自分のスルー耐性を試されていると思ったが、我慢できないので書いてみる。
http://programming-10000.hatenadiary.jp/entry/20140306/1394112379
と書いていて、
という考え方になるだろうか?
納得いかない。
読者じゃないんで誤解しているかもしれないが、あのネテロって作者、つまり富樫自身のことだよね。
感謝ってのは、育ててくれた「週刊少年ジャンプ」とか「集英社」のこと。
で、富樫と言えば「仕事しろ」とか、休載ばかりとか、鉛筆でアタリ描いただけで本誌掲載とか、
そういうイメージがあるんだけど、
あるレベルまで達すると、「己の限界」みたいな物が自分の敵として立ち塞がるんだと思う。
これは富樫とか、神レベルじゃなくても、凡人でも同じ。
で、正拳突きをただひたすらやるってのは、
「仕事で干されてしまっても、ひたすら素振りをするような状態」
ってことだ。
「干される」ってのは、富樫の場合で言うと、集英社に干される、というのもあるし、
自分から、俺は限界にぶち当たって、もう描けない、という状況から、自ら干される、
というのもあるだろう。
ただ、何も見えない暗闇の中で、ひたすら素振りをする、というモチベーションを持続するのは難しい。
というか、不可能だ。
そして、尋常ならざる力を手に入れる。
同様に、漫画が描けない、スランプだ、出版社側からも敬遠されてる、みたいな状況でありながら、
それでも漫画描かなくても、ペンの素振りだけは繰り返すよ、俺を育ててくれた出版社とかのために、
で、その末に、俺もネテロみたいな尋常ならざる力が手に入れられたらいいな、
という願望がこもっているのだろうと俺は思った。
そして、現実は漫画じゃないんで、仕事が干された状態で素振りを繰り返していても、
尋常ならざる力が手に入る訳じゃない。
ただ、誰かがそれを見ててくれて評価されるとか、なんかの機会に上向きのベクトルに成ることはあるだろう。
継続は力ではない。
しかし、継続するということは、ゲームを続けているわけで、チャンスをゼロにするわけではない。
ただ、それだけのことだ。
何も愚痴とか言わないんじゃないかな。
プログラムの世界にネテロがいるんだとしたら、まぁ、それなりに成功した人だと思うんだけど、
己の限界にぶち当たっていて、どこへ向かっていいか分からない。
でも、自分にはプログラムしか書けないし、と思って、ひたすらプログラムを書いているんだと思う。
愚痴も言わないんでね。
周囲のモチベーションも低下する。
前を向いているなら、これからの設計はこうあるべきじゃないか、とか、そういう話になるんだと思う。
現状ってのは否定されてしかるべきものでもあるわけで、それを否定するのは誰でもできる、当たり前のことだ。
どうもネットというか、増田もそうだが、「リアリズムと勘違いした異常な現状否定」か、「自己啓発的な以上な肯定(詐欺)」しか浮かび上がってこないので、