2013.8.16(第230号)
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1.変化は多様な体験に基づく(論長論短 No.197)
2.上杉隆さん連載・その2
「ハフポスト日本版が示した課題」
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■1.論長論短 No.197
変化は多様な体験に基づく
宋 文洲
変化の激しい現代ですが、多くの経営者は部下に変化を促します。しかし、変化しろと言われてもなかなか変化できないものです。それは虫を怖がる子供に「怖がるな」と叱るようなもので、言われればできることではありません。
カナダとの国境の近くで2ヶ月のサマースクールを終えた子供を迎えに行きました。
その晩、近くの旅館に久しぶりに家族で泊まりましたが、男の子供が上半身を裸で寝るのです。この子は元々必ずパジャマで寝ていたのに、その変化ぶりにびっくりです。
よく聞いたら一緒に寝泊まりしたお友達にそんな人が多かったそうです。
もともと私はよく子供に裸で寝るメリットを言っていましたが、その時は全然聞いてくれなかったのに友達のやり方を黙ってみて子供が変化してしまいました。
多様性という言葉は誰でも語るのですが、実際に多様性の無い人間同士で多様性を実現することは不可能です。これは男に子供を産んでもらうようなもので努力とテクニックでできることではないのです。
多様性に欠けている先生達や親達が教育について多様性を語ることは殆ど男がお産を語るようなものです。そう言いながら、実際に多様性のある言動に出会うと「ルールを守らない」とか「秩序を乱す」とか「空気を読めない」とかに表現を変えてしまいます。実際に彼らにとって多様性は絵に描いた餅で本当の多様性という餅の味を知らないからです。
変化と多様性は実に緊密に関係しているのです。我々人間は変化する際、ある暗黙があります。それはAを止めてBやCになることです。BやCなどを見たことのない人、あるいは触れたことのない人にAを止めなさいといっても、言われた人はそれが恐怖にしか聞こえないはずです。
たとえば転職への恐怖。一般的には、現代の日本のサラリーマンの転職への恐怖は半端なものではありません。これが経営者や子供達にも伝染して異なる組織や環境に飛び込むことへの抵抗に変わっていきます。するといつも同じ上司部下、同じ顧客やパートナーと付き合うことになります。気心が知れて安心する面はありますが、嫌なことがあってもそこから逃げ出す発想が持てず、そのままやる気と才能を腐らせてしまうのです。
逃げ出すのが怖いからです。逃げ出しても異なる組織や環境を知らない、つまりAからBに変わる時の体験が圧倒的にたりないため、逃げ出せないでいるのです。私は定期的に子供達が通う学校を異なるタイプの学校、異なる言語を使う学校に変えています。狙っているのは優秀な教育でもなければ、優れた仲間でもありません。目的は異なることを体で体験することです。
中国人と日本人がそんなに違うか。それは両方の国で生活し、教育を受けない限りそれほど分かりません。できることならば第三国、アメリカの学校で世界中の子供の中から日本人や中国人を観察してみるともっと分かりやすいと思います。
帰路に子供達にサマースクールの日本人と中国人の違いを聞くと、「両方とも僕達は話せるからよく分からない。それよりもいろいろな国の友達がいるから比べる暇がない」との答えが返ってきました。
そうなんです。僅かな違いを虫眼鏡で見ること自体が多様性に慣れていない証拠です。
もっと広い視野で大きな多様性を体験すれば小さな相違に拘れなくなるはずです。
これと同様に、もっと大きな変化を成し遂げたいならば、もっと大きく異なる世界を体験しないといけません。
70、80歳になっても経営を主導する日本の経営者をみて理解できない時もありましたが、最近、彼らのように戦前、戦後、安保闘争などの多様な教育と社会環境を経験した日本人はもう珍しいと思って納得しているところです。
大きな声で部下や社員に「変化しろ」と叫ぶ経営者の多くは自分が変化しません。
変化できない人はいつもと変わらず「変化しろ」と叫ぶばかりです。まあ、たまに「チェンジ」と変わるのですが・・・。
(終わり)
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■2.上杉隆さん連載・その2
「ハフポスト日本版が示した課題」
上杉隆
※今回はハフィントンポスト日本版がスタートした5月に自ら(上杉隆)の有料メルマガ(http://theory.ne.jp/uesugitakashi/)に寄せた一文を特別に転載する(一部割愛)。
5月7日、ハフィントンポスト日本版がスタートした。
ハフポスト日本版のスタートがあまりに予想通りの問題点を孕んだまま、なんらそれらを解決せずに船出したことで、初めから暗雲が立ち込めているのは明らかである。
別に産まれたばかりのハフポストをくさそうというわけではない。
新しいメディアの誕生は、閉塞した日本の言論空間に変化をもたらす意味で少なからず貢献するはずだ。
ただ、指摘しておきたいのは、今回の朝日新聞との提携自体はあまりプラスにはならないだろうということだ。
せっかくならば、ハフィントンの精神を活かした日本進出を行えばよかったのにとつくづく思う。きっとそれは、米国のメディア事情を知っている者であるならば共通した意見であろう。
ひとつの結論を言えば、今回のハフポスト日本版の誕生の裏には、朝日新聞幹部による、朝日新聞幹部のためのどうでもいい面子争いがある。
前社長の吉田慎一氏時代に決まったこの無意味で、古びた提携戦略は、木村伊量社長になっても見直されることなく、生煮えのまま突っ込んでいってしまった。
確かに朝日新聞はここ数年、ネットメディアへの進出を目論み、ツイッターやネットに詳しいという専門家やジャーナリストを呼んでアドバイスを受けていたのだが、まさしく今回はそれが問題の遠因となってしまったようだ。
仮に日本のネット界ではなく、米国のメディア事情に詳しい者ならば、ハフィントンポストが特定のメディア(朝日新聞)と組んだ時点で疑問を抱くことだろう。つまり、それは、多様性を重視するはずのハフポストの存在意義を、自ら否定することにつながるからに他ならない。
だが、その最初の具体的な矛盾すら乗り越えられずにハフポスト日本版はスタートしたのだ。
そもそもハフポストは、2005年、フリー記者であったアリアナ・ハフィントン女史が多様な記事やブログなどを集めることで始めたサイトが発祥である。
ハ女史は、当時すでに存在した「ドラッジリポート」へ対抗するメディアを作ったと後に語っているが真意は定かではない(資本金一億円でスタート)。
いずれにせよ、彼女のサイトには一次情報である女優やタレント、あるいは政治家などの情報が集まったことは確かだ。
次に、彼らからの直接の情報提供が始まって急成長しはじめた。いわばインターネットのタブロイドブログのようなものであったのだ。
しかし、急成長とともに無理が生じる。元祖ハフポストは最初の壁に突き当たる。
それは、ジャーナリストとしての訓練を受けていない発信者からの情報があふれることで、ニュースの質の低下を招き、訴訟ケースも増え、粗悪なタブロイド判の新聞の歩む道を辿りはじめたのだった。
そうしたハフポストの危機を救ったのは、皮肉なことに大手メディアの経営難であった。
MSM(メインストリームメディア)の将来と不自由さに悲観する一方で、ネット新聞の未来を信じたジャーナリストたちが、次々とハフポストを新しい挑戦の場として移籍しはじめたのだ。
そうした職業ジャーナリストが100人にも達するころ、「プロパブリカ」や「ポリティコ」などのネットメディアの台頭と相まって、ハフポストも急進、もっともパワフルなメディアのひとつとして米国メディア史にその名を刻むことになる。
2011年にはAOLに3億1500万ドルで売却したハフィントン自身は編集長として君臨し、今回の提携の顔となったのだ(つまり、実際はAOLグループのビジネスとしての朝日新聞提携ということがこれでわかるだろう)
ざっと書いたが、ハフポストのジャーナリズム精神を一言でいえば、個の参集による多様なニュースの提供なのである。
そう、きっとメルマガ読者のみなさんは、ここでハフィントンポスト日本版の一つめの矛盾に気づいたことだろう。
朝日新聞がハフポストと提携した時点で、他の主要媒体、たとえばNHKや日経新聞の記者やジャーナリストは参加に二の足を踏むことになってしまった。
権威好きで、なんでも欲しがる朝日新聞の上層部の悪い癖がここでも出てしまったのだろう。
4年前、私は同じ朝日新聞の幹部にハフポストなど米国のメディア事情を語った。
その際の彼らの反応は無反応どころではなく、ネットメディアに対する強烈な敵意だった。
ハフィントンポストのサイトを見せながらの説明中、忘れもしない彼らが吐いた言葉は次のようなものだった。
「朝日新聞がそんな2ちゃんねるみたいなものを相手にするわけにはいかない」
朝日新聞の幹部がこう言ったのも無理もない。なにしろ、記者個人のツイッターやFBの自由な使用を禁じているような会社なのだ(当時の事情を知らない一部のジャーナリストが「朝日は自由だった」と言っているがそれは取材不足からくる間違いであろう)。
皮肉なことに、その会社が、2012年にハフポストがピュリッツアー賞を受賞するころからいきなり態度を変え、今回、米国ではすでに新しいとは言い難いメディアのひとつであるハフポストという高い買い物をしてしまったのはもう喜劇以外の何物でもない。
ネットジャーナリズムの世界では、企業と企業のような組織の合力によって市場を支配する時代ではなくなっている。
個の参加が、情報の多様性を生み、健全なジャーナリズムを構築する唯一の道であると私は信じている。
実はそれは、米国ではニューヨークタイムズなどのMSMが長く掲げてきたジャーナリズム精神に他ならない。
その観点からして、日本版ハフポストはジャーナリズムとしては失敗の道を歩み出しているのかもしれない(メディアとしては成功するかもしれないが・・・)。
ネット時代の到来とともに、これまでのようなマスに訴求する一元的な情報提供のあり方は限界がある。
米国ハフィントンポストの歴史を振り返ってみても、大手メディアとの組織的な提携の跡は見当たらない(2011年のAOLとの提携は事実上の売却)。
むしろ、MSMからの優秀なジャーナリストが個人として参画してきたからこそ、多様性を担保することができ、その中からピュリッツアーウィナーを生む良質な記事を提供できるようになったといえるのだ(すべてではない)。
朝日新聞との提携は、そうした意味でハフィントンポストの命とも言うべき多様性をはじめから排してしまっている。
その単一性から脱却できるかどうかが、ハフポスト日本版の最初の試練となるだろう。
(終わり)
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