高温超伝導で論文ねつ造(7)

Posted by goro | ジャーナリズムの生態学 | 月曜日 5 11月 2012 9:17 PM

史上空前の論文ねつ造という科学詐欺事件が発覚したのは2002年9月のことです。
主役はヤン・ヘンドリック・シェーン(29)、アメリカのベル研究所所属の研究員で「サイエンス」、「ネイチャー」に超伝導に関する16編の論文を発表し、およそ3年間にわたって、いつノーベル賞を受賞するかと注目を集めたヒーローでした。

最初の発表は200年7月、オーストリアで開かれた合成金属科学会議です。ベル研究所と言えば、何人ものノーベル賞受賞者を出してきた科学研究の最先端を切り開いてきたところです。ベル研所属のバートラム・バトログは、超伝導研究の第一人者として研究チームを率いていました。シェーンはそのチームの一員でした。

超伝導とは、絶対零度と言われる極低温のー273℃近くで電気抵抗がほぼゼロになる現象です。1911年にカマリング・オネスが水銀を使って発見しました。

-273℃の極低温環境を作り出すことは容易ではありませんが、もし高温超電導物質、つまり―196℃の液体窒素の温度くらいで超伝導となる物質が見つかったら、応用範囲は一気に広がります。たとえば、遠距離送電をしてもロスがないので、エネルギーコストの大幅な削減につながります。

バトログのチームは有機高温超電導物質に的を絞って研究をしていましたが、シェーンはその物質づくりを担当していたのです。

シェーンの成果は、まさに目覚ましいものでした。次々に「高温」で超伝導を示す物質をつくるのです。そして論文を発表します。世界100か所以上の研究機関が100億円以上の資金を投じて、シェーンの実験結果を追試しました。

しかし、追試に成功した人は誰もいませんでした。それにもかかわらず、シェーンの実験に疑いを持つ人はいなかったといいます。
大阪市立大学の研究者は、「自分が未熟だ」と思ったそうです。
フランスの研究者は、第一人者のバトロムへの信用があったために疑いをさしはさむことはなかったそうです。
アメリカの研究者は、ベル研には企業秘密のノウハウがあるのだろうと推測したそうです。

シェーンの有機超電導物質製造装置を見たいと誰もが考えました。シェーンはベル研の同僚に、実験はドイツのコンスタンツ大学でしていると話していました。現物を見た人はいませんでしたが、「シェーンのマジック・マシーン」の名声は高まり、シェーンは「ゴッド・ハンド」の持ち主と思われるまでになりました。

しかし、破滅の時は来ます。
シェーンに対して最初に疑いを抱いたのは、ベル研のチームリーダー、バトログでした。コンスタンツ大学でマジック・マシーンを見て、シェーンの言うような高温超電導物質をつくることはできないと思いました。

後から調べると、追試ができないことに疑問を感じた研究者は少数ではありません。ある研究者は、シェーンの別々の論文のグラフが一致、同じデータを繰り返し使用していることを見つけました。

告発を受けたベル研はついに調査を開始、シェーンはデータをファイルから適当に選んでいたことや、虚偽データのあったことも分かりました。結局24論文中16にねつ造のあることが分かり、シェーンはベル研を解雇されます。2002年9月のことでした。

なぜ史上空前のねつ造時間が起きたのか。
まず責任を問われたのはバトログでした。マジック・マシーンを確認していなかった責任は重大と認めましたが、共同研究とはメンバーの一人一人が分担した部分の責任を負うもので、シェーンの不正は個人の責任としました。

このことは現在の研究の進め方の問題そのものです。
専門分野が細分化されていて、自分の専門以外のことはほとんど分からないのは普通です。不正があっても不正と分からないということです。100年以上前のことですが、文豪夏目漱石は、「専門家は深い井戸を掘る仕事をする。井戸の底から外を見ても隣の井戸の様子を知ることができない」と述べています。いわゆる専門バカを非難するのが目的ではなく、「芸術は井戸と井戸の壁を越える道具で、人間は専門化による孤立を好まないので芸術に関心がある」という主旨の演説をした時の一部です。

ともあれ、最先端の研究者が集まって行う最先端の研究ほど、不正が生まれる土壌になっているわけです。

「サイエンス」、「ネイチャー」といった世界的に有名な科学雑誌が、ねつ造事件が起きるたびに信頼性を保証するものとして登場します。長い歴史の中でその名声を得てきた雑誌だけに、これらに掲載されたとなると箔がつきます。信頼が一気に増すことになります。

これらの雑誌はレフリーがいて論文審査をするのですが、論文数が多いことから審査が甘くなっているのです。不正を防止する門番役を果たすのは難しいのが現実です。

ベル研のような研究所も、成果を求めるのに急です。つまるところ、科学界全体が拝金主義の社会になっていることに一番の原因があります。

科学研究は、「別世界に住む科学者という名の仙人が人類の知的好奇心探求のための行っている行為」と思うと、それは幻想にすぎないのです。残念とは思いますが、科学は人間社会の営みの一つと思えば、当たり前という方が当たっているかもしれません。(続く)