2014-03-10 本日はチベット蜂起記念日
■[チベット]本当に焼身自殺に抗議したいなら
もう昨年になってしまうが,来日したダライ・ラマ14世が「焼身自殺は尊い行為」であると発言したと報じられ,はてな界隈ではそれを非難するブコメで溢れた。その後飛ばし記事ではないきちんとした記事が出たが,そのブコメにおいてもやはり「指導者なのだから,止めるように言うべきだ」といった反応が頻出していた。
はてなブックマーク - チベット族僧侶らの焼身自殺評価 ダライ・ラマ「尊い行為」 - 47NEWS(よんななニュース)
はてなブックマーク - ダライ・ラマ14世が「恋愛」や「ゲイカップルの結婚」に回答 チベット焼身自殺については「尊い行いだが、心が痛む」
だが――これは倒錯した反応と言わざるを得ない。なぜならば焼身自殺は,中国共産党統治に対する抗議として行われているものであるからだ。なにが彼らを焼身というかたちでの抗議に駆り立てたのか? それは,チベットにおける苛酷な抑圧であり,その責任は第一に中国共産党にある。
チベット高原では,多くの人びとが中国共産党の建設した住居への移住を強いられている。形式面で同意を得たのだと中国共産党は主張しているが,それを言うならばクロアチアだってセルビア人をバスに押し込む直前に同意書にサインをさせるぐらいのことはしたのだ。わたしたちは,このような強制移住が,かつてアイヌモシリで,あるいは北米で,先住民族のコミュニティを破壊し,彼らを「同化」するための手段として用いられたことを知っている。その結果,アイヌ民族やネイティヴ・アメリカンの家族やコミュニティ,生活様式に文化の伝承が,取り返しようもないほどに傷つけられたことを知っている。そして,その傷が未だに癒えていないことも。
参考:
中国:チベット民族に対する強制移住政策 停止を | Human Rights Watch
チベット人200万人以上が強制移動、人権団体報告 国際ニュース : AFPBB News
チベット「自治区」ではチベット人の移動が厳しく制限されている。巡礼者はラサにすら赴くことが困難になりつつある一方で,次々と漢人がラサに流入している。ラサに居住すれば様々な恩典が与えられるからだ。もちろん,その恩典はチベット人には与えられない。チベット人が享受していない移動の自由を,漢人は享受しチベットに観光客としてやってくる。チベットの文化は観光客向けにパッケージされ,土足で踏み荒らされている。かつてアジア・アフリカの「エキゾチック」な文化がヨーロッパ人にどのように消費されたかを,わたしたちはは思い起こすべきだろう。単に観光に来るだけならばよい。だが問題は,彼らの多くが観光客として当然払うべき敬意をチベットの文化に一切払おうとしないことであり,チベットの文化が自ら選び取ったものではない外来のショービジネスの中に組み込まれようとしていることであり,そしてその「観光」を支えているのは圧倒的な軍事力・警察力だということである。彼らはただの観光客ではない。植民地化の尖兵なのだ。
参考:The Disneyfication of Tibet by Pearl Sydenstricker | The Washington Monthly
ラサの僧院では,地方からやってきた僧侶たちが次々と送還されているという。チベットの歴史上かつてないことだ。もしも東京に立地している大学が,都外から進学してきた者をすべて送り返したならば,日本における知の遺産の継承がどのくらい傷つけられるか,わたしには想像もつかない。その想像もつかないことが,今,チベットで行われている。一般論としての首都―地方格差はもちろん問題にすべきことであろう。しかしある文化圏において,学知が特定の都市に集約され様々な地方の出身者がその都市に集い,結果として高度な知の体系が構築され,維持されるというこの一連のプロセスを破壊しようという営みは,その文化圏で続けられてきた知の伝承を破壊し,その文化を無力なものにすることだというのは諒解していただけるだろう。
参考:チベットNOW@ルンタ:ウーセル・ブログ「党が考案したチベット仏教の僧院モデル」
このような抑圧の中で,様々な抗議の手段を奪われ,絶望した人びとが焼身自殺を行っている。自らの生命を賭した最後の抗議行動として。ダライ・ラマ14世の言葉は,このような文脈の中で理解されねばならない。そのような絶望の中に置かれても,無差別テロのように他者の生命を犠牲にするのではなく,ただ自らの生命を擲つこと。ダライ・ラマ14世は,そのような行為を前にして,「自己犠牲としての焼身自殺」を「尊い行為」と言っているのである。かつて,釈迦が前世において飢えた虎にその身を餌として与えたように。
── 2009年2月以降、100人以上のチベット人が中国の統制や政策に抗議して焼身自殺を図っています。これはチベット人が非暴力に限界を感じているということでしょうか?
法王:そうは思いません。焼身自殺そのものが非暴力の実践であると思います。非暴力に限界を感じているような人々であれば、爆弾を使い、犠牲者を多くだそうとするでしょう。でも彼らはそういうことはしません。自分の命を絶つだけです。ですから、焼身自殺は非暴力のひとつの形だと思うのです。
ダライ・ラマ法王へのインタビュー:意見の相違、死、政治家などについての見識
そのような文脈を捨象して,「ダライ・ラマが焼身自殺を尊い行為と言った」とだけ理解し,自殺をやめさせるべきだと彼を非難する人びとは,それがどれだけの絶望の中から生まれ出た言葉なのか,本当に理解しているのだろうか?
そして皮肉にもそのような態度こそが,焼身自殺の抗議としての「有効さ」を示す形になっているのではないかと思う。いくらチベット人が抑圧されても注目してくれなかった人びとが,焼身自殺をすれば注目してくれ,指導者の発言に(否定的なものであれ)反応してくれるということがわかったのだから。だからこそ中国は躍起になって,連座制を導入してまでも自殺を封じ込めようとするのだろう。焼身自殺を行った者の近親は,公職から追放され,政府から受給した公的援助を返納しなければならず,土地も没収され,僧院からは莫大な罰金が徴収されるという。瞠目するといい。今は江戸時代ではなく,21世紀であるということに。
参考:チベットNOW@ルンタ:5日焼身のパクモ・ドゥンドゥプ死亡確認 焼身に厳しい連座制で答える当局
ダライ・ラマ14世が焼身自殺を「讃美した」ことをもって彼を責めるのは,筋が違う。チベット仏教は人民寺院ではない。そもそもチベットから亡命し,中国共産党によってさんざん国家の敵として非難されているダライ・ラマ14世が,外部との交通が嶮岨な自然によってではなく国家の手によって厳しく制限され,僧院にすら政府の介入が及んでいるチベットにおいて,人びとに望まぬ自死を強いるほどの影響力を持ち得るはずがない。焼身自殺が止まらない最大の責任は,中国共産党の抑圧にある。中国政府が抑圧をやめ,ダライ・ラマ14世の主張する「高度な自治」をチベットに対して認めれば,あるいはそこまでは行かずとも,現在行われている様々な抑圧政策をやめ,漢人のチベットへの流入を制限すれば,わざわざ自殺という手段を選んでまで抗議する人びとは,ゼロになるか,大幅に減少するはずなのだ。
本当にチベットにおける焼身自殺を憂い,自殺者がいなくなることを願うのであれば,ダライ・ラマ14世を批判する前にすべきことがあるはずだ。それは,焼身自殺という究極的な抗議に至るまでの間の,様々な抗議の声に耳を傾けることだ。人びとを焼身自殺という絶望的な抗議に向かわせている抑圧に,抗議することだ。いじめ自殺ならば,誰もがまずはいじめっ子を非難する。経済的要因を苦にした自殺であれば,皆がまずは経済状況や雇用状況の好転を願う。その当たり前の良識が,なぜチベット問題に際して働かないのか,まったくもって理解に苦しむ。
もちろん,状況を注視し,抗議するのは疲れることだ。それを厭う者を,わたしは責めはしない。人間のリソースは有限であり,さほどの関心を持てないことがらに対して多くのリソースを割くことは個人には難しいからだ。だがせめて,ダライ・ラマ14世を責めるのはやめないか。本当に自殺を引き起こしている者は,そしてそれを暗に奨励している者は,亡命中の高僧の僧坊にではなく,世界屈指の大国の指導者の執務室にいるのだから。
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