松本市の松本城公園で9日、脱原発を求める集会(脱原発信州ネットワーク・松本、主催)があった。主催者側によると、参加者は労組関係者や学生などの1千人近くで、集会後、市内をデモした。原発被災者の一人で福島県楢葉町出身の信州大1年松本友子さん(20)も参加。集会で体験を語った。

 松本さん一家は、被災直後から避難先の関係で家族が別れて暮らしている。高校には、いわき市内で一人暮らしをしながら通った。朝、起きるたびに「どうして私はここにいるのだろう」と分からなくなった。「地震が起きて、原発が爆発して、家に戻れなくなったから」。毎朝、一つ一つを自分に納得させた。つらい「日課」だった。

 楢葉町は原発が無いと成り立たない町だった。小中学のころ、原発の見学や身の回りの放射線測定が授業であった。被災後もしばらくは「原発がないと福島は復興しない」と信じきっていた。それほど「安全神話」がすり込まれたという。