで右足首骨折などの故障に悩まされ、確実視されていた1984年のサラエボ五輪出場をフイにしてしまいます。この思春期女性特有の劇的な体形変化や元来の太りやすい体質と闘いつつも復活、1988年カルガリー五輪5位、1989年世界フィギュアでアジア人初となる優勝、1992年アルベールビル五輪銀メダル、これらと並行する1984年(15歳)からの全日本8連覇など、女子フィギュアスケート界の金字塔を打ち立てた人物です。

そして、エレーナ・ボドレゾワのストーリーもまた、伊藤みどりさんの話とかなり似た話が満載です。1963年5月生まれの50歳のボドレゾワの場合、スケートを始めたのは4歳でした。1976年、12歳の若さでソビエト選手権初制覇を果たし、同年のインスブルック五輪に出場を果たします。この五輪で、ツェルネ氏の言うように「ノミのように軽々」とした、それでいて高さのあるダブルアクセルやトリプルジャンプにより強烈な印象を残したこの天才少女は12位となり、その将来が大いに嘱望されました。しかし、14歳で欧州選手権3位(←同大会のソ連女子初メダル)さらには世界選手権6位となったのを最後に、15歳から17歳までのほぼ3シーズンを関節炎のため棒に振ることになり、1980年のレークプラシッド五輪もフイにしてしまいました。1981/1982年のシーズン(18歳)にケガを克服し競技復帰した際は、以前とはうって変ってかなり豊満な体型になりながらも、持ち味のパワフルなジャンプに女性的な表現をつけ加えて快進撃、ソ連チャンピオン返り咲きを皮切りに欧州選手権3位、世界選手権5位と見事な復活を果たしました。翌年は19歳で欧州選手権2位、世界選手権3位(←これもソ連女子初メダル)となり、満を持して20歳で迎えた1984年のサラエボ五輪では規定を終えて2位、ショートプログラムを終えて4位というメダルを狙えるポジションにつけたものの、フリーでのジャンプ失敗もあり結局は8位に終わりました。この大会を最後に引退・結婚・出産となった彼女は、今はモスクワのアイスセンターでコーチ業に従事しており、ソトニコワのコーチとしてソチのキスアンドクライで隣に座るに至った次第です。


(左:1976年インスブルック五輪での12歳のボドレゾワ。右:サラエボ五輪での20歳のボドレゾワ)

天才少女と騒がれた時代から、思春期の体形変化とケガに苦しむ時期を経ての見事な復活劇、さらには母国のスケートの歴史を変える記念すべき快挙を次々と達成したこと、前向きに踏み切るアクセルジャンプに世界的な定評があったこと。エレーナ・ボドレゾワのストーリーは、調べれば調べるほど伊藤みどりさんとの共通点か多いことに驚かされます。そして、その「ソ連版・伊藤みどり」が手塩にかけて育てたのが、これまたロシア女子史上初の五輪金メダルという快挙を成し遂げたアデリーナ・ソトニコワということになります。そのソトニコワの金メダルに対して、「アデリナの構成要素点が高すぎる」「ヨナやコストナーの方が女性として成熟」と息巻くARDの喧噪の裏で、ボドレゾワのプロフィールをZDFが解説してくれたことにより、これが「みどりさんの代理戦争」なのではないかと、ハタと私は気付くのです。

80年代後半から伊藤みどりさんの国際大会での活躍が世界に轟くようになった頃、他でもないカタリナ・ビット選手が彼女のことを「ゴムまり」(Gummiball)と発言して問題になったことがありました。「観客は美しい女性を見たいとは思っても、ゴムマリがただピョンピョンはねるのを見に来ているのではない」という趣旨のその発言は、どんどん難易度の挙がっていくフィギュアスケートの女子シングルに対する元五輪女王の警鐘として、当時賛否両論の大議論を巻き起こしました。以下の記事はドイツのDie Zeitという新聞の1993年当時の記事です。

Die Zeit (1993年12月10日):”Der zweite Anlauf der Märchenfee” (直訳すれば「2度目の助走に臨むおとぎの国の妖精」の意味)
http://www.zeit.de/1993/50/der-zweite-anlauf-der-maerchenfee/komplettansicht

このような記事がドイツで当時流れていたこと自体が意外でした。内容をかいつまんで言うと、「一度は引退したカタリナ・ビットが6年ぶりにアマチュア復帰、1994年のリレハンメル五輪を目指すことになった」というもので、「『美を追求するスケート』が、『ただ単にジャンプの難易度を競うスケート』に浸食されるべきではない」と訴えるカタリナ・ビットは、「自分は流れに逆らっている」と語っています。そんなビットに対し、Zeit紙の記者はとても辛口です。「かつてビットは伊藤みどりのことを『ゴムまり』と呼んで酷評したが、あれは1988年のカルガリー五輪の際に(みどりさんと比べて)自分の演技の技術的レベルが低いことをカムフラージュするためだ。当時の伊藤みどりほど、ジャンプを音楽とドンピシャのタイミングに合わせることができて、スピンも美しい選手はいなかった」「オクサナ・バイウル、佐藤有香、ナンシー・ケリガン、陳露、ジョセ・シュイナールなど、今どきのトップクラスの選手はみんな難しい振付のもとで踊るように堂々と3回転ルッツ(などの高難易度のワザ)を表現できる」「カタリナ・ビットの引退以降、女子のレベルは劇的に向上している。カタリナ・ビットは流れに逆らっているのではない。遅れて後ろから追いかけているだけだ」といった著者の反論が並んでいます。(なお、記事の中で1976年インスブルック五輪銅メダリストのトラー・クランストン氏は、カナダのテレビ解説者としてビットの規定を実際に見て「どうみても12位程度の出来でしかなかった(のに5位となった)」と指摘、結果的に金メダルにつながったこの規定の評価をジャッジの不正だと発言している!)

私がこの1993年のドイツの記事をみつけたのはつい最近のことですが、ここには私がソトニコワとボドレゾワの姿を見て「これは伊藤みどりの代理戦争なのではないか」と感じた理由が、驚くほど明快に書かれています。この記者は、伊藤みどりさんを高く評価する理由として、「高難易度のプログラムがそれ自体で備えうる芸術性」に言及しているからです。手足が短かろうが背が低かろうが、スタイルがどうであろうが、その演技の中からにじみ出てくる表現の圧巻性に対し、「セックスアピール」とは異なる次元の美を見出す人が、ドイツにもいたようです。

今回のソチでは、トリプルアクセルを筆頭に全6種類のトリプルジャンプを女子としては初めて、それも五輪の大舞台で披露した浅田真央さんもまた、その容姿の麗しさや動作の優美さだけではなく、「達成しうる最高難度の演技に挑むこと自体が帯びる芸術性」を表現していたと思います。今回金のソトニコワ選手や若いリプニツカヤ選手、男子の羽生結弦選手などもそうですが、最高難度の技を音楽の世界や表現豊かな振付と融合させつつ、それでいてあたかも簡単であるかのように表現してしまうその卓越した演技こそは、まさに21世紀のフィギュアスケートの未来図と思えます。だからこそ、先週ご紹介したダニエル・ワイス氏とカタリナ・ビットさんの会話の中の「技術よりも美しさ」「オンナとしての成熟、色気」といった彼らの私見が、かえって「伊藤みどり的なものの否定」のように私には聞こえてしまったのかもしれません。彼らが言う「オンナとしての美」がそんなに大切なら、最初からビューティーコンテストを開いたらどうかとツッコミたくなります。その演技の優雅さや品格に応じて多少の芸術点差が生じることに異論はありませんが、かなり主観的な尺度である「芸術的要素」に由来する何十点分もの点差が演技以前から存在するようなら、それは単なる出来レースを見ているようで観客だって面白くないでしょう(やる方もアホらしい?)。例えばかつてのバンクーバー五輪において、浅田真央さんが仮にどんなに完璧な演技を披露したとしても絶対に金は取れなかったであろうほど、その演技構成点(芸術点)がハナから大きくかけ離れて設定されていたことに、不条理を感じた方も多かったのではないでしょうか。同じバンクーバー五輪で4回転ジャンプを飛ばなかった選手に金メダルを奪われたロシアのエフゲニー・プルシェンコ選手が問題提起した「4回転論争」に端を発したのかどうかは知りませんが、今後のスポーツとしてのフィギュアスケートの発展・振興という観点からも、今回のソチ五輪における「過大な芸術点差を控える」という一連のジャッジ傾向は、これはこれで良かったのではないかと思えます。

いずれにしても、伊藤みどりさんとあまりに共通点の多い「ソ連版・みどり」ことエレーナ・ボドレゾワ、そして、その「ソ連版みどり」の教え子であるアデリーナ・ソトニコワの快挙は、「芸術点」のジャッジ判定に長らく恵まれてこなかった歴史を持つ日本にとって、とても他人事とは思えぬ朗報かもしれない…ルディ・ツェルネ氏のZDF解説を聞いていると、そんな風に思えてきます。「みどりさんの代理戦争」が今後どのような展開を見せるのかも含め、ドイツのフィギュアスケート解説には今後も注目していきたいと思います。


(アデリーナ・ソトニコワ金メダル獲得の瞬間の関係者とのこちらの抱擁シーンについて。ツェルネ氏の説明によると、こちらの男性はアレクサンドル・ゴルシフ。ロシアスケート連盟のドンだそうです。1976年のインスブルック五輪で初めて正式種目となったアイスダンスの、初代チャンピオンでもあり、当時のパートナーは、リュドミラ・パコモワだったとか。アイスダンス初代王者とロシア初の女子シングル王者の年の差はピッタリ半世紀だそうで、歴史の重みを感じさせる光景です)

<参考サイト>
YouTube - Elena Vodorezova - 1977 Olympics - Free Skate
http://www.youtube.com/watch?v=V_4O9AHF2dQ

YouTube - Elena Vodorezova (URS) - 1984 Sarajevo Figure Skating, Ladies, Long Program
http://www.youtube.com/watch?v=2_YA7ZDQZ7w

YouTube - John Curry 1976 Innsbruck Olympics LP
http://www.youtube.com/watch?v=z79TMsYRnEc
(フィギュアの男子シングルを芸術の域に高めたと評されるジョン・カリーの演技動画。なお、この動画を見て気付くのは、カリーがジャンプは左回りでスピンが右回りという珍しい選手であること。こういうのを見ると俄然興味が湧いてくる。惜しくも44歳の若さでエイズのため死去。かつて、ジュニアのグランプリ大会の一つ「ジョン・カリー・メモリアル」にその名を残していたが、残念ながら大会そのものが廃止。ちなみに、ラストとなった2010年のジョン・カリー・メモリアルの女子シングル優勝者はアデリーナ・ソトニコワ…これも何かの縁か?)