小林カツ代がエッセイに残した「オソロシイ」自分の姿
さて、コーヒーにしませんか?―キッチンをとおして見えること(大和書房)
当初は雑誌連載をまとめるはずだったエッセイ『さて、コーヒーにしませんか?』(大和書房)は、書き下ろしが多くなった。「あとがき」からは、彼女の裏面の、奇妙とも思える心の響きが聞き取れるはずだ。
私は今までに四〇冊以上の本を出版していますが、純粋にエッセイのみというのは少年少女向けに書き下ろした『虹色のフライパン』(国土社刊)のみで、あとは、人さまが私のことを本職と思っておられる料理についてのものがすべてといっていいくらいです。
実は、私は昔からモノを書くのが好きで、絵描きかモノ書きになりたいと思っていたのです。それが、料理好きが高じて、料理の道を歩き続けていますが、ふと、立ち止まることがあり、何か忘れものをしているような気にときどきなるのです。
それが書くこと。それも、料理だけにこだわらず、日々の暮らしの中で心動かされることなど、淡々と書いてみたいなと。
しかし、今、書き終えて思うことは、この作業は、料理と同じく非常に私に合って面白いことではあったけど、かなりオソロシイものだということです。書きすすむ波に乗り始めると、自分が何をいい出すかわからないからです。
料理研究家としてスイッチを入れるのとは別に、もう一つ作家としてのスイッチのようなものが自覚されていた。それを入れると、「何をいい出すかわからない」「オソロシイ」ことになると述べている。「オソロシイ」ことはどう書かれているのか。
ぞっと心が凍るような何か、あるいは、炎に焼かれるような何かがそこにある。「第四章 心の奥底にあるもの」という章がわかりやすい。1990年に初出となった「炎の瞬間」から見てみよう。息子のケンタロウが4歳のことだから、彼女が39歳のころだ。5歳の娘が浸潤性中耳炎で医者通いしている日々の風景である。
私がたった一人になる時間は夜中しかなく、みんな寝静まった中でやっと開く原稿用紙。料理のレシピ書きは正確さを要します。眠さとの戦いの中で、ひとり苦笑いしたことも。
さとう大さじ1と書くところをなんのはずみか、もーろーとしているせいか、米一合なんて、まったく考えもしないことを書いたりするのです。
私は嵐の日々でも、オトコである夫の日々はそう変わりありません。
いさかい……当然起こります。私は疲れ切っていて、心の中もザラザラ。結論など出ぬ口争いのはて、夫は二階の寝室へ。子どもたちはとっくに眠っていました。
その時、私は自分でも思ってもみない行動に移ったのです。真夜中、外に出て、自転車を出して、そしてなんと、バス通りのど真ん中をそれこそ風のごとき勢いで走り出したのです。車の中央線をビュンビュンと思いっきり、ほんとに思いっきり猛スピードで、どこというあてもなく、すごい力でペダルをふんで。
幸い深夜で車が少なかったので危険はなかったが、誰もが思うことだが、そのとき偶然に死ぬこともありえた。それは普通に不審死ということになりえた。人の人生の最後はそういうことがままある。彼女の場合、たまたまそうならなかった。
車道の真っただ中をペダルを踏み続けていた私は、母でもなく妻でもなく、まして料理研究家でもなく、ただ、”怒れる女”。あるいは、母であり、妻であり、料理研究家である仕事人のすべてであったのかもしれません。
深夜疾走するのが自動車ではなく自転車というのも滑稽な絵だが、心の風景は殺伐としている。それは誰の人生の半ばにも訪れる心象でもある。
心の激しさを持っている人間は、平穏な人生の中にいても、わっと、炎が燃えたつような、そんなときを自分でつくり出す気がします。
その炎はその後十年以上も続き、51歳の彼女を、二か月の短期ではあったが米国留学させた。「殺人的仕事量と、受験間近の子ら、夫や諸々を日本に残し」たと彼女は言う。
この「炎の瞬間」というエッセイは、なぜか友人の夫の不倫の挿話で終わる。
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