2013.9.27(第233号)
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1.日本の中国報道は偏っているか(論長論短 No.200)
2.上杉隆さん連載・その5
「ツイッターは終わったか?」
3.宋TV出演のお知らせ
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■1.論長論短 No.200
日本の中国報道は偏っているか
宋 文洲
このテーマを扱うのに私は適していないと思います。自分の立場が中国に寄らない自信はないですし、仮に客観的な中間立場に立ったとしても、日本の皆さんに信用されないだろうと思います。
それでも扱うのを決心させてくれたのは、最近話題になった一冊の本です。
ニューズウィークから出版された「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」という本です。外交官や日本メディアの北京特派員から日本語教師、自営業、ブロガー、俳優まで、108人それぞれが去年の9月のデモのときに見聞きしたことについてつづった体験談集で、発売後すぐ重版が決まりました。
その108人の中に私の知人が何人も居ます。もともと彼らとその感想を共有した私がそれを日本社会に紹介しても「嘘だろう」「宋さんの主観で選んだ特殊な人物だろう」という誤解も簡単に予想できます。
何よりも、中国に関するプラス、あるいは中立な意見を聞きたくない雰囲気の中で、融和的な話をするのは大変な圧力を受けます。日本テレビ「バンキシャ」という番組で、「尖閣に隕石が落ちればトラブルがなくなって日中が仲良くなれる」という融和を期待する例え話を私がした時、ネットは炎上し脅迫状が送られてきたほどです。実は、「ダイナマイトで飛ばしたい」、「地震で無くしたい」とよく言ってくれたのは日本人です。もちろん在中の日本人もいれば在日の日本人もいます。
しかし、彼らの声を取り上げるメディアはありません。「ここ数年、中国を扱う雑誌の特集や新刊の中国本のテーマを見ればその理由は分かる。中国に融和的で理解を示すような、簡単に言えば中国に優しい特集や本は売れないのだ。
『中国という大難』『2014年、中国は崩壊する』『中国の終わりの始まり』『黒大陸中国の真実』...よくもまあ、と思うぐらいネガティブなコピーが並ぶ。
裏を返せば、ネガティブ路線以外の中国本や中国特集が出版社の企画会議を通ることはかなりまれだ。」(ニューズウィ―ク副編集長の長岡義博氏)
私は決して中国政府や政治への批判は嫌ではありません。
私自身も批判しています。悲しいのは日本のメディアが展開する批判の殆どは政府や政治ではなく、経済、生活、文化、社会など、いわゆる中国そのものに向けてしまうことです。
これに対して中国側の実態はどうでしょうか。政治や政府の問題にもかかわらず、一部の中国人が無関係の日系企業に批判を向けてしまうことは、中国国民の殆どは恥ずかしいと思っております。非合法な暴力行為について、いくら日本の皆さんに批判されても返す言葉はありません。
しかし、中国の本屋では日本国そのもの、日本社会そのもの、日本人そのものについてのマイナス報道を見付けるのは大変難しいです。
「それでも私たちが中国に住む理由」に集められた1人1人の体験を読めば、「過激化したのはごく一部で、さらに大半の中国人はデモに参加すらしなかった。在中日本人たちがあの時接触した中国人の多くが、むやみやたらと領土論争をふっかけたり嫌がらせをすることなく、日本人に理性的に対応した」(長岡義博氏)と分かっていただけます。
只今も14万人以上の日本人が中国で生活しています。私が知っている限り、彼らは皆前向きで生き生きしています。
本を読みたい方はここから買えます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4484132303
ニューズウィーク副編集長長岡義博さんの書評はここから読めます。
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2013/09/post-269.php
「日本の中国報道は偏っていると思う?」のネット調査の結果はここから見れます。
http://zzhh.jp/questions/727
(終わり)
今回の論長論短へのご意見はこちらへ↓
http://www.soubunshu.com/article/375857103.html
宋のTwitterはこちら↓
http://twitter.com/sohbunshu
今までの論長論短はこちら↓
http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/list.html
■2.上杉隆さん連載・その5
「ツイッターは終わったか?」
上杉隆
日本のメディア環境の劣化が著しい。
日本人が、記者クラブシステムなど一元的な情報受信に慣れてしまっているためだろうか、自ら考え情報の是非を判断することを不得意とする人々が社会全体に蔓延しているようだ。
それは情報リテラシーの欠如による思考停止を招き、社会全体の硬直化につながっている。
悲惨なことに、そうした傾向は知識人などのエリート層において顕著だ。
また、ネットに慣れ親しむ若年層なども「2ちゃんねる」のような匿名での情報の受発信に慣れてしまっているため、責任ある情報社会を築くことをさらに難しくしている。
そうした社会的な要因も影響しているのだろう、先日、国境なき記者団の発表した報道の自由度で、日本のそれは世界53位にまで急降下してしまっている。
確かにツイッターやフェイスブックなど日本人のSNSの使い方を、海外との比較で眺めていてもそう感じる。
何を食べた、犬猫と遊んだ、という他愛もない平和な会話が延々とSNSの大半を占めている(もちろん海外のSNSもそうした傾向がないわけではないし、私自身もそれを否定しているわけではない。ただ、日本の場合は極端すぎるのだ)。
また、SNSなどにおける社会的、政治的な発信となると、極めて遠慮がちに発信する程度になってしまっているか、当たり障りのないものが多い(しかもそうした発信に関しても匿名の場合が多い)。
一方で、社会性を帯びた発信があったと思えば、攻撃的で多様性を排除した意見が言論空間を支配することになる。本来ならば多様性を担保しなければならない知識人たちがその排他性の先頭に立ち、SNSをつまらないものにしているという情けない状況にもある。
とりわけこうした傾向は現在、相対的に匿名性の高いツイッターで顕著だ。
「言論の一元化と匿名性、ともに日本のメディアに特徴的なこの傾向が変わらない限り、将来的にツイッターは有効なツールの座から滑り落ちるかもしれない──」
こう私が予測したのは、拙著『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか』(晋遊舎)を出版した3年前(2010年)のことだ。
それを「悪呟は良呟を駆逐する」という表現でもって端的に表してもみたのだが、残念ながらその傾向は、私の予測よりもずっと早く訪れてしまったようだ。
日本の場合は、そもそもネット特有の誹謗中傷(悪呟)と匿名ツイートに影響されてしまうリテラシー的に幼稚な人々、メディア界に蔓延しているという特殊な事情もある。マスメディアは決して社会の先頭を走っているのではなく、いまや時代遅れの象徴にさえなっている。
そのマスメディアがツイッターを利用し、融合させてきたここ最近で、皮肉なことだが、マイクロメディアであるSNS(とくにツイッター)内の言論の一元化と匿名性の広がりに拍車がかかってしまった。
日本における黎明期のツイッターの良さは、ミクシィとフェイスブックの中位に位置するような程よい匿名性だったのだが、マスメディアが入り込むことでその割合が崩れると同時に、一定層の健全な顕名アカウントが離れてしまったのである。
健全なメディア環境を創るという意味でのツイッターの役割は終わったのだろうか。
私は昨年一年間(2012年)、努めて実験的に、さらにツイッターが不健全なツールにならないような役割を自らのアカウントに担わせ、観察してきたのだが、どうやらその哀しい現実の到来を否定できない材料が集まりすぎてしまった。
もはや私が楽しみにしていた個人アカウントからの情報インプットはツイッターの中から見出すことは難しくなった。
もちろん私は、ツイッターが今後も言論の自由化に有効なメディアツールとして存在することを否定する者ではないし、ますますツールとして進化するとともにその利用価値は上がることも認めている。
ただし、それはマスメディア的な見方でのそれであり、ツイッターが日本のメディア環境にこれ以上の変革をもたらすかとなると、すでにいま起きている以上の「革命」は起きないとと予想せざるを得ない。
そうした意味で、ツイッター(言論空間の健全化のためのツールとしての)は、私の中では終わったのである。
(2013年2月4日 上杉隆メルマガより)
(終わり)
■3.宋TV出演のお知らせ
テレビ朝日「朝まで生テレビ!」
2013年9月28日(土)午前1:25〜4:25
是非ご覧ください!
(終わり)
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