作家の半藤一利さんは、「絶対」という言葉を使わない。一九四五(昭和二十)年の三月十日未明の東京大空襲で九死に一生を得て「二度と絶対という言葉を使うまいと誓った」という▼戦争中「絶対日本が勝つ」「絶対神風が吹く」と「絶対」が氾濫した。「いかにむなしいものだったか」。東京は「戦場」だった。約三百機の米爆撃機。約三十三万の焼夷(しょうい)弾を東京の下町を中心に無差別に投下した。約十万人が死亡した▼十日正午のラジオの「大本営発表」は「都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬(しゅめ)寮は二時三十五分、その他は八時ごろまでに鎮火」。軍部は被害を知っていた。十万人が殺されようとも「火災を生じたるも」である▼あの「絶対」の中には「焼夷弾は絶対に消せる」もあった。消せない。作家の海野十三は日記に残している。焼夷弾の威力は強いが、「それを知らせては、誰も初期防火をしないので知らせてないのだ」▼真面目な人が犠牲になる。「焼夷弾は消える。必ず消せと教えられていた。みんな、その通りにした。気がついた時は、逃げ道はなかった」(花森安治さん『戦場』)▼シェークスピアは「記憶は精神の番人」と書いた。「番人」もやがて弱っていく。新しい番人には誰にだってなれるはずである。「戦で死にたくない。絶対に」と思うこと。この「絶対」なら許してもらえるだろうか。