新聞に「会いたい人」と題した文を投稿しました。
50年前、同じ寄宿舎で暮らした友人に会いたい。
永遠に会えなくなる前に、私が認知症にならない内に会いたい。
急がないと・・・・そんな思いで書いた文でした。
掲載当日 朝6時ごろから友人知人らから
「読んだよ~」と電話のラッシュ、
中には「一緒に捜してあげる」と頼もしい声もあり嬉しい!
その内、新聞社から
「見つかりましたよ、感激で泣いてしまいそうです」と
担当者からの弾んだ声。
この掲載に当たって
「見つかるといいですね」と云ってくださった言葉が実現したのです。
その電話を受けながら、私はグシャグシャ泣いていました。
新聞社から教えていただいた連絡先の彼女に電話し、会う約束。
彼女は朝5時新聞を読みながら、
「私と同じ名前の人だな~」と読み進むうち
「私の事だ」と胸がドキドキしたそうです。
その内、友人から「あなたを探してる記事が出てるよ」と
電話が数本あったそうです。新聞の威力すごい!
念願の彼女と会ったのが昨日。
50年前の素朴な少女が今は少し身体も小さくなって、
ニコニコ「きよちゃんかな~?」と、つぶやき
私も、その人の昔の面影を探りながら
「ウワ~○○ちゃん」と二人同時に寄り添いました。
50年前を偲ぶには当時の写真が有ればいいと思ったのですが
トノが亡くなった時
「私が死んだ後は子供に迷惑かけないよう」
必要なものだけ置いて後は処分したのです。
写真も不要なものとして処分。
屈託なく笑っていた乙女のころの写真。
残しておけば良かったと思っても後の祭り。
当時暮らした街や寄宿舎の地図を拡大コピーして持参しました。
寄宿舎併設の図書館、ひろ~いグランド、手入れされた庭園
そして町に出れば映画館、ここは公園・小さな駅・・
地図を見ながら懐かしさいっぱい。
「金沢まで新幹線が伸びたら行こうよ、
それとも高速で車でもいいかな~」と
夢を語り合い乙女に戻った日でした。
投稿文を読み
「一緒に捜してあげる」と云った友人の気持ちが嬉しい。
「見つかってあんたが嬉しいんなら私も嬉しいよ」と
云ってくれた友人。
応援してくれたみんなありがとう。
そして共に喜んでくれた新聞社の担当者、
顔も知らない人達ありがとう。ありがとう。
顔写真の代わりに秋の絵を入れました。
昔のものもあります。
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