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国際
【再び、拉致を追う 第10部 明日への提言(中)】めぐみさん事件「情報はゴミ箱に捨てられた」
「世の中は“北朝鮮による拉致”などまったく信用していなかった。少女拉致などと言ったら、(既に報道されていた)他の拉致事件まで否定されるかもしれないと思った」
北朝鮮による日本人拉致疑惑は昭和55(1980)年、産経新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」として初めて報じた。62年の大韓航空機爆破事件では、逮捕された金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(51)が拉致被害者の「李恩恵」の存在を証言。63年には、梶山静六国家公安委員長(当時)がアベック3組失踪を「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と政府として認めた。それでもマスコミなどで大きく取り上げられることはなかった。
平成8年秋。石高氏は専門誌「現代コリア」誌上に「中学生少女拉致情報」を書いた。これを読んだ同誌元編集長の佐藤勝巳氏が、たまたま訪れた新潟の講演会で紹介した。聴衆の新潟県警の警察官から声が上がった。「それは横田めぐみちゃんだ!」
めぐみさんの両親は娘の身を案じながら、苦悩の末に、報道の際の実名公表を決断。社会に衝撃を与え、世論が大きく動き出した。
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