(第15回)数学大国江戸の日本~算聖関孝和~(その6)

●世界に先駆けた発明~傍書法~

連載第13 回で紹介した傍書法にしても飛鳥時代から延々と続いてきたそろばんと算盤、算木による伝統的計算法に革命をもたらす発見だったのです。そろばんや算木は、数をものに置き換える方法(数取法)です、もう一つ数を別なものに置き換える方法があります。数字という言葉です。記数法です。日本では縦書きの墨字による漢数字でした。ヨーロッパでは記数法は横書きのアラビア数字が完成しつつあった時代で計算はもっぱら記数法によっていました。関孝和は縦書きの文字、甲、乙、丙、丁を使った新しい計算~代数~の考案だったのです。天元術~高次方程式の数値解法~はそろばんと算盤・算木によって完成された技術でしたが、関孝和は式の計算の重要性をつかみ取り代数のアイディアに到達していったのです。それが傍書法です。これにより式の変形(代数演算)が可能となり高度な問題が解けるようになっていったのです。世界に先駆けた画期的方法の発明も鎖国をしていた日本から外国へ伝わることはありませんでした。

現在、中学生になるとこの代数演算はx、y、z といったアルファベットとアラビア数字0,1,2,3,・・・そして+、×といった記号を用いて横書きで書いて行うことを習います。洋算(現代西洋数学)のお作法です。有無をいわさず習わされます。x、y、z を知らない日本人が甲、乙、丙を用いて世界で最初に代数計算を和紙に墨で縦書きで行っていたと知らされればびっくりすることで
しょう。
 驚くことに関孝和自身だれにも傍書法を教えることなく、もくもくと計算を続けていったのです。1674 年、甲府徳川綱重の家臣だった34 歳の関孝和は『発微算法』を書き『古今算法記』(1670 年沢口一之)の遺題を解いて世間をあっといわせました。この本の中で傍書法を使って問題を解いてみせたのです。しかしその解説を一切しないままの不親切きわまりないものだったのです。

●世界に先駆けた発見~行列式~

和算の問題の多くは方程式を立ててそれを解くことに帰着されます。連立方程式冒頭の切手の関孝和の背後に描かれた図は式四換といわれるアイディアの図式です。変数が4つの連立方程式の解法にあらわれる行列式のことです。変数が2 つの場合すなわち2 次行列式を式二換、変数が3 つの場合すなわち3 次行列式を式三換といいます。式三換は現在ではサラスの公式といわれていますが、これも関孝和が世界に先駆けて発見したものだったのです。


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