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話題のアニメトピックス一覧へ戻る 更新日:2014年03月09日 19時05分

「日常系ダイアリー――アニメ批評のためのメモランダム」第01回 はじめに/文:高瀬司(アニメルカ)

ライター:
高瀬司

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「鳥獣戯画だよ〜」
   ――平沢唯


1.
これからのアニメの物語や表現、そしてそれらを下支えする想像力について思考するために、日常系アニメを分析すること――。
アニメファンにとって、日常系アニメとは何なのかをあらためて説明する必要性は薄いだろう。目標を持って部活動に励む姿ではなく部室でのティータイムや他愛もない会話を中心に据えた『けいおん!』を代表とするような、劇的な展開のないまま、女の子キャラクターたちの何気ない日常を描いていく作品郡――ときにその起源(名作劇場やファミリーもの)や定義(バズワード化)の曖昧さがささやかれることこそあっても、『あずまんが大王』の影響下で育まれたこの基本フォーマットはすでに一定以上共有されたものだろう。こうした日常系アニメは、ゼロ年代中盤から現在に至るまでコンスタントに放映され続け、その内のいくつかは深夜アニメという枠組みを超えた大きな熱狂をもって迎え入れられた。

しかし、冒頭の一文が本連載の主要テーマであると述べると、人によっては扇情的な冗談か、はたまた手に負えない誇大妄想か何かかと思われるかもしれない。そもそも日常系アニメでは、かろうじていくつかの作品で卒業へと向かうリニアーな時間進行が描かれるくらいで、物語など存在しないのではなかったか。


日常系アニメを特徴づける要素に「排除の論理」がある。
「ドラマツルギーの排除」「異性(男性)の排除」「葛藤(成長)の排除」。
異性がいないがゆえに恋愛ドラマは発生せず、コンフリクトがないがゆえにそれを通じたビルドゥングスロマンも描けない、一般的なシナリオメソッドとも無縁な「物語性の排除」。
先鋭的な作品にいたっては、日常を彩るささやかなイベントすらも排除される(ノーイベント、グッドライフ)。 

物語性が希薄な理由に関しては、すでに一定の蓄積が認められる。
「萌え四コマ」という細切れに分断された形式を発祥として持つから。
キャラクターという物語越境的に自律した存在を基礎とするから。
〈いま・ここ〉にある日常のかけがえのなさをテーマとするから。
「セカイ系」からさらに遠景(超越)が零れ落ち、近景(日常)のみが残った形式だから。
(いくつかの作品では)無限ループする時空が舞台となるから。
重苦しい物語ではなく気楽なサプリメントが求めているから、コミュニケーションのためのネタだから――しかしその根拠を重ねれば重ねるほどにむしろ、こうしてルールが明示されてしまうことそれ自体から、日常系作品独自の脱物語的な物語論、あるいは別種の超越性の可能性が物語られてしまっているだろう。

「世界の命運」といった大問題(遠景)と、きみとぼくの小さな関係(近景)が、社会(中景)という中間項を挟むことなく直結する「セカイ系」。そこで、作品から社会がオミットされているという通俗的な批判と同時に、片や事後的には、わずかながらも社会が描かれてしまったがゆえに純化が足りないという批判が挙がっていたように、物語がないという批判と同時に、細部に物語が発生してしまったがゆえにコンセプトの不徹底さが批判されもする日常系作品。
ここで掘り下げたいのは、物語と日常系という二つの取りとめのない概念の間に横たわり、観る者により全く異なる反応を招き寄せてしまうこの奇妙なメカニズムに関してである。

 

2.
物語論だけではない。表現論をめぐっても同様に、日常系アニメ独特の機構が見出だせる。
「メディアの違いを理解せよ!」という宣言を引くまでもなく、この問題をめぐっては原作からアニメへのトランスメディアの方策がよい導き手となる。先に述べた定義上で言えば、日常系アニメは萌え四コマという、作品の流れが四コマ毎にリセットされる(ことの多い)形式の翻案からはじまっている。ゆえにそこでは分節化された各エピソードを接合し、淡々と進行していく時間にリズムを刻み、密度をギミックで補填していく必要が生じる。また優れた萌え四コマが利用する枠組み、すなわち四つのコマで一本、四コマが二本で一ページ、四本で見開き、見開きを複数組み合わせた連載一回分といった、入れ子状の複数のユニットの相互作用を操る技術が、アニメ上でどのように演出可能かという問題も横たわる。それらをめぐってはおそらく、『ぱにぽにだっしゅ!』『ひだまりスケッチ』『らき☆すた』といったパロディやギミック、記号化、デフォルメ、そして何より30分アニメの構成を操作しうるアイキャッチやOP・EDを巧みに利用した作品群の分析が足がかりとなるであろう。

また四コマというフォーマットは、コマの形状が固定化されているという点ではアニメ的と類比的であり、しかしアスペクト比が異なるという点では決定的に異なった、なまじマンガが絵として完成しているだけに余計に入り組んだ問題をはらむ対象として、その最適解の模索は今なお続いている。
加えて日常系のジャンル成立以後は、ライトノベルにおいてもトランスメディアが企てられ、それが再びアニメに落とし込まれるという回路も生まれており、また形式的な親和性という点では、ショートアニメの隆盛も昨今の流れとして外せないトピックだろう。

それらこもごもの問題をめぐる批評的探求の先に、日常系を乗り越えたのちの新しいアニメの想像力を見出すこと。
現に、日常系以後の象徴的大ヒット作『魔法少女まどか☆マギカ』を見てみても、映像を統御する新房昭之、物語を綴る虚淵玄と並び、キャラクターを形作った蒼樹うめという日常系的想像力(を経由した作家)が与えた影響は甚大であった。あるいは『ストライクウィッチーズ』『ガールズ&パンツァー』、そして現在大流行中の『艦隊これくしょん』(には提督の存在というハーレム構造があるとはいえ)といったガールズミリタリーものも、日常系的なフォーマットの応用例と言えるものだ。
すでに顔を出しはじめている可能性の萌芽を的確に汲み取ること。それが本連載の目指すところの一つである。

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3.
序文の最後に、このダイアリーに書きつけられるメモランダムの、現時点における具体的な見取り図を示しておきたい。
これから展開されるのは、日常系という舞台を用意したアルケオロジーであり、脱物語化した説話を作動させるナラトロジーであり、その空間の中で息づくコミュニケーションをめぐってのソシオロジーである。

まず議論のための地ならしとして、日常系アニメを準備しただろう、萌え四コマの歴史の整理を行う。
哲学的な問いを動物キャラクターと独特でシュールな間をもって演出した『ぼのぼの』(いがらしみきお、竹書房)に、美少女キャラクターの想像力を付与した萌え四コマの起源『あずまんが大王』(あずまきよひこ、アスキー・メディアワークス)。その成功の影響下から、ファミリー四コマやアンソロジー、ストーリー四コマの流れとも合流し(そしてTVアニメ『あずまんが大王』の放映開始とほぼ同時期に)生まれた、『まんがタイムきらら』(芳文社)の系譜とそのマンガ表現の変遷が見直される。

続いて、日常系アニメの主要作品論と平行して目論まれるのは、他ジャンル(セカイ系、ハーレムもの、ファミリーもの、名作劇場/高畑勲、女児向け/佐藤順一、美少女ゲーム、二次創作、アルタミラピクチャーズ)との類縁性の交通整理からはじまり、萌え四コマからアニメへトランスメディアされる際の技法論、日常系的脱物語の物語論、物語から自律したキャラクター論、そして日常系という言葉の再定義(空気系と日常系の違いとは)と、ジャンルがそのまなざしを向ける理念の探求である。

またそこでは、日常系を牽引したアニメ制作会社・京都アニメーション論にも踏み込むことになるはずだ。Key原作というセカイ系アニメの系譜から、『涼宮ハルヒの憂鬱』というセカイ系と日常系をあわせ持った作品を経て、『らき☆すた』『けいおん!』、そして『映画けいおん!』と日常系アニメの到達点へと至る。
加えてそこから『日常』『氷菓』という他ジャンルとのマージナルな作品を経由し、『中二病でも恋がしたい!』(セカイ系的ラブコメ)、『たまこまーけっと』(日常系的ファミリーもの)、『Free』(女性向けスポ根)、『境界の彼方』(ファンタジーバトル)とそれぞれ全く異なるジャンルの作品をオリジナル企画として抱えるという、単なる物語回帰にとどまらない、まるで作品群の総体をもって全方位を同時攻略しようとしているかのような歩みは、日常系ブーム以後の想像力を問ううえで、取り上げないわけにはいかない対象である。

またこの流れからは派生的に、『らき☆すた』の鷲宮神社や『けいおん!』の豊郷小学校旧校舎といった聖地巡礼や拡張現実性、またそれを支える美麗な背景美術、あるいは作中に登場する様々なオブジェクトのモデルへと向いた触覚的欲望とでもいうべき受容態度にも言及することになるだろう。そしてその発見を共有するための基盤としての情報環境の変容。そこでは加えて、YouTubeやニコニコ動画といった、ネット時代の新たなアニメの受容論、またそれをめぐってのとコミュニケーション論が問われることになる。

 

4.
繰り返しになるが、本連載は日常系アニメを総括することで、日常系以後のアニメひいては想像力を模索するものである。個別のロジックはそろいつつあるが、その結論がどのように見出されさるかはまだわからない。そこにあるのはユートピアなのか、ユートピアのようなディストピアなのか。
『映画けいおん!』で梓が靴ずれを起こしたような、批評的つまずきを見つけ出すこと。手に余る道標となったかもしれないが、「過度な期待をしないで」ゆるくふわふわした歩みにどうかお付き合いいただきたい。

 

【以降、隔週土曜夜に公開予定】


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